一通のメールが届いた。
それは「疑問」と題した友人からのもので、私の検査を怠っていた主治医への批判でもあった。
脳外科なのに脳疾患全体の管理には興味のない医師が多い、との印象を持っているようで、
それが如実に「検査の差」となって初期の段階で差異となってしまうと記されていた。
私は返答のし様もない状態だったので、とりあえず「ありがとう」とだけ返信に宛てた。
友人は40歳のとき『ラクナ脳梗塞』が発見され、
以後、それを監視する目的で毎年、造影MRI撮影を行っているのだという。
今年で5回目、発見から5年の歳月が流れている。
補足として・・・・・
*通常のMRI撮影の場合
矢状断(しじょうだん)撮影を行っても、脳の下垂による上部隙間がわからない。
*造影剤MRI撮影の場合
上記、脳内における上部隙間が判明する。
外傷後のめまいを伴う不定愁訴では、以下の疑いが予想されるため、
造影MRIに加え、血管MRA、動脈エコーは基本だという。
私の経過観察を書いたレポート内容を知っている友人曰く、
痴呆や呂律がまわらない時期を克明に記してあるのに、
その検査を怠ってきた医師は、何を診療していたというのだろう? との疑問に終始した。
確かに・・・・・・と思う。
返答に困惑するのは、確かに何もしていないからだ。
脱毛がひどくなったと何度も訴えても、
結果、血液検査を行ってくれた医師、処方を出してくれた医師は別院の主治医だからだ。
何もしていない・・・・・・・・・
頭痛や頚椎痛がひどく、顔色も悪く、激痩せしても、彼は何もしなかった。
何かしたときは、別院の主治医からの強い指示があったときのみだ。
私にも疑問が残念する。
元主治医は何を行ったつもりでいたのだろうか?
そして、何をみて「精神の病気」とカルテに記入したのだろうか?
低髄液圧症候群や外リンパ漏のある人は以下疾患を併発していることが多いらしく
造影環状段、矢状断は通常は撮影するべき入門編だと友人は締めくくっていた。
無駄な治療および診療やうつ病扱いにて物事を片付けようとする医師の姿勢に、
断固として闘って欲しいと友人は言う。
それが世の中に広まると、患者は検査内容を参考までに知ることが可能になり、
医療側では前例として取り扱わざるを得ないからだと言われ、
それも「確かに・・・・・・」と私は思うのだった。
前例とは、検査を怠っていた事実がどのように問題視されるのかという結果と、
このケースにおける検査の内容が専門外でも知覚することを指している。
脳外科と一言でいっても中身は細分化され、
血管専門医や他、すべてを取り扱える医師は現状稀だ。
特に若い医師にはその傾向が強く、柔軟性を欠き、
人間はもとより脳全体を診ることすら不得意となっているのに、プライドだけはいっちょ前。
これはあくまで私見に過ぎないが。
*以下、参考疾患名
①ラクナ脳梗塞
②アルツハイマー
③レビー小体認知
④低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)
⑤正常圧水頭症
⑥脳血管奇形
魂を抜かれるとはこういう状態を指すのだろうか?
外は雨だ。
霞ヶ関にある弁護士会館へ行く気力も失せ、
娘のランチ、とりそぼろ弁当を3人分つくるとまたしてもベッドに倒れこんだ。
しばらく読書をしていた記憶があるものの、いつの間にか眠りの世界へ逆戻りする。
自分の頭の重さを頚椎が支えきれないときは、
悔しくても、情けなくても、横になるしか方法がない。
残念の滲む窓、慮外の色彩で覆われた空、悔恨しか味覚が脳へ伝達しようとはしない。
驚きのカルテと命名した書類の山を前に、溜息と絶笑が交互にやってくる。
しかし、とんでもない世の中になったものだと思う。
今更ながら、あらためて、この期におよんで。
民主党の小沢一郎氏や既得や後世を案ずる日本に蔓延る年寄りたちと重なる。
死んだ後もまだ自分がどの立ち位置で社会に残存するのかだけが彼らの危惧であり、
無用でしかない杞憂を前に、現実を直視しろ。
つまり、もっと広く世の中を見ろという意味だ。
医師であれば患者と向き合い、共に歩み、人間を診ろ。
でなければさっさと白衣を脱いで、他人に迷惑のかけないようにひっそりと生きろ。
私の怒りを買った最大の要因は、他院への批判めいた一言だった。
その医師は最後まで、この若い医師の将来を、希望を、前途を真剣に考慮し、
逃がす手立てをした。
「今は喧嘩する時期ではない、悔しいでしょうが・・・」と言って私を諭した。
私はその事実だけを元主治医へ伝えた。
さして時間は必要ないでしょう、お礼の連絡をして欲しいという最後の願いを込めて。
彼は迷惑そうな表情を浮かべて、イラついていることを示す貧乏ゆすりが机下ではじまり、
なぜ、自分が教授を受けたり、礼を述べなければならないのか?と頭上からあがる湯気が
彼の内面を代弁していった。
自分では投薬に自信がないとの理由から、
私が心療内科受診を元主治医から強く勧められた経緯を無視し
それは精神的にどうの・・・・・ということではなく、
ただ単に夜中、痛みで目が覚めてしまうことへの対処だった。
他院への受診を強く勧めておきながらも病院を紹介するわけではなく、
投薬一覧を一番最初に手渡したとき、彼は言った。
「これはプロにしかできない仕事だ」と。
けれど、カルテには『薬、イマイチ」と汚い文字が並ぶ。
自分に自信がなく、責任を負いたくないがために他院受診と患者の丸投げをしておきながら
今度は嫉妬か?
