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りょうさんの思う壺・・!

大ごと、小言ひっくるめ!
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歓喜の朝

2013年09月08日 | King of Hobby
早起きしました。
本当はトイレに行きたくて、すやすや眠っている猫の頭を突っついてなんとなくテレビをつけたら大騒ぎになっていました。

2020東京オリンピック決まりましたね。
関西人としてはもっと他にやることがあるだろう・・どちらかというと静観派でしたが、日本がこれだけ一丸となれる課題を与えられたのは久しぶりで近年珍しく幸運なできごとでした。
オリンピック危うし!と言われた放射能汚染水問題を跳ね除けたことは正に幸いでしたが、今後はこれそこ一丸となって復興の証をオリンピックの場でも示してほしいものです。

1964年、高校の講堂に白黒テレビを運び込んで東京オリンピックの中継を見たことを思い出します。
もう49年前になります。
あの頃の日本はまだ世界に追いつけ、追い越せの時代で、今の様にそう豊かではなかったようですが、物心ともに何の不自由さを感じない幸せな時代でした。
少年時代の私たちでさえ、日本は世界一だという先入観に支えられて居たように思います。
その若者の思い込みは、やがて日本の高度成長の原動力になりました。

2か月にわたり日本中を走りぬけた聖火リレー、アジア初のオリンピック、新幹線開通・・いっぱい、いっぱい!!思い出にあふれています。
2020年まで7年・・・私は73歳を迎えます。いや迎えられるか・・です。
色々思うこともありますが、半世紀前の突貫工事で完成した東京という異様な都市が、また掘り返され賑やかになりそうですが、オリンピックを契機にどう変わるのか気になるところです。
それより何より気になるのが、予測できない天変地異です。

マスコミはオリンピック招致に最大の関心を寄せ東京を大賛辞していますが、東北の復興に加え、これらの備えがオリンピック騒動で忘れ去られることの無いようにしたいものです。
来たるべき災害が秒読みということもあり、歓喜の朝が大参事の日にならないような戒めも必要です。

今月は、二週間近く東京にいる可能性があります。
東京を歩きながらふと考えることは、もし震災に遭遇したら生き残る自信が無いという思いに駆られることです。
東京人と話すと、その時には諦める・・という声が多いのですが、これはそんなことは無いという裏返しのようです。
果たして神様はどう決断するのでしょうか?
異様な喜びのテレビ中継をみながら、半世紀前の記憶を蘇えさせていただいた朝になりました。

隠れ道楽

2011年11月17日 | King of Hobby
昭和39年からずっとお付き合いをしている趣味がアマチュア無線です。
西暦では1964年ですからきょうまで47年・・・よく飽きもせず来れたものです。



一番熱心な頃は昭和50年代、当時としてはかなりでかいアンテナをタワーのてっぺんに上げ、DX通信といわれる海外との交信に一生懸命でした。
体力もあり、加えて情熱もあり・・何でもござれ!の馬力ある時代でした。
20数メートルの高さの鉄塔へ、命綱をつけてあがったり下りたり元気そのものでした。

そして大きなタワーとはお別れし神戸市内へ引っ越し・・少し小さな規模の設備になりました。
その間無線が取りもつご縁で、中国へは30数回、アジア各国やスリランカやインド洋の島にも10回近く遠征し結構楽しい時間をいただきました。

その後、生まれて初めて共同住宅暮らしとなり、海を見下ろす絶好の場所に引っ越しましたが、アンテナの設備など無縁の場所でベランダから細々と小さなアンテナで、それでも朝方はヨーロッパの国々とも交信していました。

6月、小さな新居に移転しました。
真っ先にアンテナを・・という思いとは裏腹に、引っ越しの激務は想像以上でしかも猛暑がすべての意欲を減退させます。
そうはいってもやがて冬の到来です。
引っ越しの後遺症は今も残りますが、真面目にアンテナ工事をやらなければ冬を迎えてしまう!と思い直し作業を始めました。



