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風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

エンジェルナンバー 444

2007年10月24日 11時21分12秒 | 低髄液圧症候群








この瞬間、何千もの天使があなたを囲み、愛し、サポートしてくれています。

あなたにはとても強く、はっきりとした天使界とのつながりがあり、

あなた自身がアース・エンジェルです。

恐れることは何もありません。

すべてがうまくいっています。




エンジェルナンバー「444」より







 

 

スピリチュアルという呼称が日本人に定着したのはいつなのだろう?

私には数年前、つまり、NY同時多発テロあたりから、夢見やナンバープレート、

日時や出会う人の誕生日などから、

その背後に隠された暗号のお知らせが届くようになった。

そして、それはずっと以前から届いていたものだが

私は気に留めることもなく、意味など考えるこそさえせず、3年前まで過ごしてきた。

もっといえば、思考はあるものの、無理やり停止させられた状況で、

その先へ辿り着こうと努力するものの、忙殺をこなすだけの毎日が何年も流れ、

このままでは・・・・・と思いながらも、このままから脱する術を持たず、

年齢だけ無意味に重ねた。

思考の停止を活動へ切り替えるために、逆に体に不具合が生じた。











ぐったりと。

疲れてしまったのだろうか?

検査をし尽くしていないことにすら気付けず、

それを主治医に訴えてはきたものの、

そのタイミングで私の交通事故が刑事事件として再考される事案へ戻され、

検事から「検査をし尽くしていないぞ」と指摘されること、

相手側の弁護士が介入、主治医が移動する可能性が高くなり、

再度ゼロから、要は検査などが行え判断できる大学病院検索となった経緯から

疲れてしまったのだろうか?









どうしても気が進まないのは許容を超えているからだろうか?

ひどく疲れてしまっていて、考えが、何から手をつけていいものかが

まったくまとまらない。

ある病気ですでに医療放棄した作家さんから受話器向こう側で言われた言葉、

「医療になにを求めているの? 

求めているあなたが間違っているのよ。

状況は質の低下にもあるし、西洋医学になど、そもそも何ができて、何がわかるというの?

そんなものを書いて、誰が読もうと思うのかしら?

甘いわ・・・・・」と。

私はショックだった。

そして、外リンパ漏と診断された知人も、医療放棄を決断した。

それは私たち疾患同様、髄液に関与するもので、

開耳手術をしても完治しないのだと他患者の状況を調べた結果、痛感したのだという。

医療に疲れてしまった者たちは、放棄以外の選択がないことをあらためて痛感し、

私にもそうして放棄せざるを得ない状況が待ち構えているのかと思うと、

恐怖と絶望が新たに忍んでくるように思え、気力が一気に消失した。

溢れかえる情報から、最善を精査する作業は想像以上に体力を消耗させる。

起き上がれないほどに。







この瞬間、何千もの天使があなたを囲み、愛し、サポートしてくれています。

あなたにはとても強く、はっきりとした天使界とのつながりがあり、

あなた自身がアース・エンジェルです。

恐れることは何もありません。

すべてがうまくいっています。






そう信じるしかない。

人間が生きていく上で、信じるものは勇気を与える。

そして、いかなる困難にも立ち向かい、克服する力を与えてくれる。

もちろん、それは信じるもの正しく、自身の生き様が問われるという条件付だが。







脳脊髄の高低や漏れに関わる医療や社会の取り巻きは複雑で、

医者にもわからないことは患者でしかわからないのだ。

経験した者たちが正見し合うことで、知恵が生まれ、現状が変化することを希ってやまない。







 


本当の病名

2007年08月11日 15時28分35秒 | 低髄液圧症候群






 

治療を行う病院への受診を繰り返してきたある患者たちから連絡が入った。

その方々も自分が「低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)」であると、

長年に渡り信じていた。






私との症状の比較質問がときどき電子メールで届く。

そうした症状は私とは相違します、と返信した記憶しか私には実はない。

けれど「多様な症状が低髄圧液症候群の特徴である」ことを理由に、

医者のように自分の病名を判断し、

その診断ができない医師や治療を行わない病院や

保険診療を行わない厚生労働省を「悪」とする発言に終始していた。






治るのであれば誰かを批判する意義があるかもしれない。

けれど、そうでない場合、私には興味のないことだとして、

連絡の一切を拒否してきた経緯が

ここでは語り尽くせない理由があるためだとご理解いただきたい。







久しぶりに届いたメールには別の病名が記されていた。

今まであれだけ騒ぎ、医者や病院や厚生労働省を悪としてきたことなど

何もなかったかのように、

そして、私の忠告に耳を傾けることなく、

私にまで非難の矛先を向けてきたのに、だ。







一度、振り出しに戻ること、誤診を疑ってみること、

学閥の違う医師に助言を求めること、

3名以上の医師の意見を参考にするなど真剣に伝えてきたつもりであったが、

その時間の多くは意味を成さない性質を持った人であったため、

最終的には連絡をしないで欲しい、と伝えるのが精一杯だった。





私は医療を必要とする身になったとき、

疑うことを放棄した場合の恐怖、依存の先にあるものを

少なくとも垣間見てきたつもりでいる。

なぜ快方できる人とそうではない人がいるのか、

その差はなにが問題となり得るのか、

いつかその詳細を書く機会に恵まれるだろう日の訪れを信じている。





本当の病名が判明したとき、

それまでの医療は医療として成立するのであろうか。

逆にそこが今後は批判の的となりさらし者にされるのか。





私は私の道によって、気長に快方を見込める道を選んだ。

それは、生への希求ではなく、ただ複雑な取り巻きに

巻き込まれたくないだけだ。