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りょうさんの思う壺・・!

大ごと、小言ひっくるめ!
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ひと息ついて、ご一緒ください!

黄門まつりin水戸

2011年08月05日 | RADIO
会議より断然お祭り好きの私ですが、きょうは東京でその会議・・・です。
このところの東京は節電の呼びかけで室内が涼しい訳でもなく決して快適な空間ではありません・・・

この拘束から無事解放された週末、久しぶりに水戸の「黄門まつり」に出かけます。
簡単に言えばMasacoさんの付き添いですが、2年ぶりになるでしょうか!
水戸の町で「やあ・・!」と声をかけあう人が少しばかり居ること自体嬉しいことです。
再会を楽しみにしています!

さて、Masacoさんの出番ですが、
8月7日(日)水戸黄門祭り♪
会場は、泉町1丁目・フコク生命付近のステージです。
時間は夕方5時頃~になります。

お昼頃からウロウロしています。
久々の水戸・・・楽しみにしています。

時の記念日とMasacoさんのライブ

2011年06月11日 | RADIO
我が青春時代の町、子育ての町といえばお隣の明石市です。

今の住まいはこの明石に隣接していることもあり、銀行や買い物などは神戸に行くより便利なことが多くあります。
毎年6月10日は時の記念日ですが、日本標準時の町明石では多くの行事が開催されます。

その昔、列車の窓が自由に開け閉めできた時代は、明石に停車する急行列車の乗客に「子午線通過証」が配られ密かな人気を呼んでいました。
今の窓の開かない電車ではどうしようもなく、数箇所の場所を決めて観光客や市民に記念品を配布しています。
コレクションとしては結構値打ちがあるようで、毎年楽しみに収集に力を入れている市民も多くいます。
今年の通過証がこの写真ですが、実は日時計になっています!

さて、毎年恒例となっている記念行事の一つが県立明石公園で開催されるイベント
★「2011・時のウイークin兵庫県立明石公園」★です。
12日の日曜日、我がラジオの相方Masacoさんのライブがあります。
私も荷物もちで参加しますので皆さんとお会いできるのを楽しみにしています。
時間もたっぷりあり、ゆっくりお話できる時間もありそうですから
Masacoさんは放っておいてみなさんと楽しみたいと思っています。
すこし心配なのがお天気ですが・・・晴れ女継続できるか!興味のあるところです。

■2011年6月12日・日曜日です
■第一ステージ
 メインステージ(西芝生広場)10:40~11:10
(岡山城鉄砲隊による号砲の演武のあとオープニングで歌います)

■第二ステージ
 サブステージ(東芝生広場)13:30~14:00

■入場はもちろん無料です

★明石駅(JR・山陽電鉄)から北に徒歩すぐのところです。
もし、激しい雨になれば中止になることがありますが、そうはならないでしょう・・
見かけたらお声がけください・・・お待ちしています。

たった一人のためのコンサート(茨城の旅を振り返ってその2)

2011年05月18日 | RADIO
足掛け6年にわたる茨城放送通いは、私の人生にとって大きな学びの機会でもありました。
4月の番組改編の機会に長年お世話になった番組に一応の区切りをつけることになりましたが、突然の東日本大震災で放送が3週間中断し、あれこれ準備していたことがすべて崩れました。
こんな事情で何のお断りも出来ず、4月のアタマに突然のお別れ放送となってしまいました。実に悔しいことでした。
残念であったことは間違いないのですが、この番組のなかでお伝えしたのが復興のライブや慰問などで皆さんと再会するという約束でした。

震災から早くも2ヶ月が過ぎました。
3月に訪ねた茨城は空路も陸路も不自由で、やむなく神戸からクルマを走らせましたが、ガソリンの確保が難しく車内に爆弾並みのガソリンを備蓄しての旅でした。
今回はかなり落ち着いた状況で事前にオファーのあったライブや慰問先訪問が目的でしたから比較的安心感のある茨城行きでした。

