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風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

病院の差異

2008年07月09日 11時13分33秒 | 医療




診療情報(カルテ)とレントゲンやMRI画像のコピーが欲しい旨、連絡をとる。
その時点で病院側の対応の差、
たとえば、初診時がまったく違う日時にされていたり、
高額な料金を請求することになり兼ねません・・・と言って、相手の躊躇を促すものなど、様々。

金額に関しては「まったく問題ありません」と伝えた。
そして、不正を行っていた病院は即答を避けるのが精一杯で、
受話器の向こう側で慌てている様子が見て取れる。
なんども保留にされ、対応もずさんそのものでしかない。

逆に、自信のある病院は「これから本人確認をしていただき、手続きに入りたい」と伝えると
快諾してくれる。
それが病院の、姿勢の、人間の差となる。






医療、和解への第一歩

2008年07月07日 16時26分20秒 | 医療





医療を必要とする身になって久しい私が、同時に医療不信に陥っていった。
今まで風邪もひいたことがなく、さして薬を飲んだ経験のない私だったが、
ここまで深く“医療と関わる”とは思っていず、
深く“医療を考えさせられる”とも予想していない事態だった。

一度、不具合を抱えてしまうと、社会から放り出されてしまう現実を知り、
社内では自分の机脇にベッドを置いて、寝起きをしながら仕事を継続する以外、
収入を得る方法がなかった。

収入がなくなるということは、娘を路頭に迷わす。
と同時に、いつ支払われるかわからない医療費の立替すら、できなくなる。
それは、生きながらにして死を意味する。
被害者なのに、次々と人生を突きつけられていく毎日に、
この世の不条理を味わい、それが通り過ぎるのをひたすら待つ以外、
道がないことを思い知った。

日本でも屈指の、某大学病院から連絡が入った。
医療者と患者という関係においては、否が応でも患者は“弱者”になってしまう。
弱者となった私は、すでに自分の力では歩けず、呼吸すら困難な状況でありながら、
診察室から追い出される羽目に。

「わからないので、他病院で診てもらえ」と。
実際には病院から締め出しをくらったかたちになった。
そして、私は車椅子に座ったまま呼吸困難を起こし、
その病院の救急に運ばれ、若い医師たちに救われた。

もちろん、憤りを感じなかったわけではない。
怒りも、敵意も、普通の人間と同様に感じ続けてきた。
が、対立ではなく共存の道がないものかと模索する中で、
医師たちの置かれた厳しい現実、
また、不調を抱えた上で生きざるを得ない者たちの間には温度差があり、
それをどうにか埋めることができないのか、と考えるようになった。

それは現主治医である医師のひとこと、
「あなただから許すことができるのだ」という励ましであったし、
盟友の「容赦」という言葉が、私の血や骨や肉となって、
私の鎮魂を手助けしてくれた結果となって、今に至る。

大学病院からの連絡に話は戻るが、
詳細を話し、それに異論がなければ、私は今後、一切の連絡は必要ないと伝えた。
が、事実関係を再度調査し、誰が考えても医療機関が行う行為でなかったと思うのであれば
今後の医療のために、今の、これからの医師や患者のために
お互いにとって共存できる道の模索、最善を尽くしましょう、と言って受話器を置いた。

ここまでは長い道のりだった。
そして、ひとりでは歩めない道でもあった。

深謝





医療という表現

2008年05月25日 20時46分32秒 | 医療





今、ある医療講座を受けている。
が、そこで「医療を受ける」とはイコール「ガン治療」を指しているのであって、
他の疾患についてはどこか置いてけ堀をくらっている印象を受ける。
もちろん、それだけではないだろうし、
その大学講座に通う生徒の背景もさまざまだから大変だと講師は漏らしていたが、
“具体的な医療を受ける”または“具体的に医療機関を探す”場合、
ガンであるか否か・・・・・は根本から視点が違ってしまう。
おそらく、その中でも『急性期』のものと『慢性期』のものでは内容が相違して
一概には“医療”が語れない状況をつくっているのでは?と思わざるにはいられなかった。


