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日々好日

思いつくままの日記です。主に、経営、人生、ロータリークラブなどを話題とします。

人生をよくする3つの幸せ

2006-04-12 16:30:35 | Weblog
イエローハットの鍵山前社長のお話の中に、人生をよくする「三つの幸せ」という話がありました。
人間はだれでも自分の人生をよくしたいものです。自分の人生を悪くしたいなんて人は、誰もいません。けれども、残念ながら、自分の人生を自分で悪くする人もたくさんおります。また一方で、とても素晴しい人生を歩む人もいるわけです。
それでは、どのような心がけで人生を送っていけば、幸せになるかということになります。

人には「三つの幸せ」があるといわれています。
一つ目の幸せは「してもらう」幸せです。
生まれたばかりの赤ん坊を想像してみてください。お腹がすいて大きな声で泣くとお母さんがお乳をくれます。おしめがぬれて泣くと、取り替えてくれます。抱っこしてもらいたいと泣くと、抱っこしてもらえます。赤ん坊のように、何かをしてくれるとうれしくて、泣いていたのが泣き止みます。何かをしてもらうとうれしい、これが第1の「してもらう」幸せです。

2つ目の幸せは「できるようになる」幸せです。
子供が3歳くらいになりますと、ご飯を自分で食べるようになります。いままで出来なかったことが出来るとうれしいから、ご飯をぽろぽろこぼしながらでも、自分で食べます。もう少し大きくなると、自転車に乗れる、鉄棒ができるようになる。いままで飛べなかった跳び箱が飛べるようになるというふうに、今まで出来なかったことが出来るようになるとうれしくてとても幸せになります。これが2つ目の幸せです。「できるようになる」幸せです。

3つ目の幸せ。これが一番大切ですが、「してあげる」幸せです。
人が喜んだ姿、喜んだ顔になると、自分が幸せになります。友達に何かをしてあげると、友達が喜ぶというように、ひとに何かをしてあげることが最も大切な幸せだというわけです。

いつも人に何かをしてもらわないと幸せになれない人、それから自分さえ出来ればいいという考えの人は駄目で、人に「何かをしてあげる」幸せが一番大事だということです。
この3番目の幸せを感じるようになると、人生はどんどんよくなっていきます。どうしてかといいと、「してあげる」幸せのできる人の周りには、非常に善良な「人のいい」人達が集まってきて、そのいい人達と人生を送ることが出来るようになるからだと 鍵山社長は言っておられました。

我々の会社の使命も同じではないかと思います。
お客様に喜んでいただけることが、おいしいと言っていただくことが、我々の幸せであり、
また、社員の皆さんにも喜んで働いていただけることが、会社の幸せであり、これによって会社は永続するのではないかと思います。

花換えまつり

2006-04-09 15:03:13 | Weblog
花見に季節が今年もやってきた。敦賀の金ヶ崎神宮では毎年この季節『花換え祭り』が開催される。9日日曜日はちょうど満開となり、大勢の人出でにぎわった。
この花換え祭りは、桜見物の男女が「花換えましょう」と声を掛け合い、互いの桜の小枝を交換して思いを確かめ合うというロマンチックな祭りだ。「花換え」をしたカップルは将来幸せに恵まれるといわれていることから、近年沢山の若者が訪れてている。今年は、特に大河ドラマ「功名が辻」の山内一豊の出世足がかりの地として、NHKで紹介されてから、一段と脚光を浴びている。
今年は、この祭りに併せて、敦賀ロータリークラブでは近辺の清掃奉仕作業を気比インターアクトクラブと北校下の児童・保護者の参加を得て、盛大に開催された。
清掃の後、神殿の前で巫女さんと桜の花(イミテーション)を交換して、宮司の説明を聞いた。そのあと、参加ロータリアンで花見をしながらのなおらいで一日が終わった。