そんな中今回ただ一つ、私たちにとって興味深いハプニングが加わりました。

随分前になりますがある日番組にリクエストがありました。
「鉄人27号」のラジオネームの投稿でしたが、単なる音楽のリクエストだけでなく妙に人柄と生き様を感じる不思議なお便りが届きました。
その主が那珂市にあるお蕎麦屋さん「藤兵衛」のご主人であることがわかりました。
IBSのヘビーリスナーでもあり、IBSスタッフもご贔屓の店だとあとで判るのですが、それ以後我々の公開放送やライブにも忙しい中を駆けつけてくださりお付き合いが始まりました。
温かい人柄で特にMasacoさんも大きな励ましをいただいたこともあり忘れられない方です。
人生って摩訶不思議なものです、しばらくお会いしていない間に突然見舞われたお店の火災や今回の地震など、ご主人が駆け抜けた人生そのものがまだ繰り返されているようにも感じます。
お店は再建され営業されていますが身につまされる思いです。

久しぶりに美味しいお蕎麦をいただいき、帰り際にMasacoさんがこのご主人に尋ねました。
「藤兵衛さん、お昼やすみは何時からですか?ちょっとお話したいことがあるんですけど・・・」

このお店のレジにこんな言葉が小さく掲げられています。
「百人のお客様より、一人のそば好きのお客様を大切にしたい」手打ちそば処・藤兵衛 店主

この時、相方のMasacoさんが私に言ったことは、
「いつもレジ横のあの言葉が気になっていた・・ライブではいつも百人以上のお客さんに呼びかけていたけど、今回は一人のラジオ好き、歌好きのお客さん、藤兵衛さん一人の為に歌っていいかしら・・?」



クルマには路上ライブに備えたアンプやマイクがスタンバイされています。
いつでもどこでもOKです。

お店が終わって一息ついた約束の午後4時・・・再び店内に入りました!
そこで初めて今回の主旨「藤兵衛さん一人のためにライブをしたい」と告げました。
一瞬驚いた表情の店主でしたが、観客がたった一人のライブが始まりました。

店の奥の席に一人の観客・・入り口にこれも一人の歌い手が位置し、これまでの茨城の思い出や多くの思いとともに感謝の言葉でつづられました。
世界で一番小さなコンサートが開催されました。



歌い終わってから返礼の店主藤兵衛さんの言葉も大きな感動がありました。
うっすら浮かぶ涙か汗かわかりませんが、二人の表情をみながら私の中でも過去に無い特筆すべきライブであったことは間違いありません。

団塊の世代の私と同じ世代の一人のリスナーを結びつけたMasacoさんの歌の力に感謝したのは言うまでもありません。
これからも一人の為に歌う機会があれば喜んでお伺いしよう・・と心に誓ったのも事実です!
再会を約束し那珂市を離れましたが温かい言葉に励まされ、茨城の旅はまだ続きます。

茨城への旅を振り返ってその1

2011年05月18日 | RADIO
5月9日の夜神戸を出発した今回の旅の目的は二日間の東京での会議を終えたあと、ラジオで約束した茨城への慰問コンサートのためです。
この間の出来事の一部は相方のMasacoさんのBlogで紹介されていますからここでは省きます。

都内からまず神栖に行きました。避難所はすでに縮小し全員の住まいの確保ができたそうで復興への道のりが着実に進んでいることがわかります。
しかし、町は至る所液状化で傾いた電柱や建物などが目に付き、これから手をつけなければならない町並みは寂しいものです。

進路を北にとりました!
震災後、日テレの知り合いから高萩を応援するタレントのメッセージを送って欲しいという依頼があり、Masacoさんのポスターに応援の一言をそえて送りました。私も隅っこにサイン・・(何の値打ちもありませんが・・)



高萩市に入った機会にこのポスターがどこの掲示されているのかを見たくてとにかく市役所に向いました。
やっとたどり着いた市役所庁舎は全壊!
門扉に掲示された移転先の建物に向いました・・・。



