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言無展事

徒然に禅語など。

「ちひさな群への挨拶」より

2012年03月17日 03時18分35秒 | 
 吉本隆明氏が亡くなった。
 吉本氏は、一般的には戦後の偉大な思想家として認識されているだろう。でもわたくしにとっては、氏は何よりもまず、荒地の詩人だった。

 よく読んだのは10代の頃で、それも他の荒地の詩人に比べてそれほど熱心に読んだわけではなかった気がしていた。でも今日、久しぶりに全詩集を読み返して、思ったよりも自分が吉本氏の書いた詩篇を記憶していることに驚いた。代表作である『固有時との対話』『転位のための十編』はもちろん、80年代までの詩も懐かしかった。

 氏は詩はあまり上手くなかった、というのが一般的な評価なのかもしれない。でも今読むと、この詩業は、日本詩史にとってとても重要なことだったのだなと思う。なぜなら、思想史に名を残すような思想家になれる精神力と知的忍耐力と情熱をもった人間が、詩を書くというのは、近代以降の日本の詩史の中で稀有なことだからだ。この先もそのような人間によって日本語の詩が書かれる可能性は、ほとんどないような気がする。(そんな人間がいたとして、今時、わざわざ現代詩を書こうとするだろうか?もちろん奇跡はいくらでも起こりうるけれども)

 詩人になんて誰でもなれる、と氏が言ったと、鮎川信夫が吉本隆明論で書いている。「一年か二年、毎日のように一生懸命、所定の時間に」とにかく搾り出してでも書き込めば、誰でもなれる、と。実際に、吉本氏には『日時計篇』と名付けられた、一年半弱の期間で書かれた478篇の詩篇がある。
 生まれた時から詩人であるような人間が書いた詩ばかりがいいとは、わたくしは思わない。天性の詩人が書いた詩よりも、思想史に名を残すような思想家になれる精神力と知的忍耐力と情熱で書かれた詩の方が、文学的な意味があることだってあるだろう。




ぼくはでてゆく
冬の圧力の真むかうへ
ひとりつきりで耐えられないから
たくさんのひとと手をつなぐといふのは嘘だから
ひとりつきりで抗争できないから
たくさんのひとと手をつなぐといふのは卑怯だから
ぼくはでてゆく
すべての時刻がむかうかはに加担しても
ぼくたちがしはらつたものを
ずつと以前のぶんまでとりかえすために
すでにいらなくなつたものはそれを思ひしらせるために
ちひさなやさしい群よ
みんなは思ひ出のひとつひとつだ
ぼくはでてゆく
嫌悪のひとつひとつに出遇ふために
ぼくはでてゆく
無数の敵のどまん中へ
ぼくは疲れている
がぼくの瞋りは無尽蔵だ

ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる
ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる
ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる
もたれあふことをきらつた反抗がたふれる
ぼくがたふれたら同胞はぼくの屍体を
湿つた忍従の穴へ埋めるにきまつている
ぼくがたふれたら収奪者は勢ひをもりかへす

だから ちひさなやさしい群よ
みんなひとつひとつの貌よ
さようなら


(「ちひさな群への挨拶」より引用)」



鮎川信夫が、内村剛介が吉本隆明のことを「どうしようもなく孤立している人間」と評した、と書いているのを読んだことがある。どうしようもなく孤立していると、きっと思想史に名を残すような思想家も、詩人になるのだろう。




そこに何があり
ぼくらは何をしてきたか
高尚と壮大の神学を排して できるだけ
小さな存在と組みたかった
大気に発電する太陽に反抗して その熱線の
とどかないさき
蟻の未来のような虫の政府を
建設したかった

(「小虫譜」より引用)」



読み手がたじろぐほどの愛情深さが、この詩人の真骨頂だというのは。
でもきっと、そういう人間にしか、偉大な思想家にはなれないのだろう。

和合亮一氏の『詩の礫』

2011年07月08日 03時32分20秒 | 


和合亮一氏の『詩の礫』が早速単行本になった。
紙で読めるのを待っていた。

和合氏は日本の詩人で、だから彼が体験したことは、詩になった体験は、ただ単に彼が体験したことということにとどまらず、日本語という言語が何を体験したかということだ。いいも悪いもなく、これが今回の震災を日本語がどうやって体験したかを証す最初のものだ。そういう意味で、詩としての意味という点で、現時点ではこれ以上のものはないと思う。放射性物質の危険に晒され、余震で揺れ続けた福島市に、詩を書くために残る詩人がいたことに、日本語という言語を生きる人間のひとりとして、わたくしは心の底から感謝する。



「今、これを書いている時に、また地鳴りがしました。揺れました。息を殺して、中腰になって、揺れを睨みつけてやりました。命のかけひきをしています。放射能の雨の中で、たった一人です。

