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言無展事

徒然に禅語など。

高桐院

2010年06月11日 01時46分11秒 | 
そういえば先月、久しぶりに京都に行った。
春の特別公開に合わせて大徳寺を見漁る中で高桐院の庭を見て、自分の中での庭の暫定一位が入れ替わった。

とは言っても、大した数を見ていないから暫定一位などすぐ変わる。いや、100や200見たぐらいでは自分の趣向だって簡単に確立できるものではない。もちろん何がどういいのかなどわからない。竜安寺や南禅寺や宝泉院の庭がいいのは当然で、それはいいと言われるものを見てただなぞっていいと感じているだけだ。
高桐院の庭はどうだろう。眺めろと言われなければ、誰もそれが鑑賞物であることに気付かないのではないか。というのは言い過ぎかもしれないが、それに比べれば仰々しいとすら感じる枯山水をいくつも見た後だったから、それはあまりに自然だった。竹林を背負って、何本かの楓が生えているだけだ。だがそれはもちろん見かけであり、「そう見せる」という人為が働いている。これを作った人間は、自分が作りうるものの中で最高のものを作ろうと思ったに違いない。だがそれが何故これなのか。

それ程見るものがなかったであろう昔ならいざ知らず、見るものが山ほどあるこの時代に、なぜ庭なんぞをわざわざ見歩くのか。
庭といっても、それはやはりどんな意味においても庭で、それ以外の何ものでもないのに、なぜ見るのか。
庭がどれほどのものなのか。

御開帳

2009年06月05日 01時00分18秒 | 
善光寺の御開帳に行った。七年に一度(数えなので実際は六年に一度)の大祭と聞いて、どんなものか見たくなった。それほど宗教的な思いはなく、ほとんど珍しいもの見たさの遠足だった。今年を逃したら次は六年後。いつもの癖で、これが最後のチャンスかもしれないとも思った。

御開帳といっても御本尊は絶対の秘仏で、拝顔できるのは前立本尊、それが数えで七年に一度というから、そのありがたさ加減は相当のものだ。そして、その前立本尊に結縁するための回向柱、御本尊に結縁するための戒壇巡りと、行われる儀式の装置は極度にシンプルかつ明快だ。もの凄い人出で、何かを見に行ったというよりは列に並びに行ったという方が適当な程だったが、十分に覚悟して行ったからあまり苦でもなかった。

しかし何しろ六年に一度というのは、それはありふれたことであろうし(来年は、同じく六年に一度の諏訪の御柱祭もある)、もっと長い年毎に行われる大祭も多かろうからそれほど特別と捉えることもないのだろうが、個人的には興味深かった。
六年後。六年は短くはないが、とんでもなく長い月日であるともいえない。なのにそれが遙かに遠い、想像も及ばぬ先に思えるのはどうしたことか。六年後と聞いて何の思惑も計画も目標もない人生とはどうしたものだろう。列に並びながら、ぼんやりとそんなことを考えた。

しかしこの大祭の意味はわかった気がした。普段は僧籍にある限られた人間しか結ぶことのできない、ある種の阿弥陀如来との縁を、普通に生活する凡夫のすべてが手にすることができる、その一生に幾度とないチャンスなのだ。しかもその阿弥陀仏は、かつての日本人が一生に一度は詣でたいと願った、日本でも有数の霊験あらたかな御尊仏である。

阿弥陀とは無量寿、即ち無量のいのちのことだ。すべてのいのちの源であり、すべていのちあるものがその一部であるような、大いなるいのち。私達はそこから生まれ、そのひとかけらとして生き、そして死んでそこに帰る。それが日本の阿弥陀信仰の根源的な意味だと、かつて大学の講義で習ったことがある。それは仏教伝来以前からあった日本固有の神道的世界観、死生観と同じ構造をもつ。道元も人の生死を、似たような構造を持つ「全機」という言葉で語っている。浄土門にみられる極楽浄土といったメタファーは、個人的にはまだ信仰の対象とし得ていないが、その根源的な世界認識には、わたくしは自分を日本人たらしめるものとして深く帰依している。帰依するとは、わたくしの解釈では、「世界をそういうものとして受け入れ、そうであるように生きる」ということだ。
そんなわけでやはり、南無阿弥陀仏、と唱えてきた。

