時間があいたが、もうひとつネパールの話を。
いかにわたくしの外見が中国人に見えるかという笑い話だ。
首都カトマンズのタメルというツーリストエリアで、もしくはポカラのレイクサイドで、わたくしは常に客引きから「ニーハオ!」と声をかけられた。
はじめのうちは、ネパールも最近はよっぽどチャイニーズの観光客が多いんだなあと思っていた。実際に東アジア人の観光客の中で、チャイニーズはかなりの割合を占めている。上海や香港などからカトマンズまで直行便も飛んでいるし、外国の観光地で激減しているように見える日本人よりよっぽど多い。しかししばらく観察しているとどうも違う。彼ら客引きたちは、僅かに散見できる日本人ツーリストには、「コンニチワ!」と声をかけているのだ。
でもどうだろう。ネパールは多民族国家で50を越える様々な民族がいるが、日本人から見たらそれらを見分けるのは難しい。わたくしはゲルマンとアングロサクソンすら時々見分け間違うほど、民族の見分けは苦手だ。彼ら客引きたちにだって、東アジア人の見分けは難しいはず。と思い、ネパール人の観光業に携わっている知り合いに「ネパールの人は中国人と韓国人と日本人を見分けることができるか」と尋ねた。答えは「もちろんできる」とのこと。ほんとかよーとは内心思ったが、彼らも一応プロだ。それはわたくしの認識するよりも彼らにとっては幾分かシリアスな問題だろう。ふむ。
仕事のために仕方なく首からぶら下げている一眼レフがいけないのだと思った。中国系の富裕層観光客は、NikonやCanonのプロ仕様と見まごうほどの立派なデジタル一眼レフカメラをお約束のように持っている。コリアンも同じで、サランコットでわたくしのとなりで写真を撮っていた女性が持っていたカメラは、目を見張るような立派さだった。巨大な望遠レンズをなぜか二本も持っていた。(確信しているがほとんど驚くべきことに彼女はプロではない)しかし省みると、わたくしの首からぶら下がっているペンタはなんともショぼい。変な言い方をするといかにも日本人っぽいショぼさだ。「軽くて便利」などとのたまう感じの。チャイニーズの持つカメラに比べたらほとんどおもちゃに見える。これはぎりぎりアウトではないか? (ついでに言えば、伊達なカメラほど重いものはない、というのはわたくしが十数年の旅人生で知り得た真理のひとつである。)加えて日本人の国民服であるユニクロのダウンを着て、吉田カバンのデイパックを背負って、どう見たっていっぱしの日本人に見えるはずなのだ。
まあネパール人の客引きならまだいい。「ニーハオ」と声をかけられたら「ニーハオ」と答えて通り過ぎればすむ。
帰路、カトマンズから香港まで乗ったドラゴンエアーでのこと。夜中の出発だったから、飛行機に乗った時から意識は朦朧としていたが、しばらくしてフライトアテンダントの若い男性が、カートを押しながら来てはわたくしにもの凄い剣幕で中国語で話しかけて来た。なにごとかと思い、こちらは中国語がまったくダメだから、おそるおそる"Can you speak English, please."というと、彼はちょっと怪訝そうな顔をしてしかし"Fish or chicken?"と。なんだそんなことかと答えたまではよかったが、次に隣に座っていた中年の日本人男性に向かって「お食事は魚がよろしいですか?チキンがよろしいですか?」だって。なんだ、日本語しゃべれんじゃん。しかしそこで、「いや、私も日本人です」と言い出すには間が悪く、結局最後まで何人かよくわからない人でいるはめになった。その後、隣の男性はお手洗いに立つ時に、わたくしに「エクスキューズミー」と声を掛ける始末。いやいや先輩、同胞ですから。
あともうひと事例、ポカラからカトマンズに移動する長距離バスの中で、若い中国人夫婦に声をかけられた。彼らは旅行者の礼節として一応英語で話しかけてきたが、どこから来たのかと尋ねるから日本からだと答えたら、あっそうと言って表情には出さずしかし若干残念そうに、それ以降何か言って来ることもなかった。彼らの期待した「どこから来たの?」の答えが、「北京」とか「上海」だったのは明らかだ。気持ちはわかる。長い移動時間に、母国語で情報交換できる道連れがいたらラッキーなのだ。向こうも悪気はなかろうが、「紛らわしいなあ。。」ぐらいは思っただろう。どうしてあげることもできないが。
それでも百歩譲って、中国人に同国人に間違えられるのもまだよしとしよう。ニューヨークにいると中国人に中国語で声を掛けられるのは日常茶飯事である。(彼らは辺りを見渡して、わざわざわたくしに目をつけて話しかけてきたりする!)何を言っているか全くわからないが、おそらく道でも尋ねているのだろう。だがニューヨークにいると誰が何人かという問題は、シリアスだが間違えてもそれほど気にならない。なにしろ200カ国近くの国の人がいる。それに中国人と日本人の人口比率の差が大き過ぎる。東アジア人がいたら、圧倒的にそれは中国人である確率が高い。正直、慣れている。
さて、成田空港でのことだ。セキュリティゲートで日本人の係員に、なんたることか、「エクスキューズミー」と声をかけられた。その声がわたくしを呼んでいると、咄嗟にはわからなかった。しかしその声は確かにわたくしに向けられていた。。。同胞よ、勘弁してくれ。わたくしが憮然として「はい、何かご用でしょうか」と答えたことを誰が責めるだろう。はたして彼がわたくしのことを何人だと思ってそう声をかけたのか、問いただしたいぐらいだった。
いやはやどうも、見ず知らずの人間から見たわたくしが日本人でいられるのは、成田空港の入口までのようだ。