2011年3月16日22:46」


「僕はあなたの心の中で言葉の前に座りたいのです。あなたに僕の心の中で言葉の前に座って欲しいのです。生きると覚悟した者、無念に死に行く者。たくさんの言葉が、心の中のがれきに紛れている。

2011年3月18日14:37」


「11438人の影(日本中の詩友よ、今こそ詩を書くときだ、日本語に命を賭けるのだ、これまでしのぎを削ってきた詩友よ、お願いする、詩を、詩を書いて下さい、2時46分、黒い波に呑まれてしまった無数の悲しい魂のために、お願いする、私こそは泣いて、詩友に、お願いする。)がバス停を過ぎる。

2011年4月1日22:59」

(『詩の礫』和合亮一)




応えの言葉は、己のうちにあるか。
たとえわたくしやあなたが、詩人でなかったとしても。


グルカ

2011年07月03日 03時06分11秒 | 





ネパールに行ったとき、山岳民族であるマガール族出身の若者と知り合い、
よく考えもせず雑談ついでに、グルカ兵についての話をふった。
「マガール族って、あの有名なグルカ傭兵の民族?」
イギリスのネパール山岳民族の傭兵部隊、という程度の知識で、歴史の話でも聞かせてもらおうと思った。

だから彼が語ってくれた言葉には不意をつかれた。
「グルカは今も、アフガニスタンやイラクや、他にも世界中で毎日死んでる。
一番高収入な出稼ぎさ、それに死ぬとお金がいっぱい貰えて遺された家族が困らないんだ」
そうか、世の中には民間軍事会社というものがあり、今もジュネーブ条約に規制されない事実上の傭兵がいる。

グルカ兵といえば、「19世紀から20世紀にかけて活躍した最強の傭兵集団」という薄弱な認識しかない、
平和ボケしたひとりの日本人が醜態を晒す瞬間。
なるほど、アメリカの、そして日本も加担している戦争は、ネパールにも外注されていたんだな。
それは現実の諸条件を鑑みれば自然な成りゆきとも言えるが、人間の悲惨の一形態であることは間違いない。

ネパールは他の多くの国々と同じような文明国であり、ヒマラヤの聳える神々の国だ。
でもGDPが世界184カ国の中で170位ぐらいという、最貧国といわれる国のひとつでもある。
マガール族は文化的にはチベットに近く、その多くは仏教徒で、精悍だが素朴な人たちという印象だった。
グルカ兵に限らない、世界中の経済的に貧しい国々で同じことが起きていると想像するのは、簡単なことだ。

今日、アフガニスタン・イラク戦争で、これまでに約22万人が死んだという記事を読んだ。
家族を養うために異国の戦場にでかけた山の男たちは、その中にちゃんとカウントされているだろうか?
公式な軍の戦死者リストには載らないという、21世紀になってなお歴史の陰の部分を生きた彼らが
その統計で忘れ去られていないか、気にかかってしかたない。







山頭火

2010年11月18日 12時36分31秒 | 
しばらくどうにも山頭火から抜け出せずにいた。

山頭火となれ合ったって気持ち悪いし、アバンギャルドってこういうことね、とか、これこそが現代詩だ!とか学びの姿勢を主張してもつまらないし、ましてやその奥にある自分の中のまどろっこしい言葉を全部無価値なものにしてしまいたい衝動なんて、どう考えたって厄介で非生産的なだけだ。
いっそ手持ちの句集をブックオフで処分してしまえぐらい思ったが、ちくま文庫ならどこの本屋でも簡単に買えてしまうから根本的な解決にはならない。



あうたりわかれたりさみだるる
わたしと生まれたことが秋ふかうなるわたし
秋風あるいてもあるいても
むしあつく生きものが生きものの中に
死のしづけさは晴れて葉のない木



俳句を作るために行乞した明治生まれの禅僧(しかも大酒飲みの破戒僧)という奇跡じみた人間が生んだ日本語は、その極限の短さ簡潔さと、その句のもつ意味内容の量の膨大さという反比例の凄まじさで、読めば読むほどに奇跡じみて感じられる。
一般に人生に対して度を超して深刻であることは滑稽なことなわけだが、本人もそんなことは百も承知だが、しかしそうでなければこんなに笑って泣ける美しさを作り出すことはできなかっただろう。


十月

2010年10月10日 01時45分27秒 | 
十月は詩の季節。
詩作という行為はわたくしにとって、畢竟、己の非才無能さに耐えることだ。
それについてはシモーヌ・ヴェイユが的確な解説をしてくれている。
彼女が詩作を例に政治を語った文脈にある一節だ。