六年後、御開帳と聞いて、わたくしは六年前のこの日のことを思い出すだろう。
そしてその間の六年という月日と、自分の生の時間について考えるだろう。
その日のわたくしの為に、御開帳見物に出かけた記憶、という種をまいてみた、というのが今回の遠足の主旨だ。
なんとも気の長い話である。

室生寺

2008年06月18日 01時04分18秒 | 
赤目四十八滝に行き、時間があったので近くの室生寺に行った。
近いといっても公共交通手段で行ったので、赤目四十八滝からバスで近鉄赤目口駅、そこから電車で2駅の室生口大野駅からさらにバスで山道を15分。それらのバス、電車は一時間に1本程度、であるから近いなりにも時間はかかった。

室生寺は女人高野として有名だが、平安初期の創建で、その当時のままの金堂の中に御本尊の釈迦如来立像、有名な十一面観音菩薩像などがある。金堂、釈迦如来、十一面観音菩薩ともに国宝である。運慶作の十二神将像もある。まあ、なんとも素晴らしい。灌頂堂は鎌倉時代のものだが、これも国宝。これまた素晴らしい。
最近見た別所の安楽寺の八角三重塔も驚いたが、こちらもさらにびっくりだ。1200年近くも存在している木造建築物、というのは、そうであることによってしか付加されえない何か、としか言い様のないようなものがある。そして造作がまた、美しい。
縁起も独特で、開山の修円は興福寺の賢憬の高弟、とあるから法相であろうが、その後も真言や天台など各宗兼学の寺として長く栄え続けてきたという。ゆえか、どこか独特な懐深さを感じた。

薄暗い灌頂堂に入ろうとすると、入り口にいた御僧に「リンは二回鳴らして下さい」と言われた。どうやら御尊仏にお参りできるらしい。
正面に座り、横にあった一抱え程もある大きなリンを鳴らし、粛々と合掌した。わずかに打っただけなのに、いつまでも鳴り止まないかと思えるリンの響きを聴いていたら、ふと、いろいろなことがわかりそうな気がした。
言い表せなどしないが、見えかけたのは、救いを求める心の内実とその手触りだ。1200年間、あまたのその心があり、だから私は今、この御尊仏の前にいる。
寺を巡る楽しみをおぼえて早10年、未だ闇雲である。時折襲う、小悟に遙か及ばぬ小さな小さな気づき。それすらも、機運が充分ならばあるやもしれぬ幸運だ。だがそのために、私はその意味すらよくわからないまま、ひたすら御仏に相対し手を合わせている。

現代は整備された道路があり、寺の目の前までバスや車で乗り付けるからいい。
だがかつては山林修行の場であり、深く険しい山々に満足な道があったとは思われない。女人高野といって多くの女性たちが訪れたのであろうが、その健脚ぶりには感嘆する。
しかしこの地では今も、人間は端役に過ぎないのかもしれないと思う。ここでも自然は、私達を歯牙にもかけぬかのように悠然としている。


八角三重塔

2008年06月03日 18時46分51秒 | 
もうひとつの別所の見どころ、安楽寺にゆく。
ここは大覚禅師の語録に「建長(鎌倉の建長寺)と塩田(安楽寺)」と並び称されているという、信州最古の禅寺だ。
開山である惟仙禅師は、建長寺の開山大覚禅師と同じ船で宋から日本に帰った、とパンフレットにあり、きっと良い間柄であったであろう2人の禅僧の道行きを想って、いい気分になった。建長寺と並ぶなら無論、もとは臨済だが、安土桃山時代に曹洞に改宗されて今に至る。
ちなみに別所のある塩田平は、寺が多く「信州の鎌倉」と呼ばれている。北条氏の庇護のもと、この安楽寺を中心に大規模な学海があった。それがこの地の高い文化の由縁のひとつである。

