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言無展事

徒然に禅語など。

2件目

2007年11月30日 17時29分47秒 | Weblog
だめだ、このままでは今月はたった1件の更新になってしまう。。。
せめて2件。。そのために残された時間は数時間、さて何を書くか?

と思っても、そんな動機で引けるどんな言葉も、私にはないのではないか。
もともと難しい人間だし、そもそもが難しい世界なのだ。
何かを何かで語って、それが何だと言うのか。
言無展事の蟻地獄。
あ、そんな時にぴったりな言葉が。。

「Pfui !」

いや、冗談ではない。
『不合理ゆえに吾信ず』のこの言葉の出てくるページの全文を引こう。
”冗談ではない”という反語の指すニュアンスがわかるだろうか?

「  ―生と死と。Pfui !
 魔の山の影を眺めよ。
  悪意と深淵の間に彷徨いつつ
  宇宙のごとく
  私語する死霊達」

(埴谷雄高『Credo, quia absurdum. 不合理ゆえに吾信ず 』より)


不合理ゆえに吾信ず
埴谷 雄高
現代思潮社

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青い山

2007年11月16日 04時14分17秒 | Weblog
今日、思いもよらず蚊に刺された。もう秋なのに、と言いたいが、最近は暖冬で越冬する蚊がいるとも聞いた。
そこで山頭火を一句。

「ひとりで蚊にくはれてゐる」

渋谷の街中で刺されたから、この旅情はないかもしれない。でも同じことだ。
ようやく少し山頭火がわかってきた。

有名なのは「わけいってもわけいっても青い山」だろうか。
小学校か中学校の国語の教科書にあったが、この句は生きてみなければわからぬ。

「どうしようもないわたしが歩いてゐる」
「すべつてころんで山がひつそり」
「うしろすがたのしぐれてゆくか」
「月夜、あるだけの米をとぐ」
「重荷を負うてめくらである」
「いつでも死ねる草が咲いたり実つたり」
「枯れゆく草のうつくしさにすわる」
「ひつそり咲いて散ります」
「てふてふうらうら天へ昇るか」

引きはじめると切りがない。
山頭火はこう言っている。

「所詮は自分を知ることである。私は私の愚を守らう。」
(『草木塔』種田山頭火)





山頭火句集 (ちくま文庫)
種田 山頭火
筑摩書房

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日常

2007年09月13日 07時15分49秒 | Weblog
8年目のニューヨークにいる。
毎年何週間かを過ごしていれば、一介の旅行者にすぎない私にとっても、この街は日常だ。

9.11から6年。随分静かになって、私もまた、私自身の9.11にまつわるストーリーの結末を考えている。遠くない何年後かに、9月11日を東京で迎えることになるのはもうわかりきったことだ。しかし確かな終わり方などできはしないだろう。記憶と思いは死ぬまで続くのだから。

明日からアルゼンチンに行ってきます。
旅という名の日常、日常という名の旅。

酷暑

2007年08月18日 00時23分31秒 | Weblog
暑い日が続いている。
ニュースで地球温暖化の影響が盛んに報道されていて、では何かが変わるだろうかと思う。
10年以上も前に、取り返しがつかないことはわかっていた。
いま人類がその一切の営みを停止しても、地球は温暖化するといわれている。

40年後に北極海の夏の氷はすべてなくなると報道されていた。
四国の海が亜熱帯化している。日本の米は来年から北上の勢いをます。

石油を奪い合う戦争をやっている暇はなくなり、
この先、遠くない未来に、人類は残された食料を奪い合う戦争をはじめるとすらいわれている。

まだまだ先の話だと、いままで思い続けてきて、いまもまだそう思っているのだ。
実際に悲惨に直面しても、まだ先の話だと思い続けている。
わたしたちは生きているうちに長く苦しむだろう。

3年

2007年08月01日 02時23分43秒 | Weblog
このブログ、早いもので気付けば3周年。
3年かかって170件の記事は少なかろうが、1件の記事を書く為にいつも言葉と想念の海を漂泊した。しかし、そのすべてが私の生きる現実の一部であり、生きるということ自体の一部だった。
度を超して真面目に振る舞うのは滑稽だが、それはそれで悪くない。気分は静かだ。

3周年の記念に、素晴らしい現代詩人でもある守中高明氏の詩の一節を引くことにする。

「私と呼ばれる一個の肉塊が
 場処と憩いを
 奪われてあることは
 逃れ難い罰であるのか?
 ここを律する掟
 それは間断ない捩れと摩擦
 不動の滑走」

(守中高明「肉」より)