やれやれと思った。
カルテ解読は同時に彼の心情を紐解く作業ともいえ、
そこからはどろどろとした感情の波が押し寄せてくるだけなのだ。
分析をした結果、私が一番譲れないものは「卑怯さ」だということをあらためて痛感した。
私が抱える問題の共通事項は、卑怯さであり、責任の所在の無自覚さにある。
しかも、大人の、男の陋劣さをみると、虫唾が走る。
一発殴って目を覚ましてやりたくなる。
その必要もないか。
なぜなら、自分の首を自ら絞めていくという行動パターンが
卑怯さと共に共通事項として見え隠れする。
私は抜け出したのだ。
この男たちのパターンから。
もう一本の道が本来の道筋であることを教え、私を手招きしている。
私は切り立った崖を下りて、森を抜け、目前に広がる太平洋へ裸体を放り込んだ。
羊水に浸かっている感覚、浮遊する快感、
まだ問題は解決の糸口を見出したわけでもなく、貯金も底をついたけれど、
私は大声で笑った。
どうにかなる。
そして、それをいずれ書く自分が見えてくる。
*序章
それを目にした瞬間、私は思ったのだ。
よくぞここまで、平然と、涼しい顔をして、黙々と、淡々と、ぬけぬけと、しゃあしゃあと、
私を裏切ってくれたものだ、と。
今まで私から受け取ったものを全部返せーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!
そりゃそうだ。
こんな内容のカルテを書いておきながら、
最後の最後まで他科の医師へ私を丸投げしておいて、私を直視できるわけがあるまい。
そして、僕のことなど関係なく病院を訴えたらいい、と。
私のみならず、経営者でもある院長までも裏切る行為をしでかすのか?
診断書を、レセプトを、カルテを第三者に開示したのは元主治医であり、他者ではない。
あの汚くて、読めない字がすべてに記されている。
ねぇ、教えて。
医師としてこの1年半の間に何をやってきたの?
自分の指示や発言をすべて「患者の強い意向」と書き、他院への紹介状に宛てたのはなぜ?
忘れないためにも一筆記しておくが、私は自身の病名も狭窄という言葉も、
元主治医から言われなければ知らなかったものだ。
それを患者である私が勝手に付けていると?
責任転換も甚だしく、
むろん、自分が医師として何も行っていないことを証明したようなもの。
自分で自分の首を絞めたのね?
私を診ていないことを薄々感じたときから苦肉の策として提出するようになったレポートが
そのカルテとの温度差を物語ってくれている。
それがカルテ以上に効力を発揮するそうよ。
他院から受診拒否された理由に、元主治医の下で検査を行い、
なぜ受診が必要なのか?を添えた紹介状が必要だといった医師は正解だった。
他院への受診は私の意向ではなく、元主治医からの指示なのだから。
将来的に頚椎についても手術が必要だと初診時から言われ、
小脳の大きさが10歳児程度しかないことも、
狭窄部分が体液の通り道を塞ぐMRI画像であることも、すべて元主治医の発言だ。
私の弁護士へ提出するためにと言って書いた紹介状には今とは違う疾患名が記されている。
にもかかわらず、それは私が勝手に思いこんでいる疾患名だとカルテには書かれていた。
相手側と水面下で金銭のやりとりでもあったのだろうか?
そうとしか思えないカルテ内容のひどさに、言葉を失う前に笑いがこみ上げてきた。
甘いのよ。
私を、女をなめるんじゃねーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!
そして、驚きのカルテ内容はその序章を終える。
*本題
素人の私でも英語(ドイツ語ではなかった)と日本語が混ざり合うカルテ解読ができた。
解読ができるということは瞬時にそのカルテの、
大まかな内容が理解できるということで、
担当者に私は思わず、
「これは本当のカルテなのですよね?」と訊ねたくらいだ。
ずさんで、いんちきで、子供のお絵かきではあるまいし・・・・・・
何度も体調が悪化し担ぎ込まれたという私へ元主治医は、
あれだけの狭窄がみられれば血流も髄液も通り道がふさがりますから、と
言葉では言いながら
「精神的な病気」と記入してあった。
じゃぁ、説明してもらおうじゃないのさ、と私は思った。
当然だ。
精神的にどうやったら痛みが発生するのだ?
しかも、起き上がれないほどの重篤な痛みが。
それが問題だというなら、痛みをコントロールできるってことだろう?