元看護婦だという方が講師への質問の回答に割って入ってきて
“医療機関の質の判断の仕方”を説明してくれるたのだけど、
そんなことは医療機関を必要とする以前の問題で、
実際に“医療機関を探さなければならない状況下”では役に立つものとはかけ離れていたので
私は質問したことをすこし後悔していた。
正直、医療を受ける側にとって「今」役立つ内容でなければ
講座を取る意味まで考えてしまう有様だった。
そうでなければおそらく医療に関心を持つことなど私はなかっただろうと思うほどだ。


今日において、医療が注目される理由にはさまざまな問題が
患者自身には“お任せ医療”ではなくて、自分の大切な身体なのだから
それを自分で把握し意思決定するという流れが主流だけれど、
では実際にそのような情報開示が本当になされているのか?といえば私の感想はNOだ。


カルテや画像が入手しやすいということと医療情報が開示されているのかが混同されやすいが
私の例をとってみても、画像判断は同じものを診ても一様ではなかったし(10人以上の医師)
説明は180度異なる場合も多かった。
そうなると、だから自分で意思決定するのが大切だといわれそうだけれど、
診断という出発点がそもそも複雑に、多方面に、
医師の見解がごちゃごちゃと混ぜこぜの場合は
その情報を基本に物事を考えることすら無理が生じるのではないか?と
私なんかは物事を斜に構えて、素直にはみることは到底できな
くなるのだが。


意思決定させることで自身を納得させる効果は十二分にあると思うのだけれど、
それは医療の進歩というよりも訴訟を起こさせないための
同意に過ぎないように思えてしまうほど
私は医療不信なのだと自覚すると、なんだか残念な気がした。


私が医療不信に陥るきっかけになった医師はひとりではない。
その元凶になった理由を問われたら、
そこには脅迫や病院側の儲け主義や誤診など
あげたらきりがないのだけれど、
講義を受けながらだらだらとそんなことを考えながら、
医療放棄できる日がはやくくればいいと祈るしかなかった。


ここ最近、医療についてばかり(ここ最近ばかりではないが)書いていると
医療について書かずに済んで、そこに視点がいかないようになればいいと
希うような心境になるのは、なぜだろう・・・・

 


 


本当の医療者を探す

2008年05月23日 14時07分40秒 | 医療




諦めるか、我慢し続けるか、それともこっちから三行半を突きつけ医療放棄するか、
死を宣告される急性期疾患でない場合、
つまり、慢性期に移行した疾患を持つ者にとって
上記のうち、そのどれかがあてはまる経験を誰しもが持っているのではないだろうか?
もちろん、主治医に満足をして・・・という場合もあるだろうが、
それは本当に稀なことで、医療の判断をする根本的な部分が
患者の中で相違する結果に過ぎないように私には思えるのだが・・・・・

問い合わせをする。
すぐに返信が届く病院もあれば、届かない場合もある。
返信が届くことにはもちろん感謝の気持ちを持っている。
でも・・・なのだ。
だからといってではいい病院なのか・・・といえばそれは別次元の話であって、
患者(=利益)を取り込みたいとの策略が見え見えの場合もあれば、
最初から医療側が患者を支配下に置く姿勢の言動や、
精神的な病名がつきそうな症状を主訴にする場合、
「養育歴が・・・」「家庭環境が・・・」と、
そこに問題が集約されてしまうことに違和感を持つ。

養育歴や家庭環境などが大切である・・・を私は否定する気持ちは一切ない。
けれど、何十年も前から重度の精神障害を抱えて苦しんでいる知人は
代議士の息子であるし、帰国子女という場合も決して少なくはない。
そういう人たちは両親が揃っているし、経済的にも恵まれすぎているし、
30歳を越えた今でも、親の買ってくれたマンションに住み、
親のカードで買い物をしている。

