9月11日の朝、遺族が読み上げる犠牲者2753人の名前を聞くために、今年もグランドゼロに帰って来た。10年間、変わらないセレモニーだ。
10年前の9月11日、信じられないような仕方で、目の前で2753人の命が失われるのを見た。
それがどういうことなのか、わたくしはずっとわかりたいと思っていた。
でも10年間かけてわかったことは、あまり多くない。
わかったのは、それはきっとわからないのだろう、ということだ。
ある日突然、まるで嘘のように失われる命がある。
朝、「じゃあ、いってくるよ」と言っていつもどおり家を出た家族に、もう二度と会えなくなること。
何の前触れもなく、隣人の一部をもぎ取られるようにして失う共同体。
そこにはどんな解釈によっても慰められない痛みがある。
人間の悲惨をどう受けとめればよいのか。
遺された共同体は犠牲者をどう弔えばいいのか。
ツインタワーの跡地は、10年目にして記念碑になった。大きな四角い穴が2つ。それぞれの縁に犠牲者の名前が刻まれている。
10年かけて、でも、できたものがこれでよかった。
名を刻むこと、それを4時間以上もかけて読み上げること。それを皆で集まって聞くこと。死者を弔うということについて、それ以外にやることはないのかもしれない。
「貴方が恋しい」
「君を毎日思い出す」
「愛しているよ」
遺された家族達の死者への呼びかけもまた、10年間ほとんど変わらない。
まだ、涙が止まらない。
10年前の9月11日、信じられないような仕方で、目の前で2753人の命が失われるのを見た。
それがどういうことなのか、わたくしはずっとわかりたいと思っていた。
でも10年間かけてわかったことは、あまり多くない。
わかったのは、それはきっとわからないのだろう、ということだ。
ある日突然、まるで嘘のように失われる命がある。
朝、「じゃあ、いってくるよ」と言っていつもどおり家を出た家族に、もう二度と会えなくなること。
何の前触れもなく、隣人の一部をもぎ取られるようにして失う共同体。
そこにはどんな解釈によっても慰められない痛みがある。
人間の悲惨をどう受けとめればよいのか。
遺された共同体は犠牲者をどう弔えばいいのか。
ツインタワーの跡地は、10年目にして記念碑になった。大きな四角い穴が2つ。それぞれの縁に犠牲者の名前が刻まれている。
10年かけて、でも、できたものがこれでよかった。
名を刻むこと、それを4時間以上もかけて読み上げること。それを皆で集まって聞くこと。死者を弔うということについて、それ以外にやることはないのかもしれない。
「貴方が恋しい」
「君を毎日思い出す」
「愛しているよ」
遺された家族達の死者への呼びかけもまた、10年間ほとんど変わらない。
まだ、涙が止まらない。