療養先へ行っても東京にいても、悪いときは悪い。
海外移住を勧められた背景には日本の四季が体調をより不安定にさせる、と言った。
真剣に海外への移住も考え、病院まで検索していた私。
倒れこむような痛みが発生し、起きていられず、ただし、横になると軽減する。
ふざけるな、と正直思ったが、喧嘩する相手にもならない。
医者になる前に、救急患者の開頭をする前に、もう一度、出直してこい。
脳裏を駆け巡るのは元主治医が他医師へ向けた言葉だ。
脳外科医はきちがいじゃないとできない・・・・・・
それは他医師へ向けた言葉であり、おそらく自分自身へも。
尋常なカルテというものがどのようなものかわからないが、
院長はよく開示したと感心した。
またはあまりにも呆れすぎて、考える隙を与えなかったからか・・・・・
まだ若いというだけの理由で容赦してきた元主治医に対して、
私はその気持ちもカルテ内容にあきれ果てている旨も病院担当者へ伝えた。
担当者も言葉を選びつつだろうが、他医師も私が提出していたレポートがありながら
精査という言葉が多数出現するわりには、
判断するための材料がないことを問題にするでしょう、と言った。
言葉に執着を持つ私と、かたや言葉に責任を持たない元主治医。
おそらくだからこそ、自分の発言にも、二転三転する診断書内容も
なにも感じないのだと思った。
感じないのではなく、何が問題であるかさえ、思考は劣化している。
医療放棄したある作家の言葉が浮かんでは消える。
日本の将来は絶望よ、と。
若い医師ほどそれが目立つのだという。
医師という以前に人間として問題が多いということを経験してきたのだ、と。
でも迷惑な話だ。
まもとに医療に取り組んでいる医師や医療従事者からすれば。
医療の限界、医療に依存するな、
それを言われるためだけの診療費はなんと全額自費で3万だ。
厚生労働省も施策を打ち出さなければ無駄な医療費がなくなるわけないのだ。
驚きのカルテと命名。
予想をはるかに超越したその内容は、一生の語り草になるだろう。
あまりにも呆れると、人は笑いしか出てこないらしい。
それは、私の場合だけか?
月日が経過するのは本当にはやい、と思った。
忘れている間、厳密には不調でごろごろしているのさえ辛い状況の昨日、
私が交通事故に遭ってからちょうど3年になるのだと、今さっき気付いた。
点滴を行わなくなって5日、
カルテコピーの引渡しのために病院関係者が自宅近くまでやってくる。
今日、出張から戻ってきたばかりで事実を知らされた病院長はどう思ったのだろう?
5という数字がキーワードにあがる。
そして、5という数字の意味は「変化・変容・変性、そして錬金術に関連する数字で、
人生の中の何かが良い方向へ変わったか、変わろうとしている」のだと。
病院はすごいなぁ~と思ったのは午前中のことで、
点滴を行えるか否かを近所の病院に片っ端から連絡をしていると、
地域医療的な存在である中堅病院の担当者は、
体調が悪化してもこちらでは責任を負わない=点滴以外は診ないという同意書を作成して
それと紹介状には点剤の詳細を明示してもらい、
それで行えるか否かを一度、面談してからしか決められない、と言われた。
すご過ぎる。
体調が悪化してもこちらでは診ません、だと。
じゃぁ、どうなるのだろう?
病院が救急車を呼ぶのか?
それとも具合の悪くなった患者を同意書を楯にして放り出すのか?
怖い。
これは怖すぎる。
私側の弁護士からの連絡がないので日弁連へ相談。
触りを話しただけなのに、
それはすごいことをされたものですね・・・・・と弁護士も言葉を失っていた。
そりゃそうだ。
医療を必要として生きている者に対して、医療を打ち切り、
他、貯金の切り崩しでなんとかやってきたというのに、それも支払い拒否。
一時金という制度があるにもかかわらず、それにも応じない。
なんだ、こいつら。
女を、私を馬鹿にするな、とは、友人が代弁した私の心の声、叫びだ。
けれど・・・・・・なのだ。
なんだ、この余裕は?
もっと精神的に追い込まれてもおかしくないだろうに、
崖っぷちに立たされると私はパワーアップする(らしい)。
どうにかなるなどとは楽観的に考えてはいないものの、
けれど、どうにかなってしまう気配が私に余裕を生み、病院の対応に笑いすら覚え、
これから病院関係者と病院側の見解をお聞きし、カルテを頂戴し、
不足する紹介状提出を請求する。
知人の経営者たちは一同に私の惨事を笑うネタに仕立て、
よくひとりで頑張っているなぁ~といいつつ、病院の私から元気を吸い取っていく魂胆なのだ。
そうはさせるか、こっちが元気を吸い取ってやるのだーっ!!の勢いで^^
あの日から人生が変わった。
体も痛いし、世の中が違った視点でしかみれなくなってしまった。
でも、いいのだ。
それが私の人生なのだし、受身の強さだけは格闘家にも
おそらく亀田一家にも負けない自信はある。
いいや、きっと勝てる。
3年目の秋を迎え、何も解決していないのにすっきり爽快な気分でいられるのは何故だろう?
自分を傍観していると思うこと。
こいつ、馬鹿か天才か。
いいや、馬鹿だからこそ、やっていけるのだ。
強く、逞しく、ときどき、めそめそしても。
なぜ、ストレッチを行わないのか?
なぜ、マッサージに通わないのか?
なぜ、食事をとらないのか?
なぜ、今更神経内科受診など?
「なぜ」が続く。
「元になりますが主治医からは私の現状や転院の経緯をお聞きできていないのはなぜ?」
相手の「なぜ」はぴたりと止まった。
面白いくらいに、ぴたりと・・・・・だ。
院内紹介には「頚椎症」に加え「脳脊髄液の高低問題」と記されていた。
検査は?
治療は?
点滴治療を継続していたのですね? と言われたため、
ようやく8月中旬になって、と意地悪な表情で苦笑しながら答える私。
カルテをみればおわかりでしょう?
