日々好日

思いつくままの日記です。主に、経営、人生、ロータリークラブなどを話題とします。

ノーブレス・オブリッジ(Noblesse Oblige)

2006-05-25 22:55:56 | Weblog
ノーブレス・オブリッジ(優者の責任)と言う言葉がある。辞書を調べると、高い身分に伴う道義上の義務とある。力や富、地位をもつ者は、それを持たない弱者を救う責任を果たしてこそ『選ばれた者』として賞賛され、矜持(きょうじ)(自分の力を信じていだく誇り、つまり自信とプライド)をもてるという意味だそうだ。
尊敬する西村二郎PDGは『ロータリアンはエリートでなければならない、そして誇りを持って行動しなければならない』と言われた。
まさに、ノーブレス・オブリッジということを言われているのではないだろうか。
戦後、日本の教育は極端な結果平等主義に陥り、『みんなとおなじ』、『普通並』という生き方が最上の人間の美徳として教え込まれてきた。そしてこの偏った教育のために、社会の指導者たる人間においてさえも、『選ばれた者』としての自覚を持ち、そしてその責任を果たそうとする考えが欠落してしまったようである。
昨今、バブルが崩壊し、勝ち組・負け組み、上流社会・下流社会などと言う言葉が流行語となっているが、このような格差社会を生み出す背景になったのも、戦後の平等教育の結果かもしれない。みんな平等なのだから、弱者は誰かが救ってくれると考え、期待し続けているのだが、選ばれた者の意識のない社会では、弱者はいつもでも取り残されていくのではないだろうか。
しかし、日本も昔の『おしん』の時代には、確かに貧富の差はあったが、格差などと言う言葉はなかったと言うより、実感しなかった。
たとえ、その時は貧しくても、懸命に努力し、真面目に働けば、いつもその先に希望の光が見えることを信じられる時代であったのだ。
現在の日本は、人々の将来への不安と絶望感で満ち溢れているように思う。
ロータリアンは今こそ、日本人の希望と夢を呼び起こすエリートとして、ノーブレス・オブリッジを果たさなければならないと思われる。そして、ロータリアンは自覚を持って、誇りを持って社会に模範を示すことが必要ではないだろうか。


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