守中高明詩集 (現代詩文庫)
守中 高明
思潮社

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川田龍平氏

2007年07月22日 03時37分03秒 | Weblog
今回の参院選、私は東京都選挙区に無所属で立候補している川田龍平氏を応援している。
ここしばらく政治の話は軽々しく書くまいと思っていたが、ここに何かを書くことで微細であっても力になれればと思う。

しかし、正攻法で支持を説いてもつまらない。良識も分別もあるこれをお読みの方々に、私がこの件について一般的な観点から何かを言う必要があるだろうか?
「言無展事」節でなんとか書けないかと考えた。だから私が書くのは、きっと政治とは関係のないことに違いない。

氏はこう言う。

「私はいま、31歳になりました。みなさんのご支援のおかげで、いまの私があります。本当にありがとうございます」
(川田龍平氏の政見放送より http://www.youtube.com/watch?v=f4VXBN57njU)

そして、深々と頭を下げる。
街頭演説でも、道ゆく人々に、氏は同じようにしていた。
「これまで私が生きてこれたのは、皆様のおかげです。ありがとうございます」とさえ言っていた。

私たちはみんな、普通、不特定多数の人達のおかげで生きている。
そのことにおいては、個々人のそれぞれの事情や差異などは問題にはなるまい。
だが、彼以外の人間は普通、頭など下げはしないのだ。なぜか?そのことの意味を知らないからだ。
氏にそれができるのは、その意味を少なからず知っているからだろうと思う。
それはきっと、社会ということの意味や、人が社会に生きることの意味に近いものだろう。

そして、こうも言っていた。
「自分の余命を、この国をよくするための仕事に捧げます」

私たちは氏に、国会議員としての権限を与えることができる。
それは私たちにとって、とても幸運なことではないか?

2007年07月06日 18時05分37秒 | Weblog
世田谷美術館に「青山二郎の眼」展を見に行った。
期待どおりだった。唖然とし、途方に暮れ、嘆息した。
はからずも今、私は、彼が中国陶磁器の目録「甌香譜」に取りかかった時と同じ齢であるということが、無意味ながらも印象深かった。

そしてここ数年問い続けてきたことを、また繰り返し問う。
ものを観るとはいかなることか。
骨身に沁みてわかったことがひとつある。あいもかわらず単純なことだ。
ものを観る為には、心が豊かでなくてはならぬ。
そこに何を観るかは、この一点にかかっている。

そして彼はさらにその先を提示する。

「眼は言葉である」(青山二郎)


無常

2007年06月30日 00時40分01秒 | Weblog
山家集の何首かを、繰り返し読む。

つきはてしその入あひの程なさを此暁に思ひしりぬる
かたがたにあはれなるべき此の世かなあるを思ふもなきを忍ぶも
さてもこはいかがはすべき世の中にあるにもあらずなきにしもなし
うつつをも現とさらに思はねば夢をば夢と何かおもはむ

ほとんど絶叫とさえ思われる歌々。
そしてはた、「いかがはすべき」と我に返れば、その寂寞にしばし瞑目する。

夢は枯野を

2007年06月11日 00時43分47秒 | Weblog
前にも書いたが、忙しい時に古典を読むという高尚ぶった快楽を覚えて久しい。
簡潔さも行きつくところまで行きつけば、やはり芭蕉だ。
「花屋日記」を読む時間は、どんなに忙しくとも、生きている限りはある。

「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」

かつて(といってもつい150年程前まで)私達には、桜花や青葉、紅葉を愛でるように、枯野に風雅を求める感性があった。そのことをふまえねば、この歌を取り違えることは確かだ。だがそれを解してなお、あまりあるものがこの句にはありすぎる。
人は、どこまで行けるのだろうか。


芭蕉臨終記花屋日記―附・芭蕉翁終焉記・前後日記・行状記 (岩波文庫 黄 246-1)
文曉,小宮 豊隆
岩波書店

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考える人

2007年04月27日 01時58分44秒 | Weblog
随分前に文筆家の池田晶子氏が亡くなっていたことを先日知った。

考えるために生まれ、生涯をただ考えることに仕えた人だったと思う。
あらゆる土地で、いつの時代にも、そんなさだめを持つ人が時々生まれる。彼女もそのひとりであったから、他の道など歩めはしなかった。だからずっと、気になっていた。

「自ら考えて討死しなさい。病と心中してみせなさい。」
(池田晶子『口伝西洋哲学史 考える人』)

彼女は自分自身の最期を、あたう限りの好奇心と純粋な知的興奮と、そして溢れる感慨で迎えたのではないだろうかと、私は勝手にも想像する。それは本当に、素晴らしいイメージだ。