「受験生のための『世界史B』」 もくじ
↑ここから各項目に入れます。
毎度お久しぶりでごめんなさい!
セプテンバーです!
えーと、前回どこまでやったっけ……笑
あ、今回からタイトルは「ローマ世界の終焉」です。
長かったローマもそろそろ幕引きですね。。。
[ディオクレティアヌス帝の統治]
前回までキリスト教の話をしていましたが、まあ、あれはローマ帝国の話と同時進行していたものだと考えてください。
覚えてますか? ローマはずっと軍人皇帝時代です。
そんな事態を収拾したのが、ディオクレティアヌス帝でした。
もともと一兵卒だった彼ですが、気がついたら皇帝になってました←
知ってのとおり、ローマ帝国は巨大です。
西はブリタニア(現在のイギリス)から東はカスピ海まで。
人類の歴史上、最も広大な領土を支配した国の第2位です。
第1位は、まだまだ出てきませんのでお楽しみに。笑
そんな巨大な帝国をいかに統治するかは、どの時代の皇帝にとっても頭の痛い問題でした。
ディオクレティアヌスは、おもしろいアイデアを出します。
「4人で協力してやろうぜ!」
と、言ったのです。
帝国を4分割して統治するってことですね。
これを四分統治(テトラルキア)といいます。
テトラポッドの「テトラ」です。
さらに、不安定な帝国をより強力にまとめあげるべく、自らを神として崇拝させました。
そして、それまでのローマ帝国は元首政(元首が「市民の代表」として統治する)をとっていたのですが、ディオクレティアヌス帝はわがままな王様としての支配を開始します。
これをもって、ローマ帝国は専制君主制(ドミナトゥス)に移行しました。
残念ですねー。
ローマはその民主主義がいちばんの強みだったというか、そこが彼らのプライドの源だったのに……。
民主主義ならなんでもいいっていうわけではありませんが、それでも専制君主制に「後退」してしまったのは、なんともやるせないものがあります。
[コンスタンティヌス帝の統治]
さて、その跡を継いだのが、コンスタンティヌス帝です。
ここでは2回目の登場ですよね。キリスト教を公認した、あの人です。
彼もまた、ディオクレティアヌス帝の政策をまねましたが、新しいこともしました。
国内の財源を整備するために、コロヌスへの束縛を強化したのです。
コロヌスって、覚えてますか? でかい農地でこき使われる、奴隷たちのことです。
彼らに脱走されたり、身分の昇格をされてしまったりすると、財政に影響が出ますよね。
だから、財政の安定を図って、彼らの身分を固定してしまったのです。
ひどい。
そして、330年、彼は、帝国の首都を東のビザンティウムに遷します。
※地図確認!
ビザンティウムは、新しいローマ帝国の首都、コンスタンティノープルとして生まれ変わりました。
今後何百年に渡って繁栄を極めることになるこの都は、その名前も同時に今後何百年に渡って世界史に翻弄されることになるのですが……。
すっかり専制君主制が定着してしまったローマ帝国。
王を補佐する役割をもつ「官僚」が台頭してきます。
やがて、王>官僚>農奴(コロヌス)という階層が完全にできあがってしまい、人々は血眼になって官僚を目指すようになります。
一方、最下層の農奴たちは生まれてから死ぬまで地主の土地にしばりつけられ、日の目を見ることもできません。
民主政は、死にました。
市民の自由も、死にました。
ローマ建国とポリスの成立から、1300年が経っていました。
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毎度お久しぶりでごめんなさい!
セプテンバーです!
