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磊落マンの歩み!

「年弥々(としいよいよ)高くして徳弥々たかし」(前漢末の思想家・揚雄)の教えを心情とし「いま」を生きるようにしています!

Flowers make people happy. (№1)…!

2024-10-22 14:48:23 | 日記

世羅高原農場(広島県世羅郡世羅町別迫)では、色鮮やかに彩る秋の豪華絢爛なダリアと、可愛らしいガーデンマムが咲いています。

極彩色のガーデンマムが畑一面に咲き広がり、絵にかいたような美しい風景です。

放射線のように広がる模様になっており、直線美を感じます。

ダリア畑(初恋の丘)…色も大きさも、咲き方も様々あり、ひとつひとつのダリアの花をじっくり見ることができます。

約10,000㎡の畑に550品種・7500株の豪華絢爛なダリアが咲き誇っています…色も大きさも、咲き方も様々です。

ダリアの花言葉……「エレガント」「優美」「希望」「清々しい美しさ」…


こころ癒される水の都に「だんだん」(№2)…!

2024-10-20 18:21:35 | 日記

国宝 松江城…1611年(慶長16年)、松江開府の祖・堀尾吉晴によって5年の歳月をかけて完成。築城された天守は、全国に現存する12天守の一つで、別名「千鳥城」とも呼ばれています。平成27年7月に国宝指定されました。

松江城天守の特徴…天守は本丸中央の東寄りに南面して建っており、外観は4重、内部構造は5階、地下1階の構造で、入口に附櫓(つけやぐら)を設けた複合式望楼型に分類されます。外壁の多くは黒色の下見板張りで、随所に狭間や石落とし、石打棚などの防御装置を配し、内部に井戸や塩蔵を設けるなど実戦を強く意識して築かれています。

松江城の最上階「天狗の間」の天守からの眺めは、松江の町並みや宍道湖が一望できる絶景スポットです。

興雲閣(松江市殿町1番地59)城山公園内……松江市が松江市工芸品陳列所として建てた建物で、1902年(明治35年)12月に着工し、翌年9月に竣工。当初は、明治天皇の山陰巡幸の際の行在所に充てるべく計画されたものです。明治天皇の巡幸は時局が厳しく実現しませんでしたが、1907年(明治40年)、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)の山陰道行啓にあたって、5月22日から25日まで御旅館となり、迎賓館としての役割を果たしました。

建物は木造2階建てで、主屋のやや北寄りに玄関があり、そこが車寄せ(ポーチ)になっています。外壁は下見板張りを基本とし、淡緑色のペンキが塗られています。建物の周囲は、1階・2階とも列柱廊(コロネード)をめぐらせた洋風の外観を持ち、屋根は入母屋造桟瓦葺の純和風で、明治期の擬洋風建築の特徴をよく表しています。

興雲閣は、松江市内に残る数少ない明治建築として、1969年(昭和44年)に島根県指定有形文化財に、2011年(平成23年)に松江市歴史的風致形成建造物に指定されました。

城山公園内の「松江神社」(松江市殿町1)…松江城が国宝になる決め手となった祈祷札が発見された神社。

御朱印……松江神社・雲州松江福徳稲荷神社…


こころ癒される水の都に「だんだん」(№1)…!

2024-10-15 18:53:53 | 日記

水の都の松江(島根県松江市)へと……出雲の方言で「だんだん」とは、「ありがとう」という意味です…松江には、汽水湖と中海、それを繋ぐ大橋川や国宝 松江城を囲む堀川、そして日本海があります……暮らしの中に水とともにある水景は、昔から変わらない当たり前の風情です。

松江堀川ふれあい広場乗船場(島根県松江市黒田町)より遊覧船(全長約8m、幅約2mの小船)に乗って、のんびり堀川をめぐります……国宝 松江城を囲む堀を約50分間かけてゆっくり周る観光遊覧船。船頭さんの名調子の案内を聞きながら、城下町の美しい風景や、四季折々の植物を楽しむことができます。