養育歴=父子・母子家庭や生活困窮者を連想させるような表現は
「だからやっぱり・・・」と世論の同意を得やすい。
犯罪者を生み出すといわれる背景も同様の傾向が強いように思うのだが、
実際はそれは当てはまらない場合の方がほとんどであるし、
逆の場合の人格形成に問題がないとも言えないのだから、
人間すべてを同一に、
家族構成で言い切ってしまう危うさを感じるのは私だけではないと思うのだが。

さて、病院情報をすこしでも集めようと思いインターネットで検索した際、
少々驚く書き込みと遭遇して、
人の解釈を片方から見ると危険だと痛感させられたのだった。
それは以前、
通院していた病院のある医師が「名医」として患者に絶賛されていたためで
私は一瞬、別人か?とも思ったのだが、
診療科目も得意とする手術名も間違っていなかったので
名医とされた医師の基本情報としては間違っていないのだと判断した。

でも、そこに私が違和感を持ったのは他でもなく、
患者は医師のどこをみて「いい医者」「悪い医者」であるか、
また「いい医療機関」「悪い医療機関」であるかの視点が
あまりにもかけ離れている現実だった。
そこで「名医」とされている医師はケアルームで患者の悪口を大声で言う人物だったし、
救急搬送されてきた年配の女性に対して
「うつ病だからここには来るな!」と怒鳴り散らしていた。

それを見ていた病院関係者たちは泣き崩れる女性に
手も差し伸べなかった出来事に私たちケアルームにいた患者たちは戸惑いを露にした。
それは明日は我が身であるし、
見るからに気力体力の落ちた女性に対する発言ではないと感じたからだろう。

きっと、私は毎日通院していたからこそ、
違った視点で見ざるを得ない環境や毎日の出来事を目撃する機会に恵まれたのだろうが、
少なくともネットに情報を掲載、しかも、病院名や医師名を記載する側について、
それは「いい病院」などとランキング形式で書籍を出版する会社にもいえるのだろうが、
どこかしっくりとこない感情を抱き、後味の悪さだけが舌上に残る。

病院や長い付き合いのできる主治医となるドクターとめぐり合うのは至難の技だ。
でも医療を受ける側にも事前にできることがあるとするならば、
それは冷静な判断ができる人が情報を精査し吟味し、
まず患者となる者を護る以外に他方法はないように思う。

医療側と同様、医療を受ける側も一方的な事情を押し付けるのではなく、
主張しすぎるのではなく、
医師の立場を尊重しながら、信頼できる関係を築く。
医師や医療側と患者の“治療同盟”だと主治医の言葉を盟友から教えてもらったとき、
「本当の医療者」とは人格者でなければ成立しないのだと考えるに至った。

どの世界でもいえることなのだろうが、
プロほど自分をプロだとは主張しない。
プロではない者ほど、自分をプロだといい、自己評価が高く、
絶対という言葉をくり返し使うのだと感じる。

つらつらと独り言のような言葉を並べながら思うのは、
本当は誰も強者でなければ弱者でもないにもかかわらず、
それをつくりだすことである意味、均等が取れるように設計されているのが
人間そのものではないか?と結論に至った。
だからどうした?と言われてしまえば、それでお終いなのだが・・・・・・









推測の医療

2008年04月17日 13時05分58秒 | 医療






推測という言葉はここでは使えないはずだ。
なのに、それが当然のように文字として記されている。
私は「今の私」から推測して、遡って、病状うんぬんと診断書を書いて欲しいなど
依頼した記憶はないからだ。
事実、私は検査によって発作をくり返すようになり、
その発作によって、救急搬送や外来にもお世話になる結果を招いた。
歩けなくなって、車椅子に乗って、診察を受けたとき、
担当医は部位すら診ようとはしなかった。
あの日、私が苦しいと言っても目すら合わせなかった。
診療情報が乏しい中での応対などとはまっかな嘘で、
私は主治医に今の状況を伝えますか?との看護師からの質問には
いつだってYESと答えてきた。
しかも、担当した医師たちは電話連絡にて、主治医の指示を仰いでいたし、
そのように説明を受けていた。
だから、円滑な診療提供ができなかったのではなくて、
はじめからしようとはしなかった、これが事実なのだ。