そして、ついに完成しました。本格的な時代から見るとおもちゃのような感じですが、基本はすべて一人の手で作業が出来るもの・・という条件です。
駅の階段でも何時かは踏むはずす予感の毎日ですから、こんなところで落下などはお笑いです・・
しかも大迷惑です。



リタイヤ組みの友人も浦島太郎のようにこの遊びに戻ってきました。
青春時代の郷愁かもしれませんが、再びお空で出会うというのも悪くはありません。



明石海峡を望むこのアンテナは、FM放送などを楽しむアンテナです・・
ラジオをゆっくり時間もいいものですね!!

ARDF競技大会

2011年09月12日 | King of Hobby
アマチュア無線の電波による方向探索競技をARDF(Amateur Radio Direction Finding)といいます。
簡単に言えば決められた競技エリア内に5台の無線送信機を隠し、この送信機から発射されるモールス符号を方向を上手く受信できる自慢の受信機のよって探し出し、コンパスと競技用の地図を使って特定する競技です。
決められた時間内に探し出した送信機の数とその時間を競うもので、実に知力と経験と体力を必要とする競技です。

この競技が滋賀県竜王で開かれました。
昨晩は・・というより、イベントの打ち上げ会に参加して今朝まで不摂生・・眠りに付いたのが午前2時!
5時に起き出しひと風呂浴びて車で出発しました!!
若くもないのに・・・(反省しきり」

会場となった滋賀県竜王にある希望が丘文化公園は、東西約4km、南北約1km、416ヘクタールに及ぶ広大な総合文化公園です。
ここで繰り広ける競技に各地から集まった老若男女、年齢とは無関係のいずれも健脚体力自慢の人たちです。
私の役目は「大会会長・・」つまり特別お役に立つポジションではありません。
願いはただひとつ怪我泣く事故無く、無事に早く終わることに尽きます。
ただ、スタッフは前日から泊り込みで準備に追われます。

世界大会ではもっと条件が厳しく、開催国は当然ながら分かりますが会場さえ事前に告げられません。
下見などはとてもできない無縁の競技です。
私が中国四川省の全国大会に行った時も、バスに乗せられたのはいいのですが行き先は不明・・・2時間ほど酷い地道を揺られ着いたところが会場でした。
広い四川省の山奥でもあり地図にもないところで、再びそこに行くことなど不可能な感じがしました。

そんな競技でしかも公園の中ですから誰も見ていない時間に送信機の配置をしなければなりません。
夜中でも悪天候でも彼ら裏方スタッフの意気込みは相当です。
最近この競技に高校生の参加が多く見られます。もちろん指導教官でもある先生方の熱意が生徒たちを動かすのですが、熱意だけでは好成績につながりません。
そこに知恵と感と体力のバランスが求めらるのが面白いのです。

今年の競技で毎年参加のベテラン選手が、エネルギー切れで一時行方不明になりました。
もちろん事なきを得たのですが、ベテランでも体力の消耗の大きい競技です。
特にこの日の気温は高く雨上がりの後でもあり湿度も相当でした。
子どもの手を引いて遊ぶ競技ではありませんが、自分の体力と知力を確かめるにはいい機会かもしれません。