記憶力低下は以前から。
食事をすることも忘れたために、わずか4日で体重は10kg減少し、
毎日点滴治療が継続できるようになった理由は、別院の主治医からの指示、
ここの主治医のものではありませんよ、と言うと、
しごく驚いた表情を浮かべる目前の医師。
なぜ、転院を?
症状以外の質問はこれで最後に願います、と前置きをした上で、
個人情報を加害者へ漏洩したこともご存知ではないのですか? と告げると、
ここの病院で? と。
それはカルテには書かれていないのかしら? と覗き込む仕草をすると、
週に一度だけ某大学病院から派遣されている医師は言葉を失っていた。
盟友とはSMの話題で盛り上がっていたため、
今の私は医師を困らして楽しむ女王様だ。
まさにSだ。
今日の受診は検査や治療などの模索をしていなかった事実を伝えるためが趣旨であり、
他に目的など私には一切なく、
目前で跪いて、ハイヒールを舐めろと喉元まで言葉が出てくる錯覚までを楽しんでいた。
私にとって針のむしろ状態であるはずの病院内が心地よく感じるなど、
やっぱりしぶとい女王様気質に複雑な心境を覚えた。
そりゃそうだ。
医師は本当に困惑した表情を浮かべながらも、
初対面である私をどうにか納得させるだけの言葉を探す。
そうしているうちに自分が最後の責任を負わされていることにようやく気付くのだから。
常勤ではない医師に最後の責任を取らせるなど論外で、
先生には責任などありませんし、私は予約とおりに来院したまでのことで・・・と言った。
すると、医師は医師を演じた。
意思を強く持ち、規則正しい生活を送り、一日3食しっかりと食べ、就寝はゆっくりと。
医療にいつまでも依存していても・・・との言葉が出た瞬間に、
依存などはしていない、といいかけてやめた。
交通事故処理が終わった時点で、私は医療放棄を考えているのだから。
ひとりの主治医を残して、後の医師などとは金輪際、
その肩書きを持つ者たちとは関与したくたいというのが私の本音であり決意ともいえる。
転院先の教授たちとはよい関係が築ければ・・・との祈りにも近い感情を抱いているのも
今の私の正直な心境だ。
教授たちとのご縁は、私にとっても予想外の展開だったのだから。
大切に育まなければ罰が当たる。
医療が担う役割はほんの一部分であり、自分でどうにかしていかなければと平然と言う。
そんなことはあなた方よりも疾患を抱えた私たち患者の方が熟知していますよ、と
心の中でいい、あかんべーをして、お尻もぺんぺんと叩き、
涼しい顔をして私は診察室の椅子に腰掛けていた。
鞭がいいのか?
それとも赤い蝋燭か?
自分に素質あり!と判断した時点で、想像の範疇でのSMごっこは終了した。
目覚めてしまったのだろうか?
悔しい思いをさせられてきた分、特に肩書きを持つ者をいたぶるという行為に。
この医師もかわいそうだなぁ~と思った。
元主治医の尻拭いをさせられている側の立腹が手に取るように理解できた。
患者の引継ぎもせず、患者の照会もせず、丸投げ状態の私へ最後の告知となったのは、
「医療の限界です」という一言だった。
もういいよ、無理して何かを言わなくても。
すでにSMごっこは終了しているわけだし、あなたの立場も重々理解できていますよ。
何かを希求していたのではなく、ただ単に検査をせず、
治療を行ってこなかった確認作業です。
ネグレストとは本来、育児放棄という虐待に対する専門用語だ。
私は主治医からネグレストを受けていた。
まさに医療放棄を意味する。
がしっかし、と思うのは、最後の納め方が格好悪すぎるのだよ、
女とは笑って別れなければならないのだよ。
終わりよければすべてよしという諺が物語るように、
それができない奴は、すべてがだめなのだよ。
すこしくらい手先が器用だとしても、いつか限界がやってくる。
医療の限界です、と私たちが言われ続けるように、
医師の限界ね、と女王様に言われることがMは快感なのだろうか?
新しい月、病院との離別。
下らないことで心身ともに消耗させられたが、
こちらのレベルについてこれずにプライドだけで闘っても所詮無理なのだよ。
そんなプライドは、
すぐに折れたり欠けたりして無くなるプライドとも呼べないものなのだから。
女王様は満足する。
ネグレストを受けた医師を切り捨て、今後は私が医師を放置にかかる。
もうおしまいよ。
「院内では○○さんのことが大問題になっていますよ」、と診察室に入った途端、
私が椅子に座るまでの間の、主治医の第一声がこれだ。
何を隠そう○○とはもちろん私の氏名だ。
私に視線を移すこともなく、謝罪や出来事についての甘さを語るわけでもなく、
大問題になっている発端は、医師法に抵触する行為であった本質が、
この人には理解できていないのだと思うと、こっちの方が情けなくなった。
意思とは関係なく救急で運ばれる患者がこの医師の手術を受けるのかと考えたとき、
心配だけがいやな後味として残った。
医療放棄した作家や友人の心境が私にはわかる。
あなたは医療に何を求めているの? との問いに、
何を求めているのだろう? という自問だけが今でも私の脳裏をぐるぐると巡る。
私の方が知りたい。
何を求めているのかという納得いく自答を。
主治医を前にした瞬間、
密室の手術室で何人もの人間を殺してきたのだろう? とふと思ってしまった。
それは彼から放たれた死臭が鼻先を過ぎり、
その背後に隠された秘密をどこからともなく私の内面が感受したためだ。
というのも、医師からの愚痴として聞かされていた悪評、
メディアに多々登場する神の手を持つ医師との異名にて紹介される外科医への批判について、
「神の手が密室殺人を犯すような変態でなければ長年外科医などできない」と
彼は幾度か私へ愚痴としてそうした内情を漏らしたことがあったためだ。
私はふ~んと関心などない風に極めて冷静さを装いながら、彼の癖を覚えていった。
彼は重大な内情を意識のない中で言葉に変換する。
他者についても、自身のことを他者に置き換えても。
うんうんと、親身になって聞いている振りをしながら
何も聞いていない現実を知ったときから、
私は受診までの体調をレポートとして提出し自分を護るしかないことを覚っていったのだ。
若いとはいえ、他医師の悪評など患者へ伝えるのは医師としての資質を疑う行為に等しい。
だから、甘いのだ。
あなたは何をしてきたの?