いかにわたくしの外見が中国人に見えるかという笑い話だ。
首都カトマンズのタメルというツーリストエリアで、もしくはポカラのレイクサイドで、わたくしは常に客引きから「ニーハオ!」と声をかけられた。
はじめのうちは、ネパールも最近はよっぽどチャイニーズの観光客が多いんだなあと思っていた。実際に東アジア人の観光客の中で、チャイニーズはかなりの割合を占めている。上海や香港などからカトマンズまで直行便も飛んでいるし、外国の観光地で激減しているように見える日本人よりよっぽど多い。しかししばらく観察しているとどうも違う。彼ら客引きたちは、僅かに散見できる日本人ツーリストには、「コンニチワ!」と声をかけているのだ。
でもどうだろう。ネパールは多民族国家で50を越える様々な民族がいるが、日本人から見たらそれらを見分けるのは難しい。わたくしはゲルマンとアングロサクソンすら時々見分け間違うほど、民族の見分けは苦手だ。彼ら客引きたちにだって、東アジア人の見分けは難しいはず。と思い、ネパール人の観光業に携わっている知り合いに「ネパールの人は中国人と韓国人と日本人を見分けることができるか」と尋ねた。答えは「もちろんできる」とのこと。ほんとかよーとは内心思ったが、彼らも一応プロだ。それはわたくしの認識するよりも彼らにとっては幾分かシリアスな問題だろう。ふむ。
仕事のために仕方なく首からぶら下げている一眼レフがいけないのだと思った。中国系の富裕層観光客は、NikonやCanonのプロ仕様と見まごうほどの立派なデジタル一眼レフカメラをお約束のように持っている。コリアンも同じで、サランコットでわたくしのとなりで写真を撮っていた女性が持っていたカメラは、目を見張るような立派さだった。巨大な望遠レンズをなぜか二本も持っていた。(確信しているがほとんど驚くべきことに彼女はプロではない)しかし省みると、わたくしの首からぶら下がっているペンタはなんともショぼい。変な言い方をするといかにも日本人っぽいショぼさだ。「軽くて便利」などとのたまう感じの。チャイニーズの持つカメラに比べたらほとんどおもちゃに見える。これはぎりぎりアウトではないか? (ついでに言えば、伊達なカメラほど重いものはない、というのはわたくしが十数年の旅人生で知り得た真理のひとつである。)加えて日本人の国民服であるユニクロのダウンを着て、吉田カバンのデイパックを背負って、どう見たっていっぱしの日本人に見えるはずなのだ。
まあネパール人の客引きならまだいい。「ニーハオ」と声をかけられたら「ニーハオ」と答えて通り過ぎればすむ。
帰路、カトマンズから香港まで乗ったドラゴンエアーでのこと。夜中の出発だったから、飛行機に乗った時から意識は朦朧としていたが、しばらくしてフライトアテンダントの若い男性が、カートを押しながら来てはわたくしにもの凄い剣幕で中国語で話しかけて来た。なにごとかと思い、こちらは中国語がまったくダメだから、おそるおそる"Can you speak English, please."というと、彼はちょっと怪訝そうな顔をしてしかし"Fish or chicken?"と。なんだそんなことかと答えたまではよかったが、次に隣に座っていた中年の日本人男性に向かって「お食事は魚がよろしいですか?チキンがよろしいですか?」だって。なんだ、日本語しゃべれんじゃん。しかしそこで、「いや、私も日本人です」と言い出すには間が悪く、結局最後まで何人かよくわからない人でいるはめになった。その後、隣の男性はお手洗いに立つ時に、わたくしに「エクスキューズミー」と声を掛ける始末。いやいや先輩、同胞ですから。
あともうひと事例、ポカラからカトマンズに移動する長距離バスの中で、若い中国人夫婦に声をかけられた。彼らは旅行者の礼節として一応英語で話しかけてきたが、どこから来たのかと尋ねるから日本からだと答えたら、あっそうと言って表情には出さずしかし若干残念そうに、それ以降何か言って来ることもなかった。彼らの期待した「どこから来たの?」の答えが、「北京」とか「上海」だったのは明らかだ。気持ちはわかる。長い移動時間に、母国語で情報交換できる道連れがいたらラッキーなのだ。向こうも悪気はなかろうが、「紛らわしいなあ。。」ぐらいは思っただろう。どうしてあげることもできないが。
それでも百歩譲って、中国人に同国人に間違えられるのもまだよしとしよう。ニューヨークにいると中国人に中国語で声を掛けられるのは日常茶飯事である。(彼らは辺りを見渡して、わざわざわたくしに目をつけて話しかけてきたりする!)何を言っているか全くわからないが、おそらく道でも尋ねているのだろう。だがニューヨークにいると誰が何人かという問題は、シリアスだが間違えてもそれほど気にならない。なにしろ200カ国近くの国の人がいる。それに中国人と日本人の人口比率の差が大き過ぎる。東アジア人がいたら、圧倒的にそれは中国人である確率が高い。正直、慣れている。
さて、成田空港でのことだ。セキュリティゲートで日本人の係員に、なんたることか、「エクスキューズミー」と声をかけられた。その声がわたくしを呼んでいると、咄嗟にはわからなかった。しかしその声は確かにわたくしに向けられていた。。。同胞よ、勘弁してくれ。わたくしが憮然として「はい、何かご用でしょうか」と答えたことを誰が責めるだろう。はたして彼がわたくしのことを何人だと思ってそう声をかけたのか、問いただしたいぐらいだった。
いやはやどうも、見ず知らずの人間から見たわたくしが日本人でいられるのは、成田空港の入口までのようだ。