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言無展事

徒然に禅語など。

ヴォネガット

2007年04月19日 02時47分15秒 | Weblog
書いては消し、書いては消しを繰り返して、何を書くのだったかわからなくなる。
しかし、まわりの世界は確かに動いていく。

11日にカート・ヴォネガット・ジュニアが84歳で亡くなったと聞いた。
率直で、真摯で、愛情深くユーモラスでありながら、同時に誰よりも非情でシニカル。なによりその明晰な倫理性には、多くのことを学んだ。これからも学ぶだろう。
詳しくは知らないので何とも言い難いが、大往生ではないか。もしそうだとしたら、ほんとうによかった。

「so it gose. (そういうものだ。)」
(『スローターハウス5』)

何度もそう書いて、たとえそれが苦しみだったとしても、彼がそう言いきるだろうことは疑いようがないのだけれど。
http://www.vonnegut.com/


小林秀雄

2007年03月24日 02時56分52秒 | Weblog
どこかで小林秀雄がいいことを言っていたような。。と思い探したら、言葉は「虚無」ではなく「空」だったが、『私の人生観』の中にあった。この講演を起こしたテキストは、小林秀雄が遺したものの中で、私が最もすばらしいと思うもののひとつだ。その中に、西行についてのこんな文章がある。

「西行の歌には諸行無常の思想がある、一切空の思想がある。そういう風に言うなら、そんなものは、当時の歌に、何処にでも見付かるだろう。一切は空だと承知した歌人は、当時沢山いただろうが、空を観ずる力量にはピンからキリまであって、その力量の程は、歌という形にはっきり現れるから誤摩化しが利かぬ。空の問題にどれほど深入りしているかを自他に証する為には、自分の空を創り出してみなければならぬ。こうなると、問題は、尋常の思想の問題とは自ら異なったものになる筈である。」

もはや虚無でも空でもいいわけだが、至極あたりまえのことを書いている。だが大変なことだ。ものをつくるとは、そういうことだ。



イシュメエル

2007年03月13日 00時23分28秒 | Weblog
詩の話になったので、鮎川信夫氏をあたっておこう。
虚無を知り尽くしてなお、そうとは言わない人、という印象だが、その詩中にもあるにはある。
もっとも印象的に使われていたのは、メルヴィルの「白鯨」に取材した「イシュメエル「白鯨」より」という詩で、それはこう始まる。

「どうして地上の掟はやぶれたか
 血縁のきずなはたちきれたか
 緑の牧場は消えうせたか」

以降をつらっと省略して、最終連の最後の行に、虚無が出てくる。

「イシュメエルよ
 惨劇のおわりにはうず潮がひとつ
 人間の運命をすいこむもの
 きみが見た大きな虚無はふかくぼくらをひきつける」

 (「イシュメエル「白鯨」より」鮎川信夫)

なんだか一見、大変な感じだ。だがここには私の大好きな、鮎川氏流の絶妙な距離感がある。
「イシュメエルよ」と呼びかけておいて、「きみが見た大きな虚無はふかくぼくらをひきつける」と言っておきながら、人間の運命をすいこむうず潮を見たのは氏自身に他ならないだろう。
虚無を見て、「私は虚無を見た」と言わずに、「きみが見た大きな虚無はふかくぼくらをひきつける」と言うには、自意識のコントロールが必要だ。無論、意味的には「私は虚無を見た」と言っているのに違いはないのだけれど。
なんと言おうか。仮に彼が、虚無について騒ぎ立てている私を見たら、まったく表情には出さずに、内心「話にならないな」と思うに違いない。私は彼の視線を通して、常に自分が甘いことを知る。

遠日点

2007年03月08日 03時31分21秒 | Weblog
何年か前に、京都大学名誉教授の田口義弘氏の詩集「遠日点」を古本で見つけた。
氏は、私が心酔するリルケの研究者、翻訳者だ。その詩集があまりに素晴らしかったので、思わず、一部の形式と文体をそっくりまねて、自分の詩集を作った。手本にした部分は、「四行詩集『表徴』とその周辺より」。私の詩をご存知の方は、ああ、あれね、と思って頂けると思う。
ほとんど全部の要素が素晴らしいのだが、そうまで惹かれたのはやはり、氏の詩作の根底に虚無を知る意識があると思ったからだろう。

「昼の眠りからの
 一羽の鳥の
 虚無が落ちてゆく
 天空の檻」
(田口義弘「遠日点」)

この像は正確だ。焦点距離も正しく、レンズの角度もまっすぐだ。明晰ですらある。



詩集 遠日点
田口 義弘
小沢書店

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禽獣

2007年03月02日 09時19分35秒 | Weblog
三島由紀夫に次いで、川端康成も引いておこう。だがこちらもいわば本家本元。私がすぐに思い出すのは、小説「禽獣」に出てくる虚無だ。
この小説の主人公は、禽獣を飼う独身の男性で、小鳥や犬などのペットを通して、緊張感溢れる生命の生き死にの話が続く。その最後に、主人公が昔、踊り子の千花子と心中しようとしたというエピソードに、突然虚無が一度だけ出てくる。こんな具合だ。

