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言無展事

徒然に禅語など。

3710年

2010年04月21日 02時24分45秒 | 
西暦3710年に、世界はどうなっているだろう?
人類は相変わらずなんらかの仕方で営みを続けているだろうか?
多分そうだと思う。一度や二度は滅亡の危機もあるだろうが、完全に絶滅してはいないような気がする。
何百年後かに空気中の二酸化炭素の量が増えて肺呼吸ができなくなるという説もあるが、それでも適応する個体がいそうな気がする。

日本という国はどうだろう?
神武天皇の即位から今年で2670年、もし仮に存続したら、3710年には建国4370年となる。その頃には人類は宇宙に住んでいて、地上の国家など霧散しているかもしれない。

だが、どう言ってみたところであまり意味がないのは、未来の可否は結局五分五分、といった原理主義的な理由ばかりとはいえない。


3710年という妙に具体的な数字が出てきたのは、エドヒガンザクラを見たからだ。
韮崎に行き、神代桜と、わに塚の桜を見た。神代桜は樹齢2000年といわれ、わに塚の桜は樹齢300年といわれるエドヒガンだ。この2本の長寿の桜を眺めて、時間の尺度について考えさせられた。

つまり、神代桜がそこに2000年間あるとしたら、樹齢300年のわに塚の桜は、何もなければおそらくあと1700年間、そこに存在し続けることが可能なのだ。
今から1700年後が、そう、3710年だ。

3710年!
わたくしは今まで、そんな未来のことを真剣に考えたことがなかった。
SFの世界としてではない、なぜなら桜は可能性としては現実に存在し続けるのだから。

だが考えてもみよう、神代桜が仮に真に樹齢2000年なら、樹齢300年の時は、西暦310年。
日本では仏教伝来までもあと200年以上待たねばならないが、古事記に伝わる一応有史の時代だ。
その頃から、春になれば人々は出かけ集い、この桜を褒めただろう。だからその桜はそこにある。
なぜ同じことが、あと1700年間できないのか?
1700年は確かに長い年月だ。3710年には人間の世界は今と比べて、古事記の世界と2010年の現代社会との差と同じぐらい、あるいはもっと遥かに大きく変わるだろうことは間違いない。
だが桜にとってはどうだろう?

3710年にわに塚の桜は変わらずに咲くだろうか。
これはなんとも難しいことのような気がする。地球温暖化で今世紀中に気温は早くも2~3度上昇するとも言われているが、その後も大きく気候が変動し続けるとしたら、いつまで桜は咲いてくれるだろう。
だがおそらく、人間が意図的に切り倒したりはしないだろう。神代桜が2000年間そこにあるのと同じ理由で。
人知の力の及ばない理由で、枯死しないことを祈るばかりだ。

わたくしが見れるのは、運がよくてもせいぜい樹齢350年のわに塚の桜だ。
その後1650年もそこで美しく咲けと思うが、その表出はいかにすれば何を言ったことになるのか。
100年後の未来の展望についてすら語る言葉を持たなくなった人間は、1700年後の未来について何を語りうるのか。
1700年後の未来について語る言葉を創出することは可能なのか。

わたくしの眼ではない眼が、3710年に見る桜。


花の季節

2009年03月26日 01時38分59秒 | 
今年もまもなく花の季節だ。

「おぼつかないづれの山の峰よりか待たるる花の咲きはじむらむ」
(西行『山家集』)

花とは何か。これは何なのか。
西行は花を待ちながら、しかし待っているのは花ばかりではない。
彼は花に心を奪われていた、だがそれは同時に、花以上のものに、でもある。

それは、花の季節とは日本人にとって何なのか、ということにも関係する。
春には春なりの、夏には夏の、秋には秋の、冬には冬の、日本人に特有の精神状態がある。
それは日本人のDNAに深く刻まれ、それこそが日本の文化の根幹といってもいい。
花の季節とは。
焦燥、血の通った倫理、無常の悲哀と豊饒、躍動するいのちの感慨。
それらに否応なく投げ込まれる季節。
西行はきっと、それを待っていたのではないか。