私に対しても、他多くの患者へ医師として、なにをして、なにをしようとしているの?
私の疾患に対して積極的に手術を行っている他院医師への批判然り、
院内でも同様の手術が院長を執刀医として行われたのは夏の時期だっただろうか。
患者の容態が本格的に悪化に転じた頃から、その話題には回答しなくなった。
彼は正直だから、質問を回避する術も誤魔化すまでのしぐさにもしごく特徴があり、
患者というものは不具合を抱える時点で、そうした解読が得意となるものだ。
さらさらとノートに記す。
言動が多少乱暴に、早口に、貧乏ゆすりが机下ではじまる、時計を○回みる、
それらはこれ以上質問するな、という意味であり、私の診察が終了した合図も兼ねている。
人間など診てはいないのだと思うようになったとき、
私は彼との距離感について図り難さを感じるようになっていった。
部位や教科書に掲載されている以外には想像力を働かせることもなく、
体も心も連動し作用している現実を直視せずいる姿勢に、
だから私は聞いたのだ、看取る覚悟はありますか? と。
それは通院を必要としなくなる最後まで、
主治医として責任を持ち患者を請け負う覚悟を確認する質問だったのだ。
彼は笑った。
ガンではあるまいし、と。
それはガンと告知され、
病気と闘っている方々に対する命への侮辱であると判断したときから、
私の中には「転院」の二文字が脳裏から離れることはなくなっていったのだ。
私の質問には答えない。
いや、答えられずにその場をやり過ごす時間を診察と呼び続けた。
蓄積する疑問、訴えても改善されない問題に対し、点滴の痕の酷さがすべてを物語る。
何度、その注射痕のひどさに警察から職務質問をされ、診察券を提示したことだろう。
私は冗談交じりに、けれど、真面目に真剣に訴えてきた経緯がある。
主治医へ点滴痕の酷さ、一回の点滴に3度は針を刺し直す苦痛を伝えてきたのに、
それすら真摯に受け止めることはなく、我慢してください、と。
病院内では弱者となってしまう患者への対応を、
不信を再度抱かせるだけに終始した今日までの出来事を、
私はおそらく一生忘れない。
点滴痕が治癒せず沈着をはじめ腕に傷として残るように・・・・・
常時、130はある頻脈に対する対応ひとつ行っていず、訴えにも耳を貸さず、
その前後の変化も経過も数値として記録する姿勢を持たない者を
私は医師とは呼べないと思っている。
ちなみに健常者の脈は「60程度」が平均なので
私はその倍以上心臓が動いていること自体がそもそも異常なのだ。
体重が減少し続けることへの危機感のなさ、
痩せていく私に「もう少し太った方がいいですね」と言う無神経さ。
ダイエットをしているわけではないことくらいわからないのか? と
言葉を飲み込んだ回数を私はもう覚えてはいない。
私は主治医の胸倉を掴んで『お前のしたことだろう?』と殴りかかりたい心境になったが、
その悔しさは今後に生かすことを提案してくれた別病院の主治医。
殴る価値などないとその言葉の裏を読み、私は別病院の主治医の指示とおり、
最後の診察はさまざまな感情を抑え“お礼”だけを伝える趣旨で診察室へ入った。
それが「○○さんのことは院内で大問題になっているようですよ?」とまるで他人事だ。
だから彼は正直なのだ。
歓喜の声が私には聞こえた。
厄介な患者がようやくひとり消える、という主治医の心の声が。
他院主治医はこの医師を救済するべく私へ知恵を授け、その旨を伝えても、
この医師は他院医師への恩義にも心を動かす様子を見せることなく、
変態であるといった外科医との差異がどこにも感じられない冷酷さが、
私の目前を行き来しながら、それでも悔しさをかみ締め、私はお礼を伝えた。
それが礼儀だからだ。
他院主治医との大切な約束だからだ。
自分の犯した罪によって本来病院や主治医が護るべき患者にさらに被害を重ね塗る。
ただし、罪の意識など微塵もない。
医療を語る前に、医師としての肩書きが自分そのものだと誤解する前に、
人間性を問いたい。
残る疑問・・・・・・・・
あなたはなぜ医師になったのですか?
医は人術とはあなたにはすでに死語ですか?