「多次元にわたる同時的な構成は芸術創造の法則であり、ここにこそ困難がある。
 詩人は語句の配置と語の選択のさいに、すくなくとも五つもしくは六つの構成局面を同時に考慮せねばならない。自分が採用した詩の形式における音綴数と押韻などの詩法上の諸規則、語句の文法的統括、思考の展開にかかわる論理的統括、音綴に含まれる音の純然たる音楽的連続、区切や休止や個々の音綴および音綴の個々の集合の持続によって構成される物理的というべき律動(リズム)、各語句に含まれる暗示の可能性がその語句をつつみこむ雰囲気、さまざまな語句の継起がもたらすある雰囲気から別の雰囲気への移行、ある雰囲気もしくは思考のある動きに呼応する語句の持続から構成される心理的律動、反復と斬新さの効果、その他これ以外の諸要因、そして上記すべてをまとめあげる唯一無二の美的直感との関連において。
 霊感とは魂の諸能力の緊張である。この緊張が複合的局面での構築に不可欠な高次の注意力を可能にする。
 このような注意力をあやつる能力のない人間でも、謙遜と不屈の精神と堅忍によって粘りづよく堪えぬき、変わらず烈しい願望によって励まされるなら、いつの日かその能力を手にいれるだろう。
 このような願望の虜になっていない人間に詩篇をものする必然性はない。」

(『根をもつこと』シモーヌ・ヴェイユ)




わかっているよ、シモーヌ。
たとえわたくしの謙遜も不屈さも堅忍も烈しい願望も、ユダヤ系哲学者である貴女の言うそれに遙か及ばないとしても、やっていることはまあ同じだ。
あとは粘りづよく堪えぬくだけだと、わかってはいるのだが。




根をもつこと(上) (岩波文庫)
シモーヌ・ヴェイユ
岩波書店


根をもつこと(下) (岩波文庫)
シモーヌ・ヴェイユ
岩波書店

インシデンタル・ギフト

2009年10月20日 04時03分46秒 | 
10月は詩の季節。
今年引く鮎川信夫の言葉は随分前に決めていた。自称鮎川信夫の弟子というペンキ屋さんである河原晋也氏の著作『幽霊船長』を、何ヶ月か前に偶然古本屋で見つけた。
その著作に、鮎川が晩年、日録に概略以下のようなことを書いていたと鮎川夫人が言っていた、とある。


「人生(ライフ)は単純なものである。人がおそれるのは、畢竟一切が徒労に帰するのではないかということであるが、人生(ライフ)においては、あらゆる出来事が偶発的(インシデンタル)な贈与(ギフト)にすぎない。そのおかえしに書くのである。正確に、心をこめて、書く。ーーそれがための言葉の修練である。」

*括弧内は文中ではふり仮名(筆者註)

弟子の河原氏は書く。鮎川の人生は「すべてを贈与(ギフト)として受容れる、愚直なまでの勇気を要したのである。」と。おまけに「正確に、心をこめて」の部分に傍点がふってある。

ライフで起こるあらゆる出来事は、インシデンタルなギフトにすぎない。
それを概念的に薄っぺらに理解するのは簡単なことだ。でもそんなものに意味はない。
それを思想と覚悟とし、身を以て生きねばならない。
そして正確に心をこめて書くために、生きている間は最善を尽くすだけだ。



幽霊船長―河原晋也遺稿集
河原 晋也
文藝春秋

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四千の日と夜

2009年08月07日 00時44分39秒 | 
「四千の日と夜」

一篇の詩が生れるためには、
われわれは殺さなければならない
多くのものを殺さなければならない
多くの愛するものを射殺し、暗殺し、毒殺するのだ

見よ、
四千の日と夜の空から
一羽の小鳥のふるえる舌がほしいばかりに、
四千の夜の沈黙と四千の日の逆光線を
われわれは射殺した

聴け、
雨のふるあらゆる都市、鎔鉱炉、
真夏の波止場と炭坑から
たったひとりの飢えた子供の涙がいるばかりに、
四千の日の愛と四千の夜の憐みを
われわれは暗殺した

記憶せよ、
われわれの眼に見えざるものを見、
われわれの耳に聴えざるものを聴く
一匹の野良犬の恐怖がほしいばかりに、
四千の夜の想像力と四千の日のつめたい記憶を
われわれは毒殺した

一篇の詩を生むためには、
われわれはいとしいものを殺さなければならない
これは死者を甦らせるただひとつの道であり、
われわれはその道を行かなければならない


(田村隆一『四千の日と夜』より)