私が診療に納得をしていないと誤解されているのだと痛感した。
納得をしていないのではなくて、疑問が払拭できないだけのことだ。
なにも求めてはいない。
またなにも期待していない。
でもどうしてなのだろう?
医療とはどうしてこんなにも悲しいものなのだろうか。

某大学病院での一連の出来事、私の体調悪化を診断書として作成する場合は
不具合の一因である医師の診察を再度受け、
診断書作成の依頼を直に申し入れ、
足労するのが条件だと書かれている。
それは当然だろう。
でも、もう一方ではそこまで患者に負担を強いることがなぜ平然とできるのか、
つまり、心身においても金銭的な面でも、
はじめから誠意のある対応をしていれば、
無駄な時間も金銭も浪費する必要もなければ、
無駄に傷を受ける者を出すこともなかったと思う。

はじめからある疾患についてのみ検査・診断を希望していたのではなく、
全体としての不具合の現状を知りたかっただけなのに、
それすらできないのが今の日本の医療なのだろうか?
それが医療の限界なのだろうか?

医師にも意見はあるだろう、反論も抗議も。
でもそれができるのは、すべての医師だとは私は思っていない。
それができる医師は、患者を部位として診ず、人間全体として取り扱い、
患者に寄り添う覚悟のある医師だけだ。
それが私の推測で、私が認めざるを得ない敗北なのだろう。

 




 


過去と現在

2008年04月10日 18時31分15秒 | 医療




ようやく交通事故処理ができる。
刑事・民事共に、事故発生からすでに3年半が経過、本当に長い道のりだった。
なぜこんなに時間が必要なのだろうか、という疑問はとりあえず脇に置いておくことにする。

私は主治医から「事故前の生活や性格」を再度聞かれ、自分のことながら客観的に回答した。
追記として「日本にいると自分が外人のような感覚が強く、日本での出来事が衝撃であること、
逆に海外にいると、ようやく自分が自分らしく、他者からも認知されているようで心地がよい」と伝えた。

社会適応能力という言葉が何度かくり返されたあと、
不適応状態である事実、やっぱりだった。
それが交通事故を契機にした出来事が発症の原因として立証することが
それだけ困難を要するものか、我ながら考えさせられた。
また、ここに辿り着くまでにどれだけの人が泣き寝入りを強いられたり、
諦めざるを得ない状況を経験しているのだろうと思うと、本当に心が痛んだ。

現在と過去、
どちらが幸せか否かなど量るものではないし、できることでもない。
けれど、多少でもそれを経験した自分が、すこし成長したように誇らしげに映る。


※いろいろな方の恩恵によって今に至っていることをあらためて感謝申し上げます。 
 ありがとうございます。

 

 


華奢な身体

2008年04月09日 21時36分18秒 | 医療

 

 

主治医が私の脈を確認したあと内臓の調子を診ながら言う。
「こんな華奢な骨をしているのに、今まで目一杯頑張り続けてきた印象を受けますよ」と。
私は「骨や内臓を触って人生が読めるのですか?」と尋ねる。
「生まれてから今まで誰にも甘えずに頑張ってきたのだから、
自分で自分を甘やかしていいのですよ」と主治医は続ける。


誰に甘えてきたのだろう?と考えた。
人よりもずば抜けていい思いをしてきたか、それとも逆の、苦難だろうという道を好んで選択した。
けれど、甘えられた人を挙げなさい、と言われたら、数名の友人が頭に浮かんだが、
それ以外はこれといって思いつかなかった。
もちろん、今まで付き合ってきた男たちは全滅。
だからといって関係がどうの・・・ということではなくて、
今でも友達として付き合いが継続している人は何人もいるし、
だからといって男とちゃんと付き合ってきたのだろうか?と自問したとき、
私は口ごもって、もごもごしてしまう。
つまり、答えられないのだ。


