吉本隆明氏が亡くなった。
吉本氏は、一般的には戦後の偉大な思想家として認識されているだろう。でもわたくしにとっては、氏は何よりもまず、荒地の詩人だった。
よく読んだのは10代の頃で、それも他の荒地の詩人に比べてそれほど熱心に読んだわけではなかった気がしていた。でも今日、久しぶりに全詩集を読み返して、思ったよりも自分が吉本氏の書いた詩篇を記憶していることに驚いた。代表作である『固有時との対話』『転位のための十編』はもちろん、80年代までの詩も懐かしかった。
氏は詩はあまり上手くなかった、というのが一般的な評価なのかもしれない。でも今読むと、この詩業は、日本詩史にとってとても重要なことだったのだなと思う。なぜなら、思想史に名を残すような思想家になれる精神力と知的忍耐力と情熱をもった人間が、詩を書くというのは、近代以降の日本の詩史の中で稀有なことだからだ。この先もそのような人間によって日本語の詩が書かれる可能性は、ほとんどないような気がする。(そんな人間がいたとして、今時、わざわざ現代詩を書こうとするだろうか?もちろん奇跡はいくらでも起こりうるけれども)
詩人になんて誰でもなれる、と氏が言ったと、鮎川信夫が吉本隆明論で書いている。「一年か二年、毎日のように一生懸命、所定の時間に」とにかく搾り出してでも書き込めば、誰でもなれる、と。実際に、吉本氏には『日時計篇』と名付けられた、一年半弱の期間で書かれた478篇の詩篇がある。
生まれた時から詩人であるような人間が書いた詩ばかりがいいとは、わたくしは思わない。天性の詩人が書いた詩よりも、思想史に名を残すような思想家になれる精神力と知的忍耐力と情熱で書かれた詩の方が、文学的な意味があることだってあるだろう。
「
ぼくはでてゆく
冬の圧力の真むかうへ
ひとりつきりで耐えられないから
たくさんのひとと手をつなぐといふのは嘘だから
ひとりつきりで抗争できないから
たくさんのひとと手をつなぐといふのは卑怯だから
ぼくはでてゆく
すべての時刻がむかうかはに加担しても
ぼくたちがしはらつたものを
ずつと以前のぶんまでとりかえすために
すでにいらなくなつたものはそれを思ひしらせるために
ちひさなやさしい群よ
みんなは思ひ出のひとつひとつだ
ぼくはでてゆく
嫌悪のひとつひとつに出遇ふために
ぼくはでてゆく
無数の敵のどまん中へ
ぼくは疲れている
がぼくの瞋りは無尽蔵だ
ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる
ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる
ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる
もたれあふことをきらつた反抗がたふれる
ぼくがたふれたら同胞はぼくの屍体を
湿つた忍従の穴へ埋めるにきまつている
ぼくがたふれたら収奪者は勢ひをもりかへす
だから ちひさなやさしい群よ
みんなひとつひとつの貌よ
さようなら
(「ちひさな群への挨拶」より引用)」
鮎川信夫が、内村剛介が吉本隆明のことを「どうしようもなく孤立している人間」と評した、と書いているのを読んだことがある。どうしようもなく孤立していると、きっと思想史に名を残すような思想家も、詩人になるのだろう。
「
そこに何があり
ぼくらは何をしてきたか
高尚と壮大の神学を排して できるだけ
小さな存在と組みたかった
大気に発電する太陽に反抗して その熱線の
とどかないさき
蟻の未来のような虫の政府を
建設したかった
(「小虫譜」より引用)」
読み手がたじろぐほどの愛情深さが、この詩人の真骨頂だというのは。
でもきっと、そういう人間にしか、偉大な思想家にはなれないのだろう。
吉本氏は、一般的には戦後の偉大な思想家として認識されているだろう。でもわたくしにとっては、氏は何よりもまず、荒地の詩人だった。
よく読んだのは10代の頃で、それも他の荒地の詩人に比べてそれほど熱心に読んだわけではなかった気がしていた。でも今日、久しぶりに全詩集を読み返して、思ったよりも自分が吉本氏の書いた詩篇を記憶していることに驚いた。代表作である『固有時との対話』『転位のための十編』はもちろん、80年代までの詩も懐かしかった。
氏は詩はあまり上手くなかった、というのが一般的な評価なのかもしれない。でも今読むと、この詩業は、日本詩史にとってとても重要なことだったのだなと思う。なぜなら、思想史に名を残すような思想家になれる精神力と知的忍耐力と情熱をもった人間が、詩を書くというのは、近代以降の日本の詩史の中で稀有なことだからだ。この先もそのような人間によって日本語の詩が書かれる可能性は、ほとんどないような気がする。(そんな人間がいたとして、今時、わざわざ現代詩を書こうとするだろうか?もちろん奇跡はいくらでも起こりうるけれども)
詩人になんて誰でもなれる、と氏が言ったと、鮎川信夫が吉本隆明論で書いている。「一年か二年、毎日のように一生懸命、所定の時間に」とにかく搾り出してでも書き込めば、誰でもなれる、と。実際に、吉本氏には『日時計篇』と名付けられた、一年半弱の期間で書かれた478篇の詩篇がある。
生まれた時から詩人であるような人間が書いた詩ばかりがいいとは、わたくしは思わない。天性の詩人が書いた詩よりも、思想史に名を残すような思想家になれる精神力と知的忍耐力と情熱で書かれた詩の方が、文学的な意味があることだってあるだろう。
「
ぼくはでてゆく
冬の圧力の真むかうへ
ひとりつきりで耐えられないから
たくさんのひとと手をつなぐといふのは嘘だから
ひとりつきりで抗争できないから
たくさんのひとと手をつなぐといふのは卑怯だから
ぼくはでてゆく
すべての時刻がむかうかはに加担しても
ぼくたちがしはらつたものを
ずつと以前のぶんまでとりかえすために
すでにいらなくなつたものはそれを思ひしらせるために
ちひさなやさしい群よ
みんなは思ひ出のひとつひとつだ
ぼくはでてゆく
嫌悪のひとつひとつに出遇ふために
ぼくはでてゆく
無数の敵のどまん中へ
ぼくは疲れている
がぼくの瞋りは無尽蔵だ
ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる
ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる
ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる
もたれあふことをきらつた反抗がたふれる
ぼくがたふれたら同胞はぼくの屍体を
湿つた忍従の穴へ埋めるにきまつている
ぼくがたふれたら収奪者は勢ひをもりかへす
だから ちひさなやさしい群よ
みんなひとつひとつの貌よ
さようなら
(「ちひさな群への挨拶」より引用)」
鮎川信夫が、内村剛介が吉本隆明のことを「どうしようもなく孤立している人間」と評した、と書いているのを読んだことがある。どうしようもなく孤立していると、きっと思想史に名を残すような思想家も、詩人になるのだろう。
「
そこに何があり
ぼくらは何をしてきたか
高尚と壮大の神学を排して できるだけ
小さな存在と組みたかった
大気に発電する太陽に反抗して その熱線の
とどかないさき
蟻の未来のような虫の政府を
建設したかった
(「小虫譜」より引用)」
読み手がたじろぐほどの愛情深さが、この詩人の真骨頂だというのは。
でもきっと、そういう人間にしか、偉大な思想家にはなれないのだろう。