言い換えるならば
生とは死を待つ時間に過ぎない。
病もまた待つ時間であると
言えるのではないだろうか。
よく耳にするのは、
克服までに要した時間、
ある人は10年と言い、
またある人はそれ以上長い時間を示す。
生に近道がないように、
静かなるその時を迎えるにあたり、
私たちは待つ試練を
生によってもたらされているように思える。
薬物が体へ浸透する、薬物が体から脱出する、
効果を計るにしても
時間の経過を逃れられないように
私たちは設計されている。
雨があがった。
水鳥は川の水面を揺らし、
空には一筋の線を描いていく。
人生は生き急ぐ人たちへ死を譲る呼称か。
風呂に浸かり、
ぶくぶくと潜る。
オートレース場の歓声や落胆、
渋滞情報を知らせる電子掲示板、
千鳥町まで10分だ。
私は黙々と歩き、
行き交う自転車の通過を待つ。
死を譲る。
そこからようやく
生が見えてくるような気がする。
厚い雲の合間から
地上を照らす一歩の光のように、
それはどこまでも神々しい。