風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

待つ時間

2007年12月29日 13時34分44秒 | エッセイ、随筆、小説



言い換えるならば
生とは死を待つ時間に過ぎない。


病もまた待つ時間であると
言えるのではないだろうか。


よく耳にするのは、
克服までに要した時間、
ある人は10年と言い、
またある人はそれ以上長い時間を示す。


生に近道がないように、
静かなるその時を迎えるにあたり、
私たちは待つ試練を
生によってもたらされているように思える。


薬物が体へ浸透する、薬物が体から脱出する、
効果を計るにしても
時間の経過を逃れられないように
私たちは設計されている。


雨があがった。
水鳥は川の水面を揺らし、
空には一筋の線を描いていく。
人生は生き急ぐ人たちへ死を譲る呼称か。
風呂に浸かり、
ぶくぶくと潜る。


オートレース場の歓声や落胆、
渋滞情報を知らせる電子掲示板、
千鳥町まで10分だ。
私は黙々と歩き、
行き交う自転車の通過を待つ。
死を譲る。
そこからようやく
生が見えてくるような気がする。
厚い雲の合間から
地上を照らす一歩の光のように、
それはどこまでも神々しい。




白い人

2007年12月29日 11時29分22秒 | エッセイ、随筆、小説



遠藤周作著書『白い人』を読む。
深い場所へ誘われる読後感は
私の書く自信を奪い取り上げ、
同時に彼が私の期待を
決して裏切りはしないのだと
生まれてはじめて味わう類の幸福は
人間の快楽へその手を伸ばす。
本質や構造や真理に
彼は挑戦を挑んでいる。


白い人は第二次世界大戦下の
フランスを舞台に
神学生であった主人公の心身の距離や
ナチの拷問から
人間が組み込まれている快楽の本質へと
その内容は深く重い。


以前私は彼の持つ宗教背景を知ったとき、
一度は手にした書籍を
レジまで運ぶことなく
どこよりも低い積本の山へ
戻したことを思い出し悔いた。


彼の文学作品は重く深いのに
体は火照り、欲情していく様は
本物でしか成し得ない偉業だ。


私など
言葉を連ねる資格などないと
言われるまでに及ばない。
そこに至ってもいない。




気圧

2007年12月29日 09時26分23秒 | エッセイ、随筆、小説


高気圧や低気圧が
空気中の酸素濃度を変え、
私たちの自律神経レベルを
揺さぶるために
気持ちが変化する。


ウキウキしたり、
しょんぼりしたり、
わけもなく悲しい気分になるのは
気持ちが変化する以外の影響を
私たちが受けているためで
薬などでそれら生体反応を止めすぎるのは
逆に危険ではないか。
治療内容しかりだと
言えるでしょう。


体調を崩し慢性化した疾患の多くは
天候や季節に過剰に反応してしまう。
つまり日本には四季があり
その移行時や気圧の変動によって
昨日はある程度活動できたのに
今日になると寝たきり。
同じ体とは思えないくらい
反応や状況が外的要素に
左右されてしまう。


自分の体が何を求めているか。
ここにヒントが隠されていると思うのは
病から生還した人なら
深く首を縦にふるだろう。




頻脈と余脈

2007年12月29日 09時13分49秒 | エッセイ、随筆、小説



そのどちらでも
心身に問題を抱え込む。
頻脈は文字とおり
脈数が多い状態を指し、
余脈とは逆に脈数が少ない状態をいう。


免疫に関する本を友人からもらったので、
ぱらぱらとめくっていると
思いの外、役に立ちそうな内容に
予想を見事に裏切られた気分だ。
表紙がインチキくさいので
友人が読んで教えろと
私は子供のように駄々をこねて
友人の苦笑をかっていたのだから。


低体温の弊害や
血流の悪さなどといった、
一見当たり前だと思うようなことだが、
それらがわかりやすく説明され、
病気へ発展する、
または治癒しずらい
その根拠まで記されているために
私の置かれた状況から
妙に納得することが多いのだ。


たとえばの話。
体は間違った反応を起こさないことや
自然の優しさや怖さ、
代謝について、
免疫や治癒力、
呼吸や運動、食事、
興奮と抑制、
自分の自覚、
病気との向き合い方や取扱い方法、
体が消耗する治療は受けないなど
なかなか盛り沢山な内容で
ためになる。


医療の混乱は
連日の報道が伝えるとおりだが、
患者自身もインターネット情報の信憑性や
医師、治療などの精査を
真剣に考える時期ではないかと
私には思えてしまう。
それこそ感性をフル活動させ、
対症療法の肥大を
医療の呼称に
なりつつある現代では、
患者が自分の病気を知り、
体質や生活スタイルにあう
新進飛躍的な患者が
医師も医療もあっけなく変えるだろう。


体温が遺伝子の働きを支える。
自分では調整出来ない部分、
それが体の基礎を成していることを
病むことで思い出のだ。


この世にはわからないことが多い。
宇宙のしくみもからだのはたらきも
わかったふりをする医療者に
自分の命を預けるのか否か、
わからないなりに歩む姿勢は
医療者の誠実さと関係する。


