西暦3710年に、世界はどうなっているだろう?
人類は相変わらずなんらかの仕方で営みを続けているだろうか?
多分そうだと思う。一度や二度は滅亡の危機もあるだろうが、完全に絶滅してはいないような気がする。
何百年後かに空気中の二酸化炭素の量が増えて肺呼吸ができなくなるという説もあるが、それでも適応する個体がいそうな気がする。
日本という国はどうだろう?
神武天皇の即位から今年で2670年、もし仮に存続したら、3710年には建国4370年となる。その頃には人類は宇宙に住んでいて、地上の国家など霧散しているかもしれない。
だが、どう言ってみたところであまり意味がないのは、未来の可否は結局五分五分、といった原理主義的な理由ばかりとはいえない。
3710年という妙に具体的な数字が出てきたのは、エドヒガンザクラを見たからだ。
韮崎に行き、神代桜と、わに塚の桜を見た。神代桜は樹齢2000年といわれ、わに塚の桜は樹齢300年といわれるエドヒガンだ。この2本の長寿の桜を眺めて、時間の尺度について考えさせられた。
つまり、神代桜がそこに2000年間あるとしたら、樹齢300年のわに塚の桜は、何もなければおそらくあと1700年間、そこに存在し続けることが可能なのだ。
今から1700年後が、そう、3710年だ。
3710年!
わたくしは今まで、そんな未来のことを真剣に考えたことがなかった。
SFの世界としてではない、なぜなら桜は可能性としては現実に存在し続けるのだから。
だが考えてもみよう、神代桜が仮に真に樹齢2000年なら、樹齢300年の時は、西暦310年。
日本では仏教伝来までもあと200年以上待たねばならないが、古事記に伝わる一応有史の時代だ。
その頃から、春になれば人々は出かけ集い、この桜を褒めただろう。だからその桜はそこにある。
なぜ同じことが、あと1700年間できないのか?
1700年は確かに長い年月だ。3710年には人間の世界は今と比べて、古事記の世界と2010年の現代社会との差と同じぐらい、あるいはもっと遥かに大きく変わるだろうことは間違いない。
だが桜にとってはどうだろう?
3710年にわに塚の桜は変わらずに咲くだろうか。
これはなんとも難しいことのような気がする。地球温暖化で今世紀中に気温は早くも2~3度上昇するとも言われているが、その後も大きく気候が変動し続けるとしたら、いつまで桜は咲いてくれるだろう。
だがおそらく、人間が意図的に切り倒したりはしないだろう。神代桜が2000年間そこにあるのと同じ理由で。
人知の力の及ばない理由で、枯死しないことを祈るばかりだ。
わたくしが見れるのは、運がよくてもせいぜい樹齢350年のわに塚の桜だ。
その後1650年もそこで美しく咲けと思うが、その表出はいかにすれば何を言ったことになるのか。
100年後の未来の展望についてすら語る言葉を持たなくなった人間は、1700年後の未来について何を語りうるのか。
1700年後の未来について語る言葉を創出することは可能なのか。
わたくしの眼ではない眼が、3710年に見る桜。
人類は相変わらずなんらかの仕方で営みを続けているだろうか?
多分そうだと思う。一度や二度は滅亡の危機もあるだろうが、完全に絶滅してはいないような気がする。
何百年後かに空気中の二酸化炭素の量が増えて肺呼吸ができなくなるという説もあるが、それでも適応する個体がいそうな気がする。
日本という国はどうだろう?
神武天皇の即位から今年で2670年、もし仮に存続したら、3710年には建国4370年となる。その頃には人類は宇宙に住んでいて、地上の国家など霧散しているかもしれない。
だが、どう言ってみたところであまり意味がないのは、未来の可否は結局五分五分、といった原理主義的な理由ばかりとはいえない。
3710年という妙に具体的な数字が出てきたのは、エドヒガンザクラを見たからだ。
韮崎に行き、神代桜と、わに塚の桜を見た。神代桜は樹齢2000年といわれ、わに塚の桜は樹齢300年といわれるエドヒガンだ。この2本の長寿の桜を眺めて、時間の尺度について考えさせられた。
つまり、神代桜がそこに2000年間あるとしたら、樹齢300年のわに塚の桜は、何もなければおそらくあと1700年間、そこに存在し続けることが可能なのだ。
今から1700年後が、そう、3710年だ。
3710年!
わたくしは今まで、そんな未来のことを真剣に考えたことがなかった。
SFの世界としてではない、なぜなら桜は可能性としては現実に存在し続けるのだから。
だが考えてもみよう、神代桜が仮に真に樹齢2000年なら、樹齢300年の時は、西暦310年。
日本では仏教伝来までもあと200年以上待たねばならないが、古事記に伝わる一応有史の時代だ。
その頃から、春になれば人々は出かけ集い、この桜を褒めただろう。だからその桜はそこにある。
なぜ同じことが、あと1700年間できないのか?
1700年は確かに長い年月だ。3710年には人間の世界は今と比べて、古事記の世界と2010年の現代社会との差と同じぐらい、あるいはもっと遥かに大きく変わるだろうことは間違いない。
だが桜にとってはどうだろう?
3710年にわに塚の桜は変わらずに咲くだろうか。
これはなんとも難しいことのような気がする。地球温暖化で今世紀中に気温は早くも2~3度上昇するとも言われているが、その後も大きく気候が変動し続けるとしたら、いつまで桜は咲いてくれるだろう。
だがおそらく、人間が意図的に切り倒したりはしないだろう。神代桜が2000年間そこにあるのと同じ理由で。
人知の力の及ばない理由で、枯死しないことを祈るばかりだ。
わたくしが見れるのは、運がよくてもせいぜい樹齢350年のわに塚の桜だ。
その後1650年もそこで美しく咲けと思うが、その表出はいかにすれば何を言ったことになるのか。
100年後の未来の展望についてすら語る言葉を持たなくなった人間は、1700年後の未来について何を語りうるのか。
1700年後の未来について語る言葉を創出することは可能なのか。
わたくしの眼ではない眼が、3710年に見る桜。