物事がどのようにすれば納まり、鎮まるかを学ぶ毎日が続く。
容赦するべき事由、その容赦を取り外す瞬間に何が起こるのかを、
自分とは別の力が働き作用することを体感する時間。
正直、ここ2日は交通事故直後時のように頚椎に激痛が走り、
わずか15分乗車の地下鉄車内から気分が悪くなって下車したほどだった。
自分の体、自分に降りかかった問題なので逃げも隠れもできない。
仕方ないという諦めではなく、それを受容し、対処していくしか方法がないと
その流れる方向に従い、人生を完結するために今日を、今を精一杯取り扱うしか
私にはできない。
最善を尽くすしか手立てはなく、それを自覚し、人生を請け負うことが生きる作業だと、
何度も何度も自分に言い聞かせる。
駄々をこねる自分をなだめ、言い聞かせる。
一番大変なのは、自分を静めることなのだ。
私になら乗り越えられるだろうことなのだろうか? と昨日は珍しく自問した。
これは、私になら乗り越えられる壁なのか否か・・・・・・・と。
もちろん、気の利いた自答など得られるわけはなく、
移動と病院のはしごで少し疲れているためなのか、
そんな日は早々と寝るのが一番と思い、
痛む首に頭の加重が加わらない体勢はいつしか私の寝姿すら変えてしまった。
知恵をください。
弱った心身に力をお貸しください。
エネルギーの場の感受、エネルギーのぶつかり合いではなく共存を、
このような状況に置かれても愛を希求する私は馬鹿なのでしょうか?
愛でしか物事は解決できない。
宇宙の本質が「愛」であると盟友から届いた電子メールを何度も読み返す。
そうなんだよなぁ~と何本もの電車を見送る。
無機質なホーム、冷えた腰掛、色彩に欠けた光景がただ目前にあり、
私を置き去りにする。
どうも時間軸がこことは合っていないらしい。
私の方がときに延滞することで、
逆に明日が読めるという不思議な現象が時々ふとした瞬間に突如としてやってくる。
今日、10月末日をもって一区切りする。
月がかわるように、私の病院も、事故処理も、
何もかわってはいないわ、と見せかけているすべてが変化する。
悪いことではないと理解できてはいるものの、まだ心の準備が正しく行われてはいない。
夢見は余韻だけを残し、その内容は目覚めの瞬間に一瞬にして奪い取るように見事に、
そのものだけをそっくりと消し去ってしまった。
後は自分で考えろ、という。
沸点や氷点を繰り返すだけの脳にはもはや考える許容などなく、
どろどろと溶けたり、かちかちに固まったり、
どちらにしろ点という結果を迎えるまでの時間が、
私に与えられた動の時間であり、許された範囲なのだということまでは自分でもわかった。
今日は海外へ駐在してしまう友人と日本では最後となるランチの約束をしている。
頚椎が痛む。
頭も重い。
が、友人とのランチまでに体調を整え、その後に待ち構える物事の納め方への序章を
その階段を着実に登っていく今日が、すべての変化へとつながる。
おそらく私自身の、細胞というレベルに至る変化が、
今日を境にして行われていくだろう予感が夢見だったのだろうと思う。
エネルギーが強いのだ。
私自身、その強さを自覚しなければ、相手のエネルギーをすべて奪い取ってしまい、
結果、自分に傷を負う事態にもなりかねない。
過去の出来事を振り返りながらひとつひとつ丁寧に考え、
今日という時間を穏やかに、物事を納め、エネルギーが相違する場からは
静かに立ち去ろうと思う。
すべてが愛なのだ。
愛をもって行うことは、そのすべてがよりよい道への誘いとなり、
自分へも他者へも、地球へも、宇宙へもその姿勢がRESPECTとなり、
誰にも傷を負わすことなく、血をみることもなく、
正しい方法で物事を鎮める道筋を知恵として拝受する機会に恵まれるのだと信じる。
美味しいランチをご馳走になり、
本筋の物事に、水をかけるのではなく風を持って鎮火させるべく
友人やその会話や時間や食べ物からすこしずつ力をお借りして、
病院へ、主治医との面談に役立てようと思う。
宇宙の成り立ちは愛だ。
エネルギーの衝突は、宇宙とはまったく相反する行為であると盟友は夢の中で語った。
私もその理論には賛成よ、と言って、陰から陽の世界へ、
いつもよりも丁寧に朝を出迎えているつもりだ。
東側の窓から心地よい陽射しや射し込む朝日はないものの、
鳥のさえずりや愛犬の伸びや味噌汁の匂いが変化の前の静けさの中で佇み、
厚い雲の隙間から、神々しいまでの光が部屋を包み込み愛の注ぎ方を教授する。
愛とは無限だ。
そして、愛こそ無限だと言いたい。
情報漏えいによって主治医の変更を余儀なくされたとはいえ、
やはり複雑な心境であることは間違いない。
今日は別の医療機関にてその旨を伝え、知恵を授かり、
転院先の主治医となる方の氏名までお聞きした。
私の疾患に関して、相当詳しく、
また、裁判となったときにも力になってくれるでしょう、と。
また、人権保護団体へサポートの要請をすることにより、
できるだけ自分の手から問題を切り離すようにアドバイスを受けた。
また、これは病院側のレベルの低さであり医師個人を問題にしてはならないこと、
主治医へは別れの挨拶をして、今までのお礼を伝え、きれいに納めなさない、と。
病院の問題は弁護士を通して行うことにして、