「裾をばたばたさせるっていうから、足をしっかり縛ってね」
彼は細紐で縛りながら彼女の足の美しさに今更驚いて、
「あいつもこんな綺麗な女と死んだと言われるだろう」などと思った。
彼女は彼に背を向けて寝ると、無心に目を閉じ、少し首を伸ばした。それから合掌した。彼は稲妻のように、虚無のありがたさに打たれた。
「ああ、死ぬんじゃない」

(川端康成「禽獣」)

「彼は稲妻のように、虚無のありがたさに打たれた。」
 川端氏は何の説明もなく、この一文をここに置くだけで充分だと思ったに違いない。彼は詩的言語など弄しはしなかったから、これは彼が本当に知るところのものだ。
 私は時々、この小説の文脈から離れて、この言葉だけを思い出しては考える。この言葉の内容をどれ程充実して想像し得るか、その限界は、そのまま私の感受の限界であろうと思う。

美しい星

2007年02月24日 02時39分32秒 | Weblog
 次は三島の名作「美しい星」から引こう。自称宇宙人や空飛ぶ円盤が出てくるこの作、クライマックスは自称宇宙人たちの、ドストエフスキー並の大問答となる。テーマは「人類を滅亡させるべきか否か」だ。その中で、人類を滅亡させることに反対する自称宇宙人が、その理由として人類の5つの美点をあげる。「もし人類が滅んだら、私は少なくとも、その五つの美点をうまく纏めて、ひとつの墓碑銘を書かずにはいられないだろう」(以下引用、三島由紀夫『美しい星』)として。それはこんなものだ。

「地球なる一惑星に住める
    人間なる一種族ここに眠る。
 彼らは嘘をつきっぱなしについた。
 彼らは吉凶につけて花を飾った。
 彼らはよく小鳥を飼った。
 彼らは約束の時間にしばしば遅れた。
 そして彼らはよく笑った。
    ねがわくばとこしなえなる眠りの安らかならんことを」

 これを翻訳すると以下のようになるらしい。

「地球なる一惑星に住める
    人間なる一種族ここに眠る。
 彼らはなかなか芸術家であった。
 彼らは喜悦と悲嘆に同じ象徴を用いた。
 彼らは他の自由を剥奪して、それによって辛うじて自分の自由を相対的に確認した。
 彼らは時間を征服しえず、その代わりにせめて時間に不忠実であろうと試みた。
 そして時には、彼らは虚無をしばらく自分の息で吹き飛ばす術を知っていた。
    ねがわくばとこしなえなる眠りの安らかならんことを」

 そしてこの墓碑銘についての長い解説が続くのだが、そのうちの虚無と笑いについての部分を、これも長いが引用する。

「人間は、朝の太陽が山の端を離れ、山腹の色がたちまち変わるのを見て、はじめて笑ったにちがいない。宇宙的虚無が、こんなに微妙な色彩の濃淡で人の目をたのしませるのは、全く不合理なことであり、可笑しな、笑うべきことだからだ。虚無がいちいち道化た形姿を示すたびに、彼らは笑った。平原を走ってくる微風が、群れをなす羊の毛をそば立たせるのを見て、彼らは笑った。偉大な虚無のこんな些細な関心が可笑しかったからだ。そして笑っているときだけ、彼らは虚無をないもののように感じ、いわば虚無から癒されたのだ。
 そのうちに人間どもは、自分たちの手で笑いの種を作るようになった。しかしいつも笑いの背景には、虚無の影が必要で、それがなければ、人間の笑いの劇は完成しない。その劇には、必ず見えない重要な登場人物が背後をよぎり、しかもそれが笑いによって吹き飛ばされる役を荷なっていた。」

 さてはて。常に恐ろしいほど素面で、誰よりも冴え続けたひとりの男が、こう書いている。無論、小説家であるからほとんど創作ではある。しかし、「必ず見えない重要な登場人物が背後をよぎる」とは、なんと的確な表現だろうか?