今日はクリニックで「診断書を書くにあたって生育歴を再度確認する」作業を行った。
なぜ結婚しなかったのですか? 
それでもなぜ、ひとりで子供を産み育てようとしたのですか?とカウンセラーに尋ねられたとき、
一生添い遂げられる相手ではないと思ったこと、
それと子供の出産如何は私にとって関係のなかったことと回答した。
我ながら21歳という年齢ですごい決断をひとりで行ったのだなぁ~と感心した。
「すごい人生を歩んでいますね?」とカウンセラーにコメントを求めると、
「ある意味、『らしい』かもしれませんよ!」と彼女は笑った。


じっとしていられない性格なのではなくて、じっとしてこれなかった環境だったのだと思った。
それは今も継続していることで、自分でどうにかしなければならないからこそ
甘えるという行為が苦手で、どうすれば甘えられるのかもよくわかっていないし、
甘えたい立場である今の私に、甘える立場でない人が甘えようと擦り寄ってくる。
それはよくない。


もし彼氏ができたとき、その人と結婚しようがしまいが添い遂げられると思えた相手なら
甘えるという行為を存分に味わってみたいと想像したら、
クリニックの待合室でにやついてしまった。
交通事故処理もゴールがみえてきた。
もうこれが終わったら頑張るものか。
自分との約束だ。
華奢な身体らしく、もっと弱々しく生きてやる!





あったらいいな~ シェルター

2007年11月19日 19時36分41秒 | 医療







これからの医療を考えた被害者救済に特化したシェルターがあればいいなぁ~と

最近しみじみ思う。

寒いから、日が暮れるのが早いから、心細いから、理由を挙げればきりがなさそうな気配。

今日は私側弁護士○○氏と接見し、今後の対応について協議した。

やはり・・・予感は的中し一から検査のやり直しになった。

もう病院は嫌なんだよなぁ~~~

その結果がなければ病院の情報漏洩が医療過誤も闘えないとくれば

早速、明日は権威ある某大学病院へ予約を入れることにしよう。

また痛い目に遭ったり、嫌な目に遭いませんように・・・・・祈るしかない。

そこの判断であれば裁判でも尊重されると思いますよ、と○○弁護士に言われた。

やっぱり、病院選びは大切なのだと今更ながらに痛感する。






こんな窮屈で不条理な国など捨てて外国へ逃避だ~~~と今でも強く思ってはいるものの、

この国にシェルターがあれば・・・とも考えるようになった。

女性の立場を代弁させてもらえるならば、家事や育児、私の場合は大黒柱と荷が重い。

その中で交通事故に遭う、被害に遭うとなったとき、家族は崩壊の危機にさらされる。

無理なのだ。

ひとりですべてをまかなうなど。

けれど、この国には駆け込み寺はもはや存在しない?

シェルターがあれば、一時避難をさせてもらいながら、

知恵を借り、英知を養うのに、と私の頭からそれが離れなくなってしまった。

どうしてもそれを私が必要としているからだろうとは思いつつも、

シェルターに近い存在の施設が環境のいい場所にできれば、

療養の役目も、社会復帰への自信へもつながるのになぁ~と思った。

そこで現金収入を得ながら、体調のよいときは仕事を手伝いながら、

徐々に社会や人の輪に馴染んでいくというのが狙いなのだが。






私が留学先に考えているサンタモニカにある友人の会社はまさにシェルターの役割りだ。

全米はもとより、彼らはシェルターを必要とする人々の国へでかけ、

救済の手助けをしている。

そのすごさといったら

自己満足にしか過ぎないボランティアで収まらないところが

彼らの強みであり信頼できる要素かもしれないと私には思えたりもする。

人間が回帰できる場所は今後必要となっていくのだろう。

私たち自身が勉強すれば、医療従事者も各関係者もおちおちしていられなくなるはずだ。







シェルターの役割りを担う社会起業であればやってみたいと思う。

アメリカの友人と連携もできるし、困窮する人たちの役にも立つことができる。

盟友、ちょっと考えてみないかい?



