†意識の記録† 理解のブログ

私の私の視点による私の経験の記録。私の視点で見る限り誤りのない認識で記事を書いている。一切の苦情は受け付けない。

TsarBomba

2007-01-30 17:33:57 | Diary
Tsar Bomba

Tsar Bomba:ツァーリ・ボンバ、邦訳:爆弾の皇帝
これは、旧ソ連の開発した水素爆弾“RDS-220”の事。
人類の開発した一つの兵器としては、史上最強。
なんと、50メガトン級の水爆(後述)である。

※この記事は核兵器賛美や批判の為のものではありません。

開発時のコードネームは、Иван(イワン)。
ツァーリ・ボンバは西側の付けた名前である。
設計には、ソ連水爆の父アンドレイ・サハロフが参加していたが、
実験後、核兵器反対派になったという。

重量27㌧、全長8㍍、直径2㍍。不恰好である。

当時、フルシチョフが実験2週間前のソ連共産党大会で、
「一連の核実験を50メガトン水爆で締めくくる」と表明した。
アメリカ側も驚き、50メガトン核実験の中止を呼びかけるという異例の行動を生んでいる。

1961年10月30日、北極海ノヴァヤゼムリャ(露領)上空(73.85°N 54.50°E)より投下。
投下高度は10,500㍍、高度4,000㍍(海抜4,200㍍)にて爆発。

一次放射線の致死域(500rem、後述):半径6.6km。
爆風による人員殺傷範囲:23km。
致命的な火傷を負う熱線の効果範囲:58km
生じたキノコ雲は高さ60㎞、幅30~40㎞

水素爆弾とは、水素の核融合を利用した爆弾であるが、
読者の皆様も知っての通り、核融合は簡単には起こらない。
最も簡単に起せる核融合であっても、数千万℃(例:JT-60:日本の臨界プラズマ試験装置)、又は超高圧力(例:太陽)が必要である。
そこで、水爆では、核爆弾(ウランやプルトニウムの核分裂を利用した爆弾)を使い、これを達成する。
この、TsarBombaは、核分裂、核融合、核分裂という三段階(多段階水爆という)を経る事で、高威力を発揮する。

この爆発による衝撃波は地球を三周してもなお、空振計に記録された。
日本でも測候所で衝撃波到達が観測された。
(日本に於いて、核爆発の衝撃波が観測されるのは初めてではない。後述)

アメリカが開発した最大の核爆弾Mk-41の爆発エネルギーは最大でも25メガトンである。
又、実際に核爆弾Mk-17を用いた爆発実験『キャッスル作戦』(ブラボー)は15メガトンである。
50メガトンは2.1×1017ジュール、5.3YW(ヨタワット)に相当し、これは太陽の光度の約1パーセントにあたるという。
(太陽は偉大だ。人類最強の兵器の100倍の光度など想像も出来ない。それも常に輝いている。)

ちなみに、広島原爆(リトルボーイ)は、
全長3.12㍍、最大直径0.75㍍、総重量約5㌧、威力15キロトン(=0.015メガトン)。
人類初の水素爆弾、マイクは、
10.4メガトンである。(大きさは分からない。)
TsarBombaの高威力が良く分かる。

さて、致命的な火傷を負う熱線の効果範囲は、少なくとも人が死ぬ範囲だと考えて良さそうだ。
では、もし東京駅で炸裂したら、どのくらいの範囲の人が死ぬだろうか。
グーグルマップで調べてみたところ、
東京23区全域、横浜、川崎、さいたま、千葉など、東京周辺の大都市は壊滅する。
(東京23区、川崎、さいたまは、爆風による人員殺傷範囲に入っている。)
ちなみに私は、この範囲に住んでいる・・・人員殺傷範囲に入っている。
死者は、東京23区(860万人)、横浜(360万人)、川崎(140万人)、さいたま(120万人)、千葉(90万人)と、
主要都市だけで、1500万人もの人々が死ぬ。
まぁ、実際は5~10㎞ほど投下地点からずれるので、千葉は助かる可能性もなくはない。
これは予測であるが、関東甲信越全域が放射能で汚染される。
(この範囲には日本人口の40%程度に当たる5000万人が住んでいる。恐らく、被爆するだろう。)
又、東京から稚内、東京から屋久島は大体1000㎞だから、沖縄や離島を除く日本全域と韓国南部から爆発が見られるだろう。
(富士山より高い所までキノコ雲が上がるので、富士山があるから見えないなんて事はない。)


以下にて、TsarBombaの爆発の映像が見られるが、爆発の瞬間が見られない。
http://www.youtube.com/watch?v=FfoQsZa8F1c


<後述>

本来は、100メガトンにする予定だったが、
人口密集地への放射性降下物の被害が避けられない為、威力を抑えたという。
(三段階目の核分裂の威力を下げた。)

rem:レムは、生物体の放射性粒子の吸収線量を表す単位。古い単位で、今は殆ど使われてない・・・はず。

以下が初めての観測なのかは知らないが、とりあえずTsarBombaよりは古い。
1956年5月21日午前6時3分、東京の微気圧計が微小変動が捉えた。
これは、この日の午前2時51分(日本時間)に行われた、アメリカのレッドウィング作戦によるもの。
レッドウィング作戦は、中部太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁及びエニウェトク環礁にて、
アメリカが行った初の水素爆弾投下実験。
又、観測された振動は、この作戦の17発の核実験のうち、2発目である。
コードネーム:チェロキー。
直径90㌢、長さ3.45㍍。
ビキニ環礁の上空1300メートルで爆発。3.8メガトンのエネルギーであった。
(広島原爆の約290倍。)



私は、核兵器が人の命を奪う兵器であると知っている。
爆発には、実に恐怖を覚える。
しかし、その姿には美しさも覚える。

太陽に覚える感覚に近い。
ただ、それが実に小さく、実に身近だから、恐怖を伴うのだ。
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