移転先の臨時に開設された市役所ロビーに入ると真っ先にこの展示コーナーが目に付きました。
全国からも多くのメッセージが寄せられ、この町の復興への決意が感じられます。
ここまできたら一言ご挨拶がしたくて受付の女性にこの展示コーナーの担当を聞いてみたのですが、良く判らない!とのことでした。
どうもこの受付嬢こそ臨時のようで、庁舎内に聞きに行ってもらいました。
このコーナーの担当が別棟にある市長室だということを聞いて早速お訪ねしました。
突然の訪問にもかかわらず市長室長の下山田さんとお会いし、震災当日のお話や高萩の現状をお聞きすることが出来ました。
阪神大震災の経験談や、高萩の実際など多くのお話に接しました。有意義な時間になりました。



その後北茨城方面に入りましたが、倒壊した家屋も多く道路も段差の修復もままならない状況です。
一度うかつにもこの段差に気がつかず大きくバウンドし、室内の荷物を吹き飛ばすアクシデントに見舞われました。
そんなことより、岡倉天心ゆかりの北茨城の海岸線はダメージが大きく、六角堂も見事に津波に流され、流木の浜辺や木にかかった魚網が津波の威力を物語っていました。
大好きな五浦周辺の海がもとの状態になるのはしばらくあとになるでしょう。

こんな旅が続きます・・・

水戸いり

2011年03月28日 | RADIO
つくばに戻る大学生のアンちゃんと二人旅・・一路つくばを目指しました。
アンちゃんの興味は私と彼女の親との関係です。
両親との出会いや、結婚のきっかけなど道中の話題には事欠きません。
彼女にとって初めて聞く新鮮な話題だったようで睡魔を忘れるドライブになりました。

東京で一旦下りて、Masacoさんを迎えに・・・
みなさん結構な荷物持参で、車内は満載状態です。

つくばでアンちゃんを下ろし、激励しお別れしました。
最初の目的をはたし、茨城での旅の始まりです!

平穏だったつくば市内から車を進めると、ブルーシートがやたら目につくようになりました。
16年前の神戸を思い出します。瓦屋根の被害が大きいようです。
あの日以来神戸では新しい家から瓦屋根が消えました。
瓦の重みで家を支えてきた日本の在来工法が地震には不向きだということや、無尽蔵とも言える土を焼いた瓦が今では高級品となれば、当然ながらこれも仕方がないことかもしれません。

笠間では国道から市内にはいりました。
いつもお世話になる笠間稲荷神社に向かったのですが灯篭はすべて倒れて大変な状態でした。
街角で知り合いの顔を見つけ慌てて下車し無事を喜びあい、色々お話を伺いました。
聞くまでもないのですが、お聞きしたダメージについてはお見舞いの言葉しかかけることができませんでした。

道路はあちこちに段差ができスピードを極端に落とさねば通過できません。
知らずに通れば大バウンドで事故につながります。夜は特に注意が必要です。
ようやくガソリン事情も回復しつつある水戸ですが、それでもまだ営業できないところも多く交通整理が必要なよころも多くあります。

時間の許す限り知人を訪ねましたが皆さん無事・・幸い避難所のお世話になる人はなく幸いでした。
持参したわずかの慰問袋も手渡すことができましたが、気になる人が一杯いるのに思いを達成することができません。

日曜日のラジオは3週連続でお休みになりましたが、4月3日12時から1時間番組でお別れします。
今日は午後2時半からスタジオにお伺いします。
生放送ですがよろしければお聞きください。

大洗海岸にもいってきました。
アウトレットのショップも津波の直撃で予想通りの姿になっていました。
水郡線の線路もみました・・
文化財の被害も多く出ています!
復興の槌音が聞こえるようになりましたが、長い道のりになると思います。

あすはラジオ最後の収録日になります・・・
一緒にがんばろう、「茨城」!!