 

 


PTSD

2007年11月13日 19時32分02秒 | 医療

 



 

はじめに・・・・・・



 

PTSD; Post-traumatic stress

心的外傷後ストレス障害しんてきがいしょうごストレスしょうがい、disorder)とは、

心に加えられた衝撃的な傷が元となり、後に様々なストレス障害を引き起こす疾患の事である。

心の傷は、心的外傷又はトラウマ

(本来は単に外傷の意だが日本では心的外傷として使用される場合が殆どである)と呼ばれる。

トラウマには事故・災害時の急性トラウマと、虐待など繰り返し加害される慢性の心理的外傷がある。

地震洪水火事のような災害、または事故戦争といった人災や、テロ監禁虐待強姦など

犯罪による被害によって生じる。

 

予後としてのPTSDは、内に永続的な変化をもたらす。

特に
成長途中におきれば、脳の成長にダメージが加わり、

人格形成に破壊的な影響を及ぼす。

成人の場合でも、原因となった刺激があまりにも強すぎた場合、廃人となり、

一生涯、
食事も一人では取れなくなるなど生活に

重度の支障を来す場合も起きうる。

PTSDにおける回復とは、事件を繰り返し整理し、

異常な状況や事件を思い出すことによる無力感や

生々しい苦痛に襲われなくなる状況や、それに強く影響されず、

最低限の生活ができるようになった状況を指す。

しかし、後遺症としてストレスホルモンによる海馬の萎縮、

脳機能の低下が起きているので、

この記憶処理作業には大変な困難がつきまとう。

扁桃体の興奮によって「焼き付けられた異常」の処理は難しい。






参考文献:ウィキペディアフリー辞典より






 