このたびは、赤、白、黄色の彼岸花に出会えました……乗船場所は、ふれあい広場乗船場(黒田町)、大手前広場乗船場(殿町)、カラコロ広場乗船場(京店)……自然豊かな松江を楽しむことができる自然区…今の松江の風景を見れる市街地区…昔の姿を残した日本の風景がそこにある歴史区……遊覧船が低い橋の下を通る時は、なんと屋根が下がります(うべや橋、甲部橋、新米子橋、普門院橋)……国宝 松江城を囲む堀は、築城時の姿を今も残しています。

食事は、お堀沿いの武家屋敷(大石源内屋敷跡)を改装した店構え「そば処 八雲庵」(島根県松江市北堀町)へ……松江城のお堀沿いにつらなる白壁通り。この一帯は城下町の面影が色濃く残る塩見繩手で、堀川に老松が風情を添えています……出雲そば発祥地の「割子そば」をいただきました。

「そば処 八雲庵」の緑と優雅に泳ぐ鯉の庭が印象的です……

(№2へ つづく…)


ふる里 「鈴張のマチュピチュ」へと…!

2024-10-13 11:46:50 | 日記

ペルーの遺跡になぞらえる「鈴張のマチュピチュ」の棚田の景色が広がっています…

10年前(2014年6月)地方紙の写真企画「峠」明神峠(広島市安佐北区鈴張、広島県北広島町)に紹介されました……『整然と並ぶ石垣と稲の緑のコントラストが絶妙…室町時代から江戸時代にかけて積み上げられた石垣には、先人の苦労がしのばれる…鈴張地区の国道261号を北上し、北広島町との境にある明神峠(標高431m)付近までの約2kmで見られる光景…』

ふる里への道のりである明神峠の七曲り坂は、正しく私の人生の歩みそのものです……県北の里山から社会へと旅立ってからは、『人生には3つの坂あり、上り坂と下り坂、そして“まさか”の坂』(戦国武将 毛利元就)の言葉通り、人生の3つの坂の繰り返しです…半世紀以上にわたり、この七曲りを行き来するたびに、人生を振り返り、これからの生き方をしばし考える貴重なひと時となっています…

ふる里からの帰路は、コムズ安佐パーク(広島市安佐北区安佐町飯室)へと…フレスタ店内イベント広場には、郵便ポストが真っ赤な顔で迎えてくれます…

秋祭囃子の音色と共に、県北の里山では神楽競演が盛んです……


歴史的な「なみだこい(鯉)」が…!

2024-10-08 10:41:27 | 日記

2024年終盤、広島カープの失速は歴史的な出来事……2024年10月3日(木)付け地方紙コラムでは、「今のやり方 間違っていた」……とは…!

対し、2024年10月8日(火)付け全国紙より……『名将、選手の「旬」見極め』……の記事では…

オリックス低迷期のチームを立て直し、リーグ3連覇に導き、2022年には日本シリーズを制覇し、一時代を築いた名将 中嶋監督が今季限りで退くのは電撃的……

オリックス選手層が厚いとはいえない陣容ながらも、各人の持ち味を適所で生かす起用と采配でチームを頂点に引き上げた手腕は「中嶋マジック」と称される……

選手に寄り添いつつ日々の緊張感も求める監督は、強者となったチームに生まれがちな、現状への慣れと空気の緩みを感じ取っていたという。そこから巻き返すにあたって先頭に立つのは自分ではなく「新しい人がやるべきだ」と強い決意があった……

中嶋監督が築いたのは、ファームの戦力(中嶋監督は、2軍練習拠点へも足を運んで選手を自ら観察。ファーム首脳陣とは、情報を細かく共有。選手の「旬」を見極めた)も含めた総力で勝つ野球……

来季に向け広島カープは、衝撃的な失速を教訓にすることは……果たして…!