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映画・舞台の感想や俳優さん情報等。基本各種メディア込みのレ・ミゼラブル廃。近頃は「ただの日記」多し。

今日のおでかけ

2022-07-24 21:37:41 | 雑記

今日も朝から晴れて暑かったです。夜中から明け方にかけて何度か目が覚め、起き抜けはボーッとしていましたが、何気なくつけたEテレ【日曜美術館】に、目も心も奪われました。奈良の山の中に工房と自ら建てた住居も構える陶工・辻村史朗さんの特集です。





ワイルド(?)で孤高な人に見えて、その作品は優しく、画面を通しても手触りや温かみが伝わってきました。それらの茶碗はどれも飾り物でも工芸品でもなく、ちゃんと手の中に収まり、それでお茶を点てて飲むものだということが判ります。
実家は祖母の代から茶道に携わる家で、母は「茶の湯の茶碗は美術品ではなく、ちゃんと手に取って、なんなら口をつけてみてこそ価値がわかる」と何度も語っていましたが、辻村史朗さんの器を見てそれを思い出しました。長らくお茶の世界を離れていたけれど、久しぶりに触れたくなるほどでした。いま日に日に衰えゆく母とは、もうそういう話をすることもできない。そう思って、改めて悲しくなりました。
ところで、娘は誰に教わったわけでもないのに(自分からも母…本人にとっては祖母からも)、ご飯茶碗ひとつでも自分で手に取って、手ざわりや重さなどを確かめてからでないと買えないと言います。日常使うものこそ本当に気に入ったものでなくては、と。「茶人の血」のようなものを感じて、なんだか不思議な気持ちになります。

ところで、辻村史朗さんの作品は《たち吉》でも扱っているそうで、それについての自分のツイートを貼っておきます。



価格的に自分などには手を出せるものではないけれど、(繰り返しになりますが)こういう器は美術館などで見るより、やはり手に取って使ってみてこそ真価がわかるものなので、望みだけは抱いておきます。

朝から良いものを見られて満ち足りた気持ちになり、さて午後は娘のところへ。
最も暑い時間帯に出かけたため、帽子をかぶり日傘を差してもクラクラしそうでした。意外と風が強く傘も飛ばされそうになりましたが、湿度が低いことだけは良かったです。
娘の家では、例によっておみやげアイスを食べ、今日はアイスコーヒーも飲みつつ、【QuizKnock】動画を見ながらひと休み。それから駅前に出て、娘の買い物につきあいました。駅までの道も日差しが強く暑かったけれど、先に家でコーヒーブレイクしたので、カフェなどには寄りませんでした。
早めの夕食は《さぼてん》にて。美味しいカツからタンパク質やビタミンBが摂取できました。そして生キャベツと赤だしが殊のほか沁みたのは、やはり夏バテ気味だったのでしょう。
食後はまたスーパーやドラッグストアで買い物。それからまたバスで帰りました。あと1分早ければすぐ乗れたのに……というタイミングで、その後しばらくバス停で待つこととなりましたが、それでも明るいうちに帰ることができました。

帰宅後はすぐシャワーして、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に備えます。サブタイトルは「名刀の主」。
どうにか始まった十三人合議制ですが、北条対比企の反目を中心に宿老同士が好き勝手言い合い、埒が明かず。文官たち、義時、そして梶原景時を除くと、最も冷静で客観的な判断のできる人物が八田知家というのも面白いところです。
一方で、彼らに侮られまいと逸る二代目鎌倉殿こと頼家。頼朝の忠臣・安達盛長の子である景盛の妻を奪うため(以前から不倫関係にあったという描き方でしたが)暴挙に出そうになって、頼朝が最も信頼した二人であり、頼家にとっては実の母と叔父でもある政子と義時をも本気で怒らせます。

そんなゴタゴタ続きの中、御家人の一人であり実衣の琵琶の師匠でもある結城朝光に謀叛の疑いありとして、梶原景時が訴状を提出しようとします。景時と御家人たちの対立激化を恐れた義時が、三浦義村らに相談を持ちかけ、景時に不満を持つ者たちの署名を集めたところ、その人数はあっと言う間に66人(元は北条時政も加えて67人)にまで膨れ上がります。歴史に名高い梶原景時弾劾状が、こんなノリノリ署名活動の結果で良いんでしょうか
頼家の裁定により、結城朝光は無罪。しかし景時は罷免の上、謹慎を命じられてしまいます。かつて景時が上総広常を斬ったことが、再び問題視されるに至った結果でもありました。

その頃、都では後鳥羽院が鎌倉の分断を狙って景時を呼び寄せようとしていました。それを耳に入れた頼家は激怒。奥州への流罪を命じます。
かくして勃発した「梶原景時の変」。やはりラスボスは後鳥羽院。と思わせて、院から景時への誘いがあったと将軍に密告した義時の恐ろしさを描く。と見せて、実は影で糸を引いて結城朝光を操り、景時失脚を目論んだのは、誰あろう三浦義村だった。という何重もの仕掛けが見事です。そして義村の策謀については、義時も知らないんですよね。これから終盤にかけて、真の黒幕となって行くのが義村なんでしょうか。
「なまくら刀で終わりたくない」と言い残して鎌倉を離れ、流罪先へ向かうと見せて西へ進むであろう景時を「東海道で討ち取れ」と命じる義時。そこには、せめて最後は武士らしく華々しく終わらせてやりたいという思いもありました。
一方ツイッターでは、景時は義経の遺言としての「鎌倉攻略作戦」を託されており、それを委ねられた当人である義時は当然そのことを知っていたから、その危険は断固排除して鎌倉を護る必要があった、という考察もなされ、なるほどそうだったと得心しました。
それにしても、頼朝と政子の次女・三幡の死に伴い、乳母夫であった中原親能が出家し、梶原景時が失脚のうえ討ち死にして、「13人」は早くも「11人」になってしまったわけですが、いったい彼らにはどの程度の実権があったのでしょうね。

梶原景時とその一族の最期は作中では描かれず「紀行」で言及されました。景時が一族郎党ともに討ち取られた場所は静岡市狐ヶ崎とされ、今も静岡鉄道に駅名がありますが、実際にその地であったかは諸説あります。討ち取った吉川友兼の刀と言われるのが、吉川家に伝わる名刀・狐ヶ崎。サブタイトルの「名刀」は、彼が頼朝の懐刀であったことと同時に、そこにも掛けていたのかもしれません。







梶原景時と「名刀」ということで、狐ヶ崎の他に思い出すのが、歌舞伎の『梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり)』、通称「石切梶原」です。クライマックスでの「剣(つるぎ)も剣」「斬り手も斬り手」の掛け合いが有名ですね。自分はやはり当代仁左衛門さんの舞台が脳裏に浮かびます。

そして——去りゆく景時が「置き土産」として義時に託したのが、かのアサシン善児!この男を「名刀」などと呼んで良いものかどうか悩むところですが、ともあれそういう「道具」を手に入れて、義時はこの先いよいよ苛烈な粛清に手を染めてゆくこととなるのでしょうか……

大河ドラマの後は、いつも通り【クラシック音楽館】。ウィーン・フィルによるブルックナーの4番『ロマンチック』は、なんとサグラダ・ファミリアに於ける演奏でした。音楽ホールではないので、テレビ画面を通じてさえ、音の響きがいつもと違うと感じました。

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