そりゃそうだ。

どいつもこいつも寄って集って。






今はひとりだけとなった主治医は微笑を浮かべこう言う。

「自信のない人ほど脅迫したり、大きな声を出したり、

女性特有の・・・で片付ける。

それは身体を診ているだけであって、

たとえば、その人自身や症状や他の背景を診ていないからこそ

おばけなのですよ」と。

『おばけって私がですか?』と首を傾げると、

「その場合、強烈な拒絶反応が起きるか、無視するか、非難するかのどれか、

医師側の症状が現れるはずですよ」と言う。

そのとおり、私の場合、前主治医はそのすべての症状が出現して、

私を切り捨てにかかった。

そういえば・・・・と思い出したのは、

確か今日のニュースで全盲の患者を病院側が公園に放置したとか。

私はまだ自分で主張できるからいいものの、

障害を持った人への対応がここまで劣悪になったかと思うと、

もはや人間は人間ではなく、

その人たちにとっては物もしくは以下なのだと痛感した。

交通事故後3年以内に自殺する被害者があまりにも多い事実に

うろたえてしまった。

そして、自殺した者ほど判例がより厳しい結果、

つまり、自殺と事故の因果関係を認めないとする判決が少数ではあるものの存在し、

どれだけの被害者を生めば司法は変わるのかと思うと、

正直背筋が凍る思いがした。

やはり、死んではいけないのだ。

被害者なら、他者の行為で弱者へ一転した者はなおのこと。








PTSDとは一時、阪神淡路大震災時のときに頻繁に聞かれた言葉で、

NY同時多発テロの際も、国際電話をかけてくる友人たちからこの4文字、

PTSDという言葉をよく耳にした記憶がある。

私は交通事故時の外傷により、その後の劣悪な対応の連続によって、

日本の男たち、特にサラリーマン風の風貌が恐怖の的になってしまっているため、

極度の緊張状態となり、地下鉄内でもおちおちしていられなくなる。

それは会社内で起きた障害への無理解にも通じるのだろうし、

対応する人たちがすべて組織の人間だったということにも所以しているだろう。

なにはともあれ、嫌で仕方ないのだ。

日本の男特有の、卑怯さや傲慢な態度が。

腐った人間たちが押し付けてくる「常識」というやつが

私には反吐が出る対象であり、

私という内面の湖底から嫌悪を引き出す以外、

ポジティブな作用はなにひとつ起こさない。

ここまで日本嫌いになってしまった、と言うと主治医は、

「交通事故被害以外でも余計なことでずいぶん傷付けられてきましたからね」と。

この一言にどれだけ救われただろう。

私の個人情報を紛失したと平常で言う元主治医へ言いたい。

勉強しにこい。

さもなければ医学部から出直せ。

身体の部位だけを診て、教科書にだけ頼っていても、

医道は身に付かない。

それでは患者を苦しめることはあっても

患者の望む医療など提供できるわけがない。






ある患者からのメールには私がPTSDではない、とあった。

その根拠は「メールの文面が明るいから」だそうだ。

根拠のないことを言う医師がいるかと思えば、

根拠のないことを言う患者もいる。

どちらも不安からそうした発言になるのだろうが、

静かに、そっとしておいて欲しい、私はそう願うだけだ。




 



 


無尽蔵のNarrative

2007年11月07日 17時02分05秒 | 医療




 



自分でもよくわからないのよ、何が起こったのか・・・・・と友人に話すと、

医療過誤どころの問題じゃない、と言われた。

なんだか狐につままれたみたいな状況で、

まだ事の本質を理解できていないのかもしれない、と私は答えた。

それ以外、答えようがなかったし、

言葉が浮かんでも発する前に消えてなくなってしまうためだ。

シャボン玉みたいに存在の危ういものは、

七色に、自在に、見る者によって色彩を変化させる。

けれど、実際には何色であるかを答えられる人はいない、私の疾患のように。







本当は何の疾患で、何のために経過観察をしていたのだろう?

私は自分のことなのに、答えることができない。

医師の二転三転する説明や診断書による疾患名の変化に伴って混乱していたのだろうし、

最終的に『医療の限界』だといわれても類似する疾患を否定するための検査すら怠っていた。

沸点または氷点に達するまでの間、火にかけるわけではないし、冷蔵庫に入れたわけでも。

なぜ、怠っていた検査を棚上げし、限界などと言って物事を済ませようとしているのだ?

ひとつだけ明確なことは、交通事故外傷後の重篤な症状をみていたにもかかわらず、

医師は傍観していただけで、何も行っていなかったという事実だ。

健康を著しく脅かされた私は、すごいことになったものだと他人事のように唸った。

どうしてくれるのだ? と娘は言うけれど、

私は思う。

よくぞ1年半もの間、心を凍らせたまま、診察できたと逆に感心の的なのだ。

尋常じゃねぇ~、そして、やはり外科医は気ちがいなのか?

外科医である本人が言っていたように。







無尽蔵とはいくら取ってもなくならないこと、またはそのさまを意味している。

広くて尽きることのない徳を内包する蔵、すなわち、仏教のことだ。

慈悲の精神を求める私が間違っているのだろうか?

死と向き合わせ、生の質が低下することも覚悟しろと脅かされてきたのだ。

私は告知されたすべてが受容の厳しい旨をこの主治医と議論した過去があり、現在がある。

血をみたいだけなのだろうか?

しかも、見えない血は嗅覚を擽らず、どろどろとした緋色の血液を目にしないかぎり、

彼の興奮は、欲情は、満たし、埋めることはできないというのか?

この類の欠如は人間性に乏しいでは済まされないそれこそ重大な疾患であると同時に、

凍りついた心は、北極が解氷の危機にさらされているというのに、

ここではますます氷の層を厚くするだけで、熱湯をかけてもびくともしそうにない。







Narrativeとは物語のこと、話術、語り口とでも表現できるだろうか。

私はこの事実を語るとき、火曜サスペンスよりも出来すぎていて主人公が自分であるのに

台本を渡されなかった俳優だったのか?

いいや、渡されていた台本はいつの間にかに書き換えられてしまって、

演じる前にすでに物語は終わってしまったようだ。

しかも、終焉を迎えたことだけは理解できていても、

何が起こったのかはまだ把握しかねている。

無尽蔵のNarrative 、昨夜の夢見で大まかな明日は理解できたのだが・・・・・・