この主治医とは喧嘩する相手ではないですよ、今回のことは知らないとはいえ、
診断書を書いていたこともありさぞお悔しいでしょうが、と気持ちの堪え方を伝授され、
またしても主治医はもうひとりの主治医に助けてもらうかたちで幕引可能な状況になった。
私はこの件をすべて明日お別れする主治医へ伝えようと思う。
どれだけ周囲の人が主治医を容赦し続けたのか、
それはいい医者になって欲しいとの希いや思いが込められていること等、すべて。
この脳外科医の下にいても私は救われなかっただろう。
快方へ向かうことも、二人三脚して歩むことも、闘うことも、向き合うことも
これ以上、できなかっただろう。
だから、悔しい思いはしたけれど、離れることは「今」しかないのだと思った。
正直、意識のある患者を診るには若すぎ、いい加減さが目立つ。
とはいえ、恨みを残すわけでもなく、笑って、
満面の笑顔で、ありがとう、と伝えよう。
症状には必ず、原因とそれに見合う誘引が存在する。
現在の症状が交通事故以前になかったものであるならば、
それは誘引の事実となり、交通事故との因果関係は証明できるのだから、
相手とは喧嘩することになるでしょうが、
転院先の主治医がまた力になってくれるでしょう、と安心しなさいと促され、
私はこくりと頭をたれ、目頭が熱くなった。
おしゃれな街にあるクリニックは着飾った女性たちで溢れている。
イチョウ並木の似合う街、
知恵を探す旅は、次の局面を迎えようと準備をはじめた。
再考扱いとなった交通事故刑事事件について、
交通事故日に突然、更年期障害が発症して現在まで症状を長引かせている、と判断された。
事故当時、私はまだ35歳で、しかも、何も検査をしていないにもかかわらず、
女性はホルモンバランスなどが影響するから、とか、怠け病とも言えるなどと某氏に言われ、
担当の変更を申し出た。
なぜならば、奴が担当では事件が私の更年期障害、怠け病が原因とされ、
民事訴訟も諦めろとまで口を挟まれたためだ。
闘えない、こんな人間とは。
私が下した決断は、人格不適合者だ。
不合格!!
最近のニュース報道でもあるように、某庁の天皇との異名を持つなどと言われるように、
実に権力とは恐ろしいものだと思う。
権力があれば通院中の、しかも被害者に対して、更年期障害、怠け病などと
よくぬけぬけといい、それでいいな? と念まで押され、
本来、再考するべき事案である交通事故事件についてはうやむやにしたいとの思惑が
見え隠れする。薄雲が月を見え隠れさせるように。
本来、民事であるはずの加害者側弁護士とまで連絡を取り次いだようで、
金銭目的でなければ民事訴訟も諦めろ、とまで言われた。
お前さん、自分の立場をすっかりと忘れ、私の味方ではなく、加害者援護にまわるのかい?
こうして泣き寝入りを強要された被害者がどれだけいたのだろうと思うと
本当に胸が痛く、また、自分のしぶとさを痛感した。
というか、これは発見に近い。
刑事と民事は別物であり、なぜ、民事が刑事へ、刑事が民事へ、
介入する事態が許されているのだ?
これから某大学病院にて再度検査や今までのカルテ、画像などの診断を仰ぐ旨を伝え、
セカンドオピニオンに指名した医師名まで私は伝えていたはずだ。
そうした一連の、事情や約束事を軽率に扱い、
罰金刑だけの、私にとっては不服であろう判決になるだろう、と
端から冷静さに欠いた判断をしようとしていて、それについて意見を言うと、
更年期、怠け病といい続ける。
やれやれだ。
本当にこれが国家資格を有する者の資質なのかと思うと、こっちが悲しくなるのだよ。
仮に医療格差とでも表現しよう。
診療所である個人病院と大学病院、
もっといえば、宿直や、当初担当した医師が誰であるかで交通事故処理は雲泥の差を生じる。
つまり、どの病院に救急車で搬送されるのか、からその差は生じていることになり、
私たちは選択の余地のないところで、実際には自分の人生を左右し兼ねない判断を、
その医師の手中に預けてしまっていることを意味するのだ。
医師の経験年数や知識や専門などと無視して、
すべてが原因不明、だから、あなたは更年期障害で怠け病なのだ、と
言ってしまっていいものなのだろうか? と私は首を傾げたい。
これは女性蔑視発言ではないのか?
私はまだ35歳だぞ!!(当時)
例外もありますから、とそこまでこじつけられたが、
交通事故が原因とみなした方が自然ではないのかい?
交通事故に遭うと女性は全員、更年期障害になるのかい?
陰で、いや、裏でどのようなやりとりや取引がなされたのかは知らないが、
処罰をする側の人間が、この程度でいいものか?
私は親切に言ってやっているのだ、と面談でも電話でも繰り返されるたびに、
自分は偉く、私は彼とって跪く人間であるかのような扱いに、
腹が立つ以前に、世界の狭い生き方をしているのだという背景や
生き様のなさを垣間見てしまうようで、切なく胸を鳴らすのだ。
大声を張り上げ、事実を湾曲し、それを解決を呼んできたのだろう、今まできっと。
さて、めげない女シリーズはまだまだ続きそうだが、
そろそろめげない女も専門家にすべてを委ね、余計な傷を負うのはやめることにしよう。
しっかし、男社会とは女をそこまで卑下するのかい?