ここには国宝の八角三重塔がある。
これまたパンフレットを頼むと、その説明に「建立年代については、鎌倉時代末期から室町時代初期までの間といわれてきたが、平成十六年、奈良文化財研究所埋蔵文化財センター古環境研究室の光谷・大河内両先生の調査の結果、三重塔用材の伐採年は正應二年(1289)と判明、1290年代(鎌倉時代末期)には建立された、わが国最古の禅宗様建築であることが証明された。」とある。なんとも具体的で、その研究には頭が下がる。

安楽寺の裏山の墓地の中にぽつねんと建つそれは、思ったよりも小さく、故にかえってその精緻さが際立つ。
図面を書いて、材木をその通りに切り、組み立てるとこうなるものか。
そしてどうしてこのようなものが、こんなところに、こんなにも素晴らしいままに存在し続けているのか。
北条氏が滅亡した後、この寺も一時廃れたという。しかし長い年月、多くの人達に守られ、燃えることも倒れることもなく、誕生から700年あまり。
さて、700年とは。それは今まで私が感じていたよりもずっと短い時間なのかもしれない。
自然の話ではないし、歴史の話でもない。人の手の技の話である。心が幾代も超えて伝達する、その確かさの話だ。
ぼんやりと塔を眺めて、ああ、とばかりひとりごちた。


北向

2008年06月02日 04時52分38秒 | 
さて、おばあちゃんに別れを告げ、観光に繰り出す。
古代から温泉が湧いていたというこの地には、豊かな歴史と文化がある。

まず別所温泉の中心、温泉を神仏の霊験として観音を奉ったという北向観音に、湯を感謝しに行く。
長野に住む知人に伺ったところ、この北向観音は善光寺に相対して建ち(ゆえに寺としては異例のことに、北に向いている)、どちらかだけに参拝すると「片参り」になるので良くないという民間信仰があるらしい。善光寺は何度か参ったが、ここははじめてだった。
行ってみると、どうやらここはおばあちゃんの話に出てきた常楽寺の一部らしい。

ふと、どこか腑に落ちない気がした。
朝茶を飲みながら聞いた話では、常楽寺のお坊さんはとっても出世した偉い人で、なんでも延暦寺の座主になったのだ、とおばあちゃんは言っていた。延暦寺といえば当然、天台である。はて、善光寺は浄土門ではなかったか。本尊が阿弥陀如来なのは間違いない。民間信仰に宗派もなかろうが、そこまで節操がないはずはない気がする。
家に帰ってから調べたところ、善光寺はもともと無宗派の寺で、浄土宗と天台宗の別格本山であるとのことだった。なるほど。筋は通った。
しかし筋が通ったところで、もちろんなんということもない。善光寺は一応、寺ではあるが、伊勢神宮や出雲大社とほぼ同格(?)のようなものであるし、なんであろうとほとんどの人は構うまい。

しかし、驚いたことがひとつある。
善光寺と北向観音の距離の遠さだ。方や長野市、方や上田である。「片参り」は良くない、といっては、昔の人達はこの距離を歩いたのか。


東京の寺その1、増上寺

2007年07月18日 23時31分11秒 | 
しばらく京都や奈良にも行けず、趣味の神社仏閣巡りも無沙汰なので、手近な東京の寺を見歩くことにした。
無論、わざわざ出掛けて行くほど酔狂ではない。近くについでがあれば、少々足をのばして行くまでのことだ。