山家集 新訂 (岩波文庫 黄 23-1)
西行,佐佐木 信綱
岩波書店

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花ひと世

2008年04月08日 01時00分38秒 | 
 うき世にはとどめおかじと春風のちらすは花を惜しむなりけり

 いかでかは散らであれとも思ふべし暫しと慕ふなさけ知れ花

(西行『山家集』より)


花も大方見おさめた。
今年は忙しない日々に、シンクロするかのように咲き急ぎ、散り急ぐそれを見歩いた。
唯前を通り過ぎる一瞬一瞬にも妙な集中力を発揮すれば、応えてくれるのが花である。

勁烈に生きよと花が言う。
その発露など、時にして全体のうちのほんの僅かでよいのだ(花は一年にたった一度、幾日間かに過ぎない)。
唯々その限られた表出が、圧倒的で、高々と美しくあればよい。



満開

2008年03月28日 00時29分06秒 | 
気づいたら、桜が満開だという。なんたることか。
例年よりも9日早いという。
25日か26日と聞いていた開花予想が随分早くなったと思った矢先、既に満開とは。
ここ2日程、昼間にまともに家を出なかったのは失敗だった。

とりいそぎ山家集に花の盛りの歌でも探し、気分だけでも味わう。


 おしなべて花の盛に成りにけり山の端ごとにかかる白雲

 身を分けて見ぬ梢なくつくさばやよろづの山の花の盛を

 たぐひなき花をし枝にさかすれば櫻にならぶ木ぞなかりける

 あはれわれおほくの春の花を見てそめおく心誰にゆづらむ
 
 花みればそのいはれとはなけれども心のうちぞ苦しかりける

(西行『山家集』)

花とは畢竟、風である。
そして、己の心のあはれを知り、それを慰めるためのその人間固有の方法である。

桜狂い

2006年04月22日 00時13分07秒 | 
気付いたら、春さえ早くも過ぎ去ってしまいそうだ。

最近、八重に咲く桜を見歩いていたら、桜がおいしそうに見えて来た。
もし庭に桜を植える機会があったら、染井吉野や枝垂れと言わず関山を植え、毎年塩漬けにしようと思う。

「青葉さへみれば心のとまるかな散りにし花の名残と思えば」(西行『山家集』)

あとはこの心境に達せられれば桜狂いも本物だ。

最後の桜

2006年04月05日 00時36分40秒 | 
例年のように桜を見歩いていた。
もう何回も見ているのに、毎年その美しさに驚く。
なぜか毎年これが最後の桜だと、見おさめる気持ちになる。
大げさだが、そんな気持ちにさせるこの花を私は愛する。

「人の命は短く
 一生は人生との蜜月旅行のうちに終わる」
(獣木野生『PALM』)

人生との蜜月旅行のうちの一日である今日に咲く桜。



パーム (27) (Wings comics)
獣木野生
新書館

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今さらに

2005年03月28日 02時03分23秒 | 
花の話が続いて恐縮だが、
桜の開花が待ち遠しいばかりだ。

西行の桜花を詠った一連の歌は、
日本語で書かれたものの中で最も優れたもののひとつだと思う。
こんな気分にもぴったりの歌があるという、
そのバリエーションの多彩さも素晴らしい。

「今さらに春を忘るる花もあらじやすく待ちつつ今日も暮らさむ」

ちょっととぼけ過ぎではないかとも思う。
「やすく待ちつつ」などといいつつ待ち焦がれている様も笑える。
歌としてどうかとすら思う。
だが、ぴったりなのである。

「花いかに我をあわれと思ふらむ見て過ぎにける春をかぞへて」
「ねがはくは花の下にて春死なんそのきさらぎのもち月の頃」

とさえ詠う、詩人の幅と奥行きを思う。

相対

2005年03月21日 02時39分09秒 | 
今日、新宿御苑に梅を褒めに行ったら、
日本庭園の端で早咲きの桜が一本、満開だった。
今日をおいて他日はないほどに満開だった。

寒緋桜なのだろう、鮮やかな紅が力強い。
明るい曇り空の下で風はなく、
硬質な静寂の中で咲き誇っていた。

「この美と相対して、刺違えられるか」

そんなことばかりを思った。