お前はどこから生まれてきたのか思い出せ!!
そこがなければ生きていけないくせに!!と言いかけてやめた。
もうすこしで逆セクハラ発言になるところだった。
自分の原点である性を軽んじる男などは、男にしておくのはもったいない。
いいや、めげない女たちに仕置きをされてしまうのがオチだ。
原点に戻れ。
そして、いい加減、男にもなれ。
意識がないと思っていても実際は意識はしっかりとありますよ、と私は言った。
すると、いつもは手術室担当である看護師のHさんが仰天した表情を浮かべ、
点滴針を血管から外してしまい、私は失敗してるぞ~と言って笑った。
いつもお見かけしていて、いつかお話したいと思っていたので・・・・・と言うので、
私もよ、とその返事に対し同じ気持ちであったことを告げると、
嬉しそうに、恥ずかしそうにしながら、椅子をベッド脇につけ、
点滴中、救急外来が入らない限りお話できますか? との彼女からの申し出に、
私からするべきお願いよ、と、お話したかったのは私の方だから、と言って
女ふたりの時間をしばし楽しむことになった。
意識のある患者さんを診る・・・・という聞き慣れない彼女の言葉に私の時間は止まった。
そうだ、いつもは意識のない患者に手術を施しているのが、
外科医である主治医の仕事だったのだと思うと、妙に納得できる部分が多々あり、
意識があり、生意気で気が強く、
しかも治療の施しようがない患者は迷惑だと思うわ、と言うと
医師に媚びない患者さんでしか治らないと思います、と力強く激励を受けた。
医師に媚びないかぁ・・・・・とまたしても聞き慣れない言葉が止めた時間の上に重なり、
看護婦をキャバクラ嬢のように扱い、
また看護婦も玉の輿の材料や自分の立場保身のために
医師に媚びる人間ばかりを見て来て、少し疲れていたところです、と
彼女は苦笑を浮かべた。
私には無理よ、そんな芸当は・・・・・と言うと、
もし主治医から離れた場合、彼へのダメージは相当だと思いますよ、
それは患者が離れるという単純なことではなく、彼の今後の医師生命というか、
意識のある患者を診ることからでしか学べない領域があるとでもいうのか、
彼自身、意識のない患者を得意としているところにそもそも弱点が・・・・・
と言ったところで、そうね、と私は共感する部分がある意思をやんわりと伝えた。
点滴は3分の1の分量だけ減り、まだじっくりと話す時間のあることを示している。
彼はこの2年の間、何もしていないのよ。
意識のある患者には適切な検査すら、
患者である私からの指示を出しても何もできなかったことを
今にして如実にあらわしてしまったかも?
といい終わる前に、そもそも私など診ていなかったのよ、と加えた。
部位は診る、
けれど、患者自身の生活背景や部位から波及する症状の変化などには関心がなく、
ようやく体重が10kgも減少してでしか対処できなかったのだ。
しかも、投薬などの自信ない部分は、他院の医師に任せて。
私ね、彼を責める気はないのよ。
けれど、私の主治医としての資格を彼は失ったのよ。
それは私が彼の繊細な動きを見抜いているとは思わない彼の軽率さや言動の変動、
医療への姿勢に疑問を持ち始めたときから、
実際には何度も猶予を与えていたにも関わらず、
そこから脱出する時間のタイムリミットを自ら決定し、
取り返しのつかない方法で自分の首を絞めて幕閉ね。
すっきりとした心境である一方、やっぱり後味は悪いわ。
だって、彼の医師としての将来が、限界が見えてしまったようなものだもの。
この病院は問題が多過ぎる。
他にもたくさんの問題を抱えているのに、誰も真摯にそれと向き合おうとはせず、
聞く振りだけをして、実際には何も聞いてはいない。
だから同じ問題が繰り返され、まともな看護師も患者もこの病院には残ってはいかない。
挨拶ひとつできないということは、他の何ができるというのでしょう?
教育を受けない、叱咤を、注意を受けないということは、
媚を売られなければ成立しない人間関係の温床を意味し、
そのどこに改善への知恵や責任の生じる人間関係が構築するわけなどない、と
思うのです、と。
この病院に彼女を置いておくのはもったいないと思った。
彼女はまだ経験も自信もない、と言って恐縮していたが、
私にはこの病院のどの医師よりも主治医よりも、上をいっていると思えた。
だから彼女は煙たがられるのだろう、と。
理由ができた。
この病院を転院する、主治医を変更する、11月1日の他科受診を拒否する理由が。
縁が切れた音が聞こえた。
ぷつりと。
そして、対峙する岸、生きる領域の相違が明確となり、私と主治医は別離する。
意識のある人間を診ることでしか医師は学べない領域がある。
深い言葉だ。
それを放棄し続けたのは主治医であり、医師に媚びなかった私も快方への自信へと。
何かまだ目にみえはしないが、静かに、けれど確実に、動き出している音だけは聞こえる。
意識がないと思っていても実際は意識はしっかりとありますよ。
ただ目が開かないだけで、話ができないだけで、
そうした経験を私はしてきた経緯がありますから。
だから、脳死や尊厳死などといっても、生きている人間を殺すことには変わりないのですよ。