美しい星 (新潮文庫)
三島 由紀夫
新潮社

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パスカル

2007年02月21日 02時07分32秒 | Weblog
 さて、虚無と言えば、まずパスカルの「パンセ」だろうか。
 それを書いてしまえば後がないようなネタで、はや二件目にして結論じみていいのか?と思わぬでもないが、先のことは考えまい。
 パンセ!忙しいさなかにこんな本を読み出してしまっては、当然不眠に陥る。そして世にも高名なこの一節に触れ、お決まりのように泣くのである。長いが、すこし前の部分から引用しよう。

「このようにして自己をかえりみる者は、自己自身に対して恐怖を感じるであろう。そして、自然によって与えられた全体の中に、無限と虚無とのこの二つの深淵のあいだに、懸けられている自己をかえりみて、彼はこの驚異のまえに恐れおののくであろう。私の思うに、彼の好奇心は驚嘆にかわり、彼は僭越にもそれらを探求しようとするよりも、むしろ沈黙のうちにそれらを熟視しようという気持ちになるであろう。」

 そしてこう続くのだ。

「なぜなら、そもそも人間は自然のうちにおいて何ものであろうか?無限に比しては虚無、虚無に比しては全体。無と全体とのあいだの中間者。両極を把握することからは無限に遠く隔てられているので、事物の終極やその始原は、人間にとっては、しょせん、底知れぬ神秘のうちに隠されている。彼は自分がそこから引き出されてくる虚無と、自分がそこへ呑みこまれていく無限を、ともに見ることができない。」
(パスカル「パンセ」松浪信三郎訳)

 あたりまえの真理というものは、なぜかくも美しいのか?
 ならばもうそれで充分ではないか。と、してしまいたいところだが、そうはいかないのが「虚無」の面白いところ。
 私はパスカルだが、パスカルは私ではない。いや少し違うか。私はパスカルであると同時にパスカルではない。パスカルにとっての虚無は、私にとっての虚無であると同時に、決してそうはなり得ない。
多くの人間が虚無について書き、それが皆、おそらく同じようなことであろうことを書きながら、各々まったく勝手なことを書いているのは、それが普遍であると同時に、ひとりの人間に全く一回性の、極めて固有のものだからだ。




定本 パンセ(上) (講談社文庫)
パスカル
講談社

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虚無について

2007年02月20日 02時48分12秒 | Weblog
 忙しいからと言っては更新が滞る。書くネタがいまいち見つからないのは、自分が充分な知的活動を行っていないからだ。
忙しいのは殆どが食べる為だが、人間は食べる為に生きているのではない。生きる為に食べている。生きるとは?知的活動もそのひとつだ。
 というわけで、今週はこのブログ、更新強化週間と決めた。

 いつも書くことに、それを書く根拠はいかなるものか、それを書くことは何を意味するのか、なるべくじっくり考えるのだが、今週はあまり考えない。饒舌になる為に、羞恥を捨てることが必要な時もある。テーマは、ちょうど前回、ヴェイユの虚無について書いたので、「虚無」とする。ちょうどまとめたいと思っていたところだ。

 手始めはやはり、三木清の『人生論ノート』の「人間の条件について」にある虚無がいい。

「人間は虚無ではない。虚無とは、人間の条件である。」
(三木清『人生論ノート』)

 では虚無とは何か。
 虚無そのものの意味を求め、己の虚無を知ることを追う私の旅は、十数年前に出会ったこの一節に始まり、今もその途上にいる。



人生論ノート (新潮文庫)
三木 清
新潮社

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「真空」と「虚無」

2007年02月18日 14時16分39秒 | Weblog
最近、私のヴェイユ好きを知る友人から、英語版の“Gravity and Grace"を頂き、ほぼ皆無に近い英語力で、のらりくらりと読んでいる。
昔、これまた親友に頂いた手持ちのちくま学芸文庫、田辺保訳では、「真空」と訳されているところ、英語訳は”VOID"だった。

”Grace fills empty spaces but it can only enter where there is a void to receive it, and it is grace itself which makes this void."

「恩寵は充たすものである。だが、恩寵をむかえ入れる真空のあるところにしか、はいって行けない。その真空をつくるのも、恩寵である。」(田辺保訳)

「真空」という訳も美しい。だがつい、ここは「虚無」としてしまいたい。

「恩寵は充たすものである。だが、恩寵をむかえ入れる虚無のあるところにしか、はいって行けない。その虚無をつくるのも、恩寵である。」


重力と恩寵―シモーヌ・ヴェイユ『カイエ』抄 (ちくま学芸文庫)
シモーヌ ヴェイユ
筑摩書房

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暖冬

2007年02月04日 01時53分29秒 | Weblog
もうここを通り過ぎたら引き返せないというポイントを、いくつも通り過ぎて来た。
最近読んだヴォネガットの、人間の性質についての手厳しい一節を思い出す。

「最悪の欠点は、われわれがはっきりいってまぬけであることだ。認めろ!
 アウシュヴィッツのどこが理性的だ?」

(カート・ヴォネガット「ホーカス・ポーカス」)

アウシュヴィッツを引き合いに出されてはたまらない気もするが、だからといってそれで免罪符を得られるわけではない。しかし、まぬけであることを苦にして死んでしまうわけにもいかない。偽善にも偽悪にも深く陥ることなしに、どうやって長く歩いて行けるだろう。




ホーカス・ポーカス (ハヤカワ文庫 SF (1227))
カート・ヴォネガット
早川書房

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