私たち患者にも変換が必要だ。
病いの本質、
自分の傾向を知り、
情報を精査することが
治癒の第一歩だろう。




浅草寺

2007年12月28日 15時02分55秒 | エッセイ、随筆、小説



札を納め今年一年のご挨拶を。
贔屓の簪屋や着物屋や手拭屋にて
注文していた年賀の品は
やはりどこからともなく
かほるのは江戸情緒、
私は浅草の粋さが好きだ。


普段使いとはいえ
着物にて正装すると
心身が引き締まるせいか、
心なし自分が別人のように
振る舞いが違ってくる。


来年元旦は
それなりの方々とご一緒するため、
失礼ないように小物にまで
気を行き届かせる。
なんとも健気だ。


浅草への挨拶はこれにて終了。
新しい年がすぐそこで
足音を響かせている。




和解

2007年12月27日 21時30分20秒 | エッセイ、随筆、小説



会社協議を取り仕切る代理人から
ベルギーワッフルを口に含んだと同時に
連絡が入る。


今まで無視し続けた
本社側弁護士が登場し、
子会社弁護士と内輪もめしていたと
代理人は経過報告にあてた。


予定よりも高額な和解金額を提示、
明日、調印日時が決まる。


同日、起訴処分決定、
また某庁の責任者との面談が
実現する。


長く苦しい道のりが
ようやく終焉のときを
迎えはじめている。





うまい養命酒

2007年12月27日 21時22分03秒 | エッセイ、随筆、小説



体質が変化している実感がある。
一滴も酒の飲めない私が
養命酒は日に何度も
手酌でぐぴぐぴやっている。


なにげに養命酒は14%のアルコール度数。
私にとっては
決して弱い酒ではない。
が、酒の好きな人の気持ちが
ようやく理解できるような気がする。
なにしろうまいのだから。


体はぽかぽかするし、
体調は崩れないし、
この先ずっとお世話になろうと思う。
明日は大掃除の続きをしたら、
養命酒の買い出しだ。
いくらするのか知らないが、
私との相性は抜群によい。
疲れがたまると首は相変わらず痛むが
昨日は鎌倉まで行き、
その後、約束をこなして
帰宅後は掃除を済ませた。
今朝も早くから起きて
掃除と部屋の模様替えをこなしても
体力が奪われることがない。
年末によい兆候があらわれている。


恐るべし養命酒。
体が快復する。
緩やかな坂道を上っていくように
1日1日が明るい光で照らされていくようだ。


しめしめ。
長い時間を耐えてきた褒美。
快復と同時に
酒が飲める体質に変われ。
勝負したい輩がたくさんいるのだもの。





2003年の電子メール

2007年12月27日 20時49分47秒 | エッセイ、随筆、小説



ドキドキした。
恥ずかしい。
まさか‥‥と思った。
何でこんな恥ずかしい内容のメールを
私は真剣に書いているのだ?
大好きな人。
仕事も遊びも一生懸命で
私が尊敬する日本男児だ。


年齢は離れているけれど、
何かあると私はこの人に
いろいろな話をしてきたのだと
あらためて思った。


職場に恵まれず、
給与や待遇に女性差別を受けるたびに
何度となく慰めてもらった
思い出が浮かぶ。


今年と来年、
最後と最初を彼の仲間たちと
私も同席することになった。
今日の大掃除でみつけた
思い出の電子メール、
縁とは優しくて
なかなかミステリアスで
泣いたり笑ったりを繰り返して
毎日を過ごす贈り物みたいだ。


次回は恋人のように
都会のスーパー前で待ち合わせしている。
さて、どんな顔をして
私は会えばよいのだ?


うきうき、どきどきだ。




クリシュナ

2007年12月27日 09時48分30秒 | エッセイ、随筆、小説



ヒンドゥー教における三位一体とは、
ブラーマ、シバ、ウ゛ィシュヌ
三体を意味します。


愛による癒しの力を
見くびってはならない。
愛とはどんな海よりも深く
いかなる種類の境界線も障壁も
存在しない。
愛の力を永遠に続く
あなたの精神の中で
育みなさい。
いくら使っても
あなたに宿った愛が
涸れることはないからだ。
あなたのまわりのすべてに
愛を注ぐこと。
惜しみなく愛情を注ぐことによって、
あなたは想像するよりも
はるかに多くのものを
得ることになるのです。


クリシュナは喜びと幸福を
もたらしてくれる存在。
語りかけてくる言葉が
温かく、柔らかい。




北鎌倉、円覚寺にて

2007年12月26日 17時02分08秒 | エッセイ、随筆、小説



北条貞時公の命日。
ひっそりした寺内は、
若い修行僧が黙々と新年を迎えるために
掃除に精を出している。


私は自分の墓を探すような心境で
久しぶりに、また突発的に訪れた場所へ陶酔し、
しばし時間の経過を忘れている。
いや、時空を超越した懐かしさに包まれ
肌上を撫でる冬風にあそばれ、
遠い昔に想いを馳せている。


茶をたのしむ。
故人を偲ぶ。
白檀のかほりが
着物を召さなかった今日の私に悔を
こそこそと耳打ちして
残念なことをしたわねと
哀れんでいるようだ。


祖母が亡くなった日も
私はここで佇み
すべてを預けていた。
枯葉と風の乾いたユニゾンは
1200年代から届く音を奏でるたび
北条の時を幸せそうに
ここに運んでくるようだ。


帰路、某庁からの連絡。
物事が年内に動く。