次年度RIテーマに寄せて

2006-03-16 19:29:45 | Weblog
次年度のRI会長のテーマは『率先しよう』だ。
ボイド次期会長は『寛容と思いやりと誠実さを日々実践し自らが手本を示すことによって、ロータリーの道を率先するよう、皆さん一人一人にお願いいたします。そして、良きリーダーたる者が謙虚さを備えていることを踏まえ、私は皆さんに、親切心と微笑みをもって率先してくださるようお願いいたします。』と訴えている。
ところで、山本周五郎の『雨上がり』という小説に次のような一文がある。
「石中に火あり、打たずんば出でず」という言葉である。直訳すれば、石の中に火がある、石を打たない限り、火が出てこないということだが、実際、火打石は石どうしを打たないと火が出ません。
すなわち、口先ばかりで行動が伴わなければ絶対に結果が得られない。結果を出したければ、まず行動を起こせと言う事である。
これが「石中の火」の意味です。
次年度RIテーマを読みながら、ふとこの言葉を思い浮かべた。
講演の最後に、ボイド次期会長は次のように述べている。
「ロータリアンとして、私たちは、クラブや地域社会で行われてきた従来のやり方を惰性としてそのまま繰り返すことに満足しません。私たちは現状維持に甘んじることなく、生じた問題に対して、誰かが解決してくれるだろうなどと責任逃れをすることもありません。それどころか、解決しようじゃないかと、自ら先陣を切るのが私たちです。より良い未来を築く技術と願望を備えているのが私たちです。そして、『率先しよう』と立ち上がるのが、私たちなのです」
我がクラブだけでなく、いろいろなクラブで現状に対する不満の声が聞こえてくる。確かに、現実は満足いかないことが多いかもしれない。しかし、こそこそと陰でクラブの不満を言う前に、まず行動してみよう。理想的なクラブの姿、長期のクラブビジョンを皆で打ち立てて、高い理想に向かってまず一歩を踏み出すことが一番大切でないだろうか。
次年度はクラブ改革の第一歩として、一人一人が率先して、石中の火を出す年度にしてほしい。


ロータリーの広報活動

2006-03-13 18:07:04 | Weblog
最近のRIの重点方針に、広報活動の強化がある。曰く、ロータリーは広報が足りない。これほど世の中に良いことをしているのに、まだ知名度が低い。またそのためにロータリーに入会すべき会員が集まらない等々、広報の重要性を叫ぶ声が声高に聞こえてくる。
この度のCLPもその延長線上にあるのだろうか、クラブ広報委員会が常任委員会として設置するように要請されている。
一昔前までは、ロータリーでは陰徳という事が大切にされてきた。日本のロータリーの創始者である米山梅吉氏などはその典型的な陰徳の人だ。米山梅吉氏は生涯ほとんど自分の全財産を恵まれない人々のために投出し、しかもそれが自分からの施しであるということを知らせないようにして死ぬまで奉仕を続けられた。そのお陰で、たくさんの学生が大学に進学できたり、貧しい生活から救われた。しかし、今や時代が変わって、陰徳などという言葉はもう死語となってしまったようだ。今や、ロータリーも宣伝だ広報だと躍起になっている始末だ。
ところで、陰徳などと言っているのは、儒教の影響を受けた東洋だけかのことかと思っていた。しかし、先日、偶然にもコーランの教えの中にも、陰徳の思想があることを知った。コーランに、『汝ら、己れの施しごとを、目立つようにしても勿論結構だが、そっと隠して貧乏人にくれてやるならもっと自分の身のためになり、その功徳で(前に犯した)悪事まですっかり帳消しになる。』(第2章「牝牛」273節)また同章266節には、せっかく施しをしたのに、「後で恩着せがましくしたり偉ぶったりしてそれを無効にしてはならぬ」ともある。
コーランにも東洋とおなじ『陰徳』の思想があったことはビックリするが、やはりロータリーは目先の賞賛や栄誉にばかり目を奪われるのではなく、人の徳について再度考え直すべきではないだろうかと思う。
ロータリーはむやみに宣伝するものでもないと思う。奉仕とは、他人から分かって貰えようといまいと関係なく、我々自身のために行う業であり、それによって我々自身が救われるものではないのだろうか。
希望的な観測と笑われるかもしれないが、本当に良い奉仕活動を行っているのであれば、黙っていても人は皆、ロータリーを尊敬し、自然とロータリーの周りに集まってくるのではないだろうか。
ロータリーはこんな広報活動に力を注ぐよりは、今や人づくりにそのエネルギーを傾注すべき時期が来たのではないだろうか。
コーランの教えを知って、改めてロータリーのあり方について考えさせられた。

ロータリーの職業奉仕の大切さ

2006-02-16 13:09:41 | Weblog
依然として企業を取り巻く不祥事はなくならない。最近では、ライブドアー、姉歯、ヒューザー、東横インなどの事件が世の中を騒がしている。毎回このような事件が起こるたびに、会社の倫理観、コーポレートガバナンス、果ては社外取締役の役割まで声高に叫ばれる。現在、世界の資本主義のグローバル・スタンダード、即ちアメリカ流資本主義の考えでは、お金さえ儲かれば何でもありの自由が尊重され、その中で、お金をうまく儲けた人が、一番最高の評価を受けるようなことになっているように思われる。しかし、そうかと言って、法律による規制強化ばかりに頼ってばかりいられない。こんな時こそ、民間の登場だ。職業倫理道徳の高揚を目指すロータリークラブの出番ではないだろうか。ロータリークラブのような草の根的な職業倫理道徳高揚活動こそが新しい時代の資本主義の理想へと導いてくれると信じているのだが。