日本現代詩の巨星、田村隆一氏の代表作「四千の日と夜」。
ここ一週間、ずっと思考がこの詩につきまとわれている。

日本の現代詩に少しでも興味があれば必ず通るテキストで、わたくしも子供の頃読んだ。
言わんとすることはわからないでもなかったし、このシンタックスが戦後の詩に新しい地平を切り開いたことも理解したし、四千日ということは11年ぐらいかと変な計算をしたりもした。
しかしこの詩の意味を知るためには、実際に四千の日と夜を殺して一篇の詩を生んでみなくてはならない、ということが最近になってわかった。
四千の日と夜を殺す、とは、レトリックではある。だがレトリックではない。どんなレトリックをまとっても、詩人は事実をしか書かない。

田村隆一氏は、荒地の詩人たちの中でも「あいつは詩人だ」と言われていたような、超のつくような詩人だ。
そんな詩人が書いた言葉が、まったくそうではない自分の人生を侵すと、わたくしは最近まで考えなかった。
だが驚くなかれ、己の認識は常に己をこそ裏切る。
わたくしはいつか、一篇の詩を生むために四千の日と夜を殺すのか。
一篇の詩を生んで、四千の日と夜を殺したことを知るのか。
いや、一篇の詩を生むために、わたくしは、わたくしの四千の日と夜を、多くのものを殺さなくてはならなくなるのか。
四千日は約11年だ。
ひょっとしたら、そのようにしていつか、わたくしは詩人になるのか。



今お前はお前のこころへ、

2009年05月18日 22時42分15秒 | 
気がついたら随分更新していなかった。久しぶりに、さて、リルケを引こうか。



今お前はお前のこころへ、
平野へゆくように出なくてはならない。
大きな寂寥が始まる。
日々は聾ひ、
風はお前の感覚から
枯葉のように世界を奪ふ。
その空しい枝を透いて
お前の持つ天が見える。
今こそ地となれ、夕の歌となれ、
また彼の守る国となれ。
事物のように謙遜れ、
現実に熟せ―
知識の源である者が、
汝をつかむ時、汝を感ずるやうに。

『リルケ詩抄』茅野蕭々訳 岩波文庫 より


「現実に熟せ―」、大きな寂寥のなかで。
さてはて。


リルケ詩抄 (岩波文庫)

岩波書店

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10月

2008年10月22日 04時03分59秒 | 
毎年10月は、鮎川信夫氏についての記事をここに書いてきた。
このブログを初めて、驚くべきことにもう5年目、5回目の10月である。

さて、何を引こうか。
山ほどの氏の言葉が、これまでわたくしに気づきを与え、確信を深めさせ、変化を促し、過ちを省みさせた。わたくしにとって彼は、いままでの人生で出会ったもっとも強靭な“他者”だった。
22年前に亡くなった一人の詩人を、まるで人生と思想と詩作の伴侶のように扱うのは、奇異であるし、不健康でもある。だがもし氏の詩業と人間を知らなかったとしたら、わたくしの人生はどれほどかつまらないものになっていたに違いない。だからここにも、何かしら書いておきたいと思っている。このブログに引用された言葉を繋ぎ合わせていったら、いつかそこに自分の輪郭があるかもしれないから。

というわけで、とっておきを引こう。
現代詩手帖の1975年8月号「増頁特集=鮎川信夫と戦後詩30年」に掲載された秋山駿氏との対談より。
鮎川氏の、結婚して家庭をつくり子供を育てようと思ったことがない、さらには現在の社会の中で、ここなら家族をつくっていいんだという感じがしたことがない、という発言を受けた秋山氏の反論から。

「秋川:鮎川さん、だけどそれはちょっと寂しい考え、不幸な考えですよ。

 鮎川:そうかもしれないですね。だけど、ぼくは寂しさっていうのにはすごく強いんですよ。それだけなんですよね、もし詩人に特権というものがあるとすれば。寂しさという感覚が一番ファミリアだっていうか、親しいっていうかね、もういつもそれと隣り合わせで。だからあまり寂しくないわけです。」

それがそもそも寂しい考えなんだよ、と、詩人以外の人ならつっこむだろう。
だが「詩人に特権というものがあるとすれば、寂しさという感覚が一番ファミリアだということ」という言葉のリアリティは、いま、確かにわたくしの存在を支えている。


書くこと

2008年08月20日 20時39分29秒 | 
最近、ものを書く仕事があって(そんな仕事をしようとはかつて思わなかった)、慣れない技にくらくらし、余力もなくこちらに記事も書かない。
芭蕉はどこに行った?はて、そんなこともあったっけ。などと。

はなから書きたいことなど何もないのだ。語りたいことも。
そしてゆえに、なぜか書く。
悟りが足りないのである。


「意味よりも深い至福をもとめて
 私は詩を書き継ぐしかない

 (谷川俊太郎『書き継ぐ』より)」



私―谷川俊太郎詩集
谷川 俊太郎
思潮社

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