えーと、前回どこまでやったっけ……笑
あ、今回からタイトルは「ローマ世界の終焉」です。
長かったローマもそろそろ幕引きですね。。。
[ディオクレティアヌス帝の統治]
前回までキリスト教の話をしていましたが、まあ、あれはローマ帝国の話と同時進行していたものだと考えてください。
覚えてますか? ローマはずっと軍人皇帝時代です。
そんな事態を収拾したのが、ディオクレティアヌス帝でした。
もともと一兵卒だった彼ですが、気がついたら皇帝になってました←
知ってのとおり、ローマ帝国は巨大です。
西はブリタニア(現在のイギリス)から東はカスピ海まで。
人類の歴史上、最も広大な領土を支配した国の第2位です。
第1位は、まだまだ出てきませんのでお楽しみに。笑
そんな巨大な帝国をいかに統治するかは、どの時代の皇帝にとっても頭の痛い問題でした。
ディオクレティアヌスは、おもしろいアイデアを出します。
「4人で協力してやろうぜ!」
と、言ったのです。
帝国を4分割して統治するってことですね。
これを四分統治(テトラルキア)といいます。
テトラポッドの「テトラ」です。
さらに、不安定な帝国をより強力にまとめあげるべく、自らを神として崇拝させました。
そして、それまでのローマ帝国は元首政(元首が「市民の代表」として統治する)をとっていたのですが、ディオクレティアヌス帝はわがままな王様としての支配を開始します。
これをもって、ローマ帝国は専制君主制(ドミナトゥス)に移行しました。
残念ですねー。
ローマはその民主主義がいちばんの強みだったというか、そこが彼らのプライドの源だったのに……。
民主主義ならなんでもいいっていうわけではありませんが、それでも専制君主制に「後退」してしまったのは、なんともやるせないものがあります。
[コンスタンティヌス帝の統治]
さて、その跡を継いだのが、コンスタンティヌス帝です。
ここでは2回目の登場ですよね。キリスト教を公認した、あの人です。
彼もまた、ディオクレティアヌス帝の政策をまねましたが、新しいこともしました。
国内の財源を整備するために、コロヌスへの束縛を強化したのです。
コロヌスって、覚えてますか? でかい農地でこき使われる、奴隷たちのことです。
彼らに脱走されたり、身分の昇格をされてしまったりすると、財政に影響が出ますよね。
だから、財政の安定を図って、彼らの身分を固定してしまったのです。
ひどい。
そして、330年、彼は、帝国の首都を東のビザンティウムに遷します。
※地図確認!
ビザンティウムは、新しいローマ帝国の首都、コンスタンティノープルとして生まれ変わりました。
今後何百年に渡って繁栄を極めることになるこの都は、その名前も同時に今後何百年に渡って世界史に翻弄されることになるのですが……。
すっかり専制君主制が定着してしまったローマ帝国。
王を補佐する役割をもつ「官僚」が台頭してきます。
やがて、王>官僚>農奴(コロヌス)という階層が完全にできあがってしまい、人々は血眼になって官僚を目指すようになります。
一方、最下層の農奴たちは生まれてから死ぬまで地主の土地にしばりつけられ、日の目を見ることもできません。
民主政は、死にました。
市民の自由も、死にました。
ローマ建国とポリスの成立から、1300年が経っていました。
amuiです
ちょっと時間ができたので寄ったのですが、
また更新されてて嬉しいです!^^
また勉強に役立たせていただきますね!
それでは!
最近見かけないのでどうしたのかなーとは思っていたんですがなんだか安心しました(笑)
もうすぐローマが終わります!
やったね!
(↑勝手な達成感)
こんばんは~
今回は相談事です。
軍人皇帝時代の人物、文化(両方とも)で登場する人物が、
何度読んでも覚えられません><
ブログさんのおかげで、流れややったことは理解出来た!のですが、
今回テストで全て人物の方が聞かれ、
ぼろぼろでした…(・・`)
どうしたら人物名が覚えられますか?
人物や著作などが覚えられないのは、多くの場合、自分が覚えようとしている物に対するイメージが乏しいからだと思われます。
自分がよく知らない物についてその名前だけを覚えようとしてもなかなかはかどらないんじゃないでしょうか。
逆に言えば、具体的なイメージがつかめれば自然と覚えるような気がします。
僕の場合なら、人物をWikipediaで検索して肖像画なんかを見る(「うわっ、こいつこんなエグい顔しとるんや!」)、有名な著作を実際に買ってちょっと読んでみる(意外とおもしろかったりするかも)、ってのを試しましたね。
こんなもんでどうでしょうか!
自分の目や耳で実際にふれてみる、感じてみる、というのが大事じゃないかなぁと思います。
なるほど(・o・)
では、早速やってみますね!!
有り難うございました~.*