東京で迎える3年目の9月11日。今年は12日の朝陽を江ノ島で見た。
犬吠埼、高尾山ときて江ノ島ではなんとも先細り感が否めないが、その日は仕事が朝9時から新百合ヶ丘であって、他に選択肢はなかった。
片瀬江ノ島駅に11日の夜8時に着いて、食事をして旅館に泊まって、4時に起きて江ノ島に行き5時20分に日の出を迎え、少しばかり散歩をして7時半には小田急線に乗った。
あれからもう13年だ。
あっという間だったような、長い時間だったような、実感はともかく物理的に時間は経った。
ニューヨークに行かなくなって3年経って、わたくしもまた、実感はともかく物理的に変化した。
若い頃は、ただものを考えるためだけに、見知らぬ街を彷徨い、長距離バスに乗った。時間をかけてどっぷりとハマってものを思い、その思いがいかなるものであるかを突き詰めようとした。最近は日常に埋没してなかなかそんな時間もない。
9.11が少しばかり遠くなり、自分のそれについての考えも、輪郭が確かな像を結ばなくなっている。今、自分がどこにいるのか、それが何を意味するのか、わからなくなってくる。
わたくしは言葉を扱う人間であるので、なんとなく格好のつくことは書ける。でも詩人としてのわたくしは、それが実際に現実の自分であることを要求する。思ったふりは許してくれない。
だから今年は、今までと全く違う意味で苦しかった。年に一度のこの日ぐらいは、自分が自分であることを自分自身に証さなくてはならない。そのために、自分が失いかけているものを手放さないように手繰り寄せ、焦点の合わない目を凝らそうとした。
果たしてご来光は素晴らしかった。これは恩寵だ。異様なまでに大きく赤く、三島由紀夫の『豊穣の海』にある「赫奕として昇る日輪」という言葉を思い出した。
まだ大丈夫だと、恩寵を与えられ、それを掴み感得できると、ただその一点にしがみついた。
帰りに江ノ島大橋を渡りながら、わたくしにとって生きるとは、9.11を生きることだ。詩を生きることだ。それだけを繰り返し何度も念じた。
そうすることで、これからの一年を生きる自分を奮い立たせた。
そして、わたくしの9.11が、詩が、またここから新しくはじまることを自分自身に思い知らしめようとした。
犬吠埼、高尾山ときて江ノ島ではなんとも先細り感が否めないが、その日は仕事が朝9時から新百合ヶ丘であって、他に選択肢はなかった。
片瀬江ノ島駅に11日の夜8時に着いて、食事をして旅館に泊まって、4時に起きて江ノ島に行き5時20分に日の出を迎え、少しばかり散歩をして7時半には小田急線に乗った。
あれからもう13年だ。
あっという間だったような、長い時間だったような、実感はともかく物理的に時間は経った。
ニューヨークに行かなくなって3年経って、わたくしもまた、実感はともかく物理的に変化した。
若い頃は、ただものを考えるためだけに、見知らぬ街を彷徨い、長距離バスに乗った。時間をかけてどっぷりとハマってものを思い、その思いがいかなるものであるかを突き詰めようとした。最近は日常に埋没してなかなかそんな時間もない。
9.11が少しばかり遠くなり、自分のそれについての考えも、輪郭が確かな像を結ばなくなっている。今、自分がどこにいるのか、それが何を意味するのか、わからなくなってくる。
わたくしは言葉を扱う人間であるので、なんとなく格好のつくことは書ける。でも詩人としてのわたくしは、それが実際に現実の自分であることを要求する。思ったふりは許してくれない。
だから今年は、今までと全く違う意味で苦しかった。年に一度のこの日ぐらいは、自分が自分であることを自分自身に証さなくてはならない。そのために、自分が失いかけているものを手放さないように手繰り寄せ、焦点の合わない目を凝らそうとした。
果たしてご来光は素晴らしかった。これは恩寵だ。異様なまでに大きく赤く、三島由紀夫の『豊穣の海』にある「赫奕として昇る日輪」という言葉を思い出した。
まだ大丈夫だと、恩寵を与えられ、それを掴み感得できると、ただその一点にしがみついた。
帰りに江ノ島大橋を渡りながら、わたくしにとって生きるとは、9.11を生きることだ。詩を生きることだ。それだけを繰り返し何度も念じた。
そうすることで、これからの一年を生きる自分を奮い立たせた。
そして、わたくしの9.11が、詩が、またここから新しくはじまることを自分自身に思い知らしめようとした。