古川飛行士との交信

2011年09月06日 | King of Hobby


2011.9.6神戸新聞朝刊より
アマチュア無線を使って国際宇宙ステーション(ISS)に滞在する宇宙飛行士古川聡さんと小学生らが交信する「ARISSスクールコンタクト」が5日、神戸市青少年科学館(中央区港島中町7)であった=上の記事及び写真。
古川さんとの交信は国内2例日で関西では初めてといい、子どもらは約400㌔離れた宇宙から届く声に目を輝かせた。
米国航空宇宵局の教育プログラムの一寮。関西のアマチュア無線家らが協力し、同館のクラブに所属する小学4~6年生15人が参加した。
交信でぎるのは、ISSが日本上空を通過する約10分間だけ。何度日かの挑戦で「こんばんは」と古川さんの声が聞こえた。
参加者が夏休みに考えた17の質問に対して「宇宙食ではサバのみそ煮が好き」「宇宙は空気がないので、星は瞬かないが、月はとても鮮やかに見えます」「今、キュウリを育てています」などと答え、「なぜだろう、と科学する心を大切にして」と語り掛けた。
渦が森小学校秦灘区)6年の公文遥基君(11)は「本で読むより実際の宇宙はもっと驚きばかりだった」。
姫路市立城北小学校5年の兼松和真君(10)は「宇宵飛行士になって宇宙に行きたい」と声を弾ませた。(広畑千春)



ARISS(Amateur Radio on the International Space Station)スクールコンタクトは、アマチュア無線を使用して、国際宇宙ステーションに滞在している宇宙飛行士と子ども達が交信を行うプロジェクトです。
このプロジェクトは、 NASA(米国航空宇宙局)の教育プログラムの一環として行われており、5つの地域(米、ロ、日、欧、加)のIARU加(国際アマチュア無線連合)盟団体とAMSAT(アマチュア衛星通信協会)地域団体の代表がボランティアで運営しています。

私がこのプロジェクトに参加したのが随分前のことになります。
それまでアマチュア無線の電波を使用するには国家試験の壁を越え、免許を取得しなければなりませんでした。
今ではそう難しい試験ではありませんが、それでも小学生にとっては関門であると思います。

平成14年総務省は、小中学生に限り、アマチュア無線の資格がなくても宇宙ステーションと無線交信が可能となる告示を行い、それ以来多くの子どもたちがISSの宇宙飛行士と無線交信を行っています。
アマチュア無線の免許を持たない子どもたちの第1号が、記念すべき最初の国際宇宙ステーションとの交信が成功したのが大阪です。
この日からずっと私たちの仲間が支援を続け子どもたちの夢を宇宙に運んでいます。

子どもたちが一生懸命考えた質問は思わず拍手・・というアイデアに溢れています。
それに答える古川飛行士の声も明るく勇気が伝わる力強いものです。



急遽決まった今回の企画は準備に1ヶ月足らずの厳しい条件でしたが、応援部隊はベテラン揃いです。
当初不安げだった子どもたちもいざ本番となると、大したものです。
自信たっぷりに古川飛行士に問いかける子どもたちの元気な声と明るく返事を古川飛行士の会話に場内からも笑みがこぼれました。
直前の大型台風の来襲で、一時アンテナが落下するという思いがけないトラブルもありましたが、無事に交信は成功しました。

たった10分間の交信時間ですが、何度挑戦しても毎回経験するこの緊張感は初回の感動そのものです。

記念ボトル(茨城の旅を振り返って(その3)

2011年05月18日 | King of Hobby
6年近く前、初めて訪れた水戸の町で、どこの店で食事をしたらいいのか判らず茨城放送のスタッフに教えてもらったのが東照宮通りにある「亜路陛」という居酒屋でした。

当時東京からMasacoさんと、もう一人のアシスタント「ナナ」ちゃんと3人でいつもここで食事をしてから上野に向うのが定番となっていました。
いい出会いもあり水戸の良さを感じた場所でもありました。
時計を見ながら水戸駅まで駆けたこともありました。

おなじみの店に久しぶりに立ち寄り、友人とともに水戸の夜を楽しみました。
この先しばらく来ることが出来ないかも知れないという思いがありました。
話も弾み盛り上がった時間にいつの間にかボトルも空いてしまいました。
そこでこの思い出のボトルを記念に頂いてきました。

ボトルキープの棚の奥にあったこともありあの激しい揺れにも飛び出さず割れずに済んだようです。
震災を乗り切った縁起のよい空き瓶ですから大事に置いて置こうと思いました。