今年も9月11日をニューヨークで過ごした。
11年目、9.11から9周年。
随分前から、10周年の来年で終わりにしようと思っていた。いつかはやめなければと思い続けてここまで来たので、区切りがいいという、それだけの理由だ。今のところそれ以外に理由が見つからない。
9.11の一年後の2002年、9月11日を東京で過ごす気になれなくて、この街に戻って来た。わたくしの体験は東京ではほとんど伝達性がなかったし、ノイズのように感じられる他人の言葉に晒されるのが苦痛だった。それがはじまりで、それがずっと続いている。あれから9年、この街はわたくしを抱擁し、小さな存在を保証してくれた。
結局、20代の全部をそれに費やすことになった。
なぜこんなに苦労してまで毎年この街に来るのか。9.11は自分にとって何だったのか。もううんざりするほど考え続けて来た。
結局、わたくしの経験は全く必然性を欠き、ただ傍観者でしかなかったことによって、突き抜けることができない中途半端なものだったのだと思う。偶々滞在していた街で、目の前で信じられないようなかたちで3千人の命が失われるのを見たというだけだ。
そこに個人的な挫折などが重なって、これ以上はないというぐらい様々なことを学んだけれど、それがいかに自分にとって唯一無二の体験であろうと、あまりに個人的なストーリーだった。何もしないわけにはいかなかったとしても、年に一度ニューヨークに来て、犠牲になった方々のことを想う以上の行為をする大義名分もなかった。
もう数えきれない程繰り返し想起したあの朝の記憶は、まだ鮮やかで、昨日のことのような気がする。あの朝からわたくしの時間は止まったままだ。
でももう、自分を自由にしなくてはいけない。止まったままの時間を動かさなくてはならない。
2年後の9月11日のことを考えると、たまらない気分になる。もう泣ける場所がなくなる。その日が永遠に来なければいいのにと思う。その感情を超えることが、あと2年でできるだろうか。2年は短い、9年があっという間だったのだから。後悔のないように、やり尽くすしかない。これがわたくしの四千の日と夜ならば、他にやることはない。
だが長かった。長い、長い四千日の終わりがようやく見えかけた。
11年目、9.11から9周年。
随分前から、10周年の来年で終わりにしようと思っていた。いつかはやめなければと思い続けてここまで来たので、区切りがいいという、それだけの理由だ。今のところそれ以外に理由が見つからない。
9.11の一年後の2002年、9月11日を東京で過ごす気になれなくて、この街に戻って来た。わたくしの体験は東京ではほとんど伝達性がなかったし、ノイズのように感じられる他人の言葉に晒されるのが苦痛だった。それがはじまりで、それがずっと続いている。あれから9年、この街はわたくしを抱擁し、小さな存在を保証してくれた。
結局、20代の全部をそれに費やすことになった。
なぜこんなに苦労してまで毎年この街に来るのか。9.11は自分にとって何だったのか。もううんざりするほど考え続けて来た。
結局、わたくしの経験は全く必然性を欠き、ただ傍観者でしかなかったことによって、突き抜けることができない中途半端なものだったのだと思う。偶々滞在していた街で、目の前で信じられないようなかたちで3千人の命が失われるのを見たというだけだ。
そこに個人的な挫折などが重なって、これ以上はないというぐらい様々なことを学んだけれど、それがいかに自分にとって唯一無二の体験であろうと、あまりに個人的なストーリーだった。何もしないわけにはいかなかったとしても、年に一度ニューヨークに来て、犠牲になった方々のことを想う以上の行為をする大義名分もなかった。
もう数えきれない程繰り返し想起したあの朝の記憶は、まだ鮮やかで、昨日のことのような気がする。あの朝からわたくしの時間は止まったままだ。
でももう、自分を自由にしなくてはいけない。止まったままの時間を動かさなくてはならない。
2年後の9月11日のことを考えると、たまらない気分になる。もう泣ける場所がなくなる。その日が永遠に来なければいいのにと思う。その感情を超えることが、あと2年でできるだろうか。2年は短い、9年があっという間だったのだから。後悔のないように、やり尽くすしかない。これがわたくしの四千の日と夜ならば、他にやることはない。
だが長かった。長い、長い四千日の終わりがようやく見えかけた。