さて、その1は芝の増上寺である。浄土宗の大本山で、正面から見ると借景に東京タワーを背負う、これぞ東京の寺。開山は室町だが徳川の菩提寺であるから、まさしく江戸の寺、といった印象もある。浅草寺ほど庶民派ではないが、京都やら鎌倉やらの寺院に比べたら、どうにも生々しい。
だが、いつか書いた大阪の四天王寺のように、それは悪くはない。
とくに昭和49年に作られたという本堂の内部は端正で美しい。
浄土門の寺の祭壇が荘厳だったり華美であるのは、わたしたちの欲望の反映なのだろうか?
しかし、彼岸が美しいと想像するに越したことはないのだ。

善光寺

2007年06月04日 02時09分26秒 | 
長野に行き、朝の善光寺を散歩する。
本当は戒壇巡りがしたくてたまらなかったのだが、まだ営業していない早朝しか時間がなく、泣く泣く諦めた。
しかし、いつ行ってもいい寺だ。

長野で一緒になった上田に住む知人が、移動中の車の中で話してくれた話がおもしろかった。
長野県の街でも、長野は道路がきちんと敷かれていなくて、市内を運転するのが不便だという。確かに、私も何度行っても駅周辺の道すらおぼえられず、苦労している。

「松本や上田はもとが城下町だからいいけれど、もとが門前町だとやっぱりだめね」

なぜか妙におかしくて、あまり笑いすぎるのも変かと思い耐えたが、腹筋が痛くなった。
まさしく、そうであるにちがいない。

石庭

2007年05月23日 00時40分37秒 | 
再び京都に行き、再び龍安寺の石庭を見る。
いつ行っても観光客と修学旅行生に溢れている。
15個の石が14個しかみえないとか、作者がわからないとか。造形が優美だとかなんだとか。
日本語と英語でそこここで繰り広げられているガイドの説明が、耳に五月蝿い。

曇り空の下にある、泥のような砂、泥のような岩。
陰影をなくしたそれは、ただものがあるという生々しさばかりだ。
なぜこんなものを作ったのだろう。
禅僧の荒びとは、などと考えだす思考を、無理にでもおさえる。
本当に観るために、考えることに逃げないことが必要な時もある。

四天王寺

2007年05月13日 01時35分02秒 | 
大阪の四天王寺にも行った。ここはなんだか、いわゆる京都や鎌倉の寺とはわけが違う。
香を焚く煙と人々の熱気に噎せ返りながら、こんな光景をどこかで見たと思った。

よくよく考えれば、それはカトマンズの朝の寺院に似ていた。
京都の、少なくないお金を払って拝観する、いわゆる観光のための寺ではない。普通に生きる人々が、信仰と生活の寄りどころとして集う寺だ。
寺とは本来そういうものだということを、時に忘れる。寺は衆生にとって、高い精神性や特殊な美的関心のために存在しているわけではない。それは何度でも、胸に刻んでおく必要がある。

東福寺

2007年05月06日 03時00分01秒 | 
 久しぶりにいつか行った寺の話を。虚無のことなど書いているうちに、一度は京都まで行ったのだった。
 しかしあまり時間に余裕がなく、めずらしく臨済宗東福寺派の大本山東福寺、一所に決め込んだ。(普段は一度行ったら阿呆のように寺を巡る。)

 これは間違いなく素晴らしい寺だった。京都に観光で行く場合、あまり聞かないが、まずここに行くといいと言えるほどだ。臨済の寺の中でも、極めて優美。大本山などの多くの寺には、ある意図された構図が必ずあるが、東福寺はそれが明確な美しさになっている。そして自然が生かされている。寺を見るなら、おすすめだ。
 しかし方丈の枯山水を見るなら、やはり龍安寺や南禅寺が勝る。昭和に作られたという新しい庭は、それはそれで独特で鮮烈だが、少々気負いがある。
 一方、開山堂の前庭はよかった。もし仮に三次元の芸術作品として捉えるなら、これはかなりのものだと思う。だが、あるのは砂と樹木と石ばかり。そしてなんのことはない、そのありようは庭なのだ。「その心」に私は惹かれてやまない。