†意識の記録† 理解のブログ

私の私の視点による私の経験の記録。私の視点で見る限り誤りのない認識で記事を書いている。一切の苦情は受け付けない。

世界の論議

2006-06-18 00:28:13 | Diary

テーマ:世界の見方と心の概念

久しぶりのdiaryへの追加記事だ。

ここでは、SA論理構造式の用語を、私の論理体系に持ち込んで話す。
(正確には、NSA記法。SA記法に原点の概念と時間の概念を加えたもの。)
一々“私の論理体系”は面倒なので、
今後は私のHNを取って、QA理論系とする。
QA論理系は、NSA論理系(記法の元となる考え)から時間変化の概念を取り除いたもの。
なぜなら、NSA論理系は、時間変化による動作変動を記す所まで定義されていないからだ。

先に心から。

「心の統一的概念」
定義:論理構造体は“必ず”精神関数(mind)、感情変数(emotion)、思案関数(think)の三つを持つ。これら三つを心と呼ぶ。
心と呼ばれるものは、その構造体の動作が無感情な動作とどの程度の差があるかという点より間接的に推測されるのみである。

心を持たない存在、例えば“物”に関しては以下と見る。
論理主体が対象の精神の存在を信用しない構造体は、感情は恒常的に無効(null)の常定数と考える。(emotion = null:all;)
又、同時にmind、thinkは非関数である。

変数定義より、感情変数の値は要因無しに変化しない。
その為、時間と共に感情が変化する事を示す為には、常に動作し続ける関数が必要である。
つまり、精神関数は“再帰関数である。”そして、その始動は構造体の生成と同時である。
原点論理体を除く全ての論理体は必ず始動時期があるので、上記要素を持つと言える。

では、原点論理体が上記要素を実質的に動作するものとして実装しているかどうか。
残念ながら、実装しているともしていないとも言えない。

思案関数は、外作用関数の実行時に自動的に呼ばれ、
その外作用関数の動作を受け、感情変数値による変動を与えた上で受流する。
つまり、記述を省略できる。(実装内容が省略できるわけではない。)

感情変数がどのような値を持つかについて。
単値変数ではなくて、多値変数であろう。
恐らくは、複数の変数を持つ集合体の参照変数であろう。
つまり、複数の変数が互いに無関係な値を取る。
その為、表に表れる感情自体は一つに絞り辛い。
又、変数非公開の原則より変数値を直接知る事は出来ない為、動作を受ける他ないが、
その動作も、思案関数によって他の関数実行時に影響が出るのみである。

以上、馬鹿真面目に書いているが、私が仲間内で語り合う馬鹿話に過ぎない。
(全て、チャット・メールのみの付き合いだ。)
ある時、私は「全ての物事は式で表すことが出来、永遠の未来が予測できる。」と言った。
それに対して、友人のSAは、「ある決められた記法に基づく物事の記録は、理解と同義だ。」と付け加えた。
つまりは、この“ある記法”が重要だった。
翌日には、私の所にメールが届いた。
それが、SA記法だ。
注意書きに「ある一瞬を記す事は出来るが、時間的広がりが表現できない。」とあった。
SA記法は、私らが語り合った世界の構造を記すだけだった。
それこそ、論理体の相互作用による世界理論。
LOG,CLA,STR,UNI,ENUの五つ(又はLOGを除く四つ)が世界を構成すると考えた。
ここで、“論理体は非常に多いがたかだか有限個しか無い”とした。
そして、これをSA論理系と名づけ、肉付けして行ったのだ。
我々のうちで語る場合、この論理系にそって話せば、我々だけは理解できるわけだ。
(さぞかし、異様なチャットだったろう。)

ある時、友人のAMがこんな事を言った。
「偶然は無い。サイコロでさえ、転がす時の高さ、早さ、力、向き、落ちた面との摩擦などの相互作用で値が決まる。」
SAの反論、というか別視点からの見方。
「間違ってはいないが、一般的にそれらを正確な値として知る事は不可能であるから、出る値は偶然であると言え、又それが偶然の定義である。」
私(QA)の発言。
「その一般的とは、大数の法則が適用される範囲と見て良いだろう。」
SAの反論。
「大数の法則は、偶然の定義の上に立つ物で、偶然を定義するものではない。」
私は言い返せなかった。
やはり、異様なチャットだったろう。

話を戻そう。
次は、世界理論だ。
さっき、世界は先の五つによって構成されると言ったが、
それは、SA論理系の話なので忘れてもらいたい。

NSA論理系(QA論理系でも同じ)では、
世界は、論理体(LOG)で構成される。
論理体(LOG)の属性として構造体(STR),集合体(UNI),列挙体(ENU)がある。
この辺りは(居ないと思うが)知ってる人からしたらどうでも良いだろう。

さて、QA論理系における世界の定義。
世界とは、原点論理体の認識圏と等価である。
つまり定義は、「世界=原点論理体認識圏」(W=U)
もう少し分かりやすく言えば、
世界とは、原点論理体を論理原体とする域である。
被包含を用いた同名変数値同値によって定義できそうに見えるが、
原点論理体は、他全ての論理体の影響圏にも属さないので、不可能である。

AMがこの理論に対して言った事だが、
「神=原点論理体=構造式で表せる=理解可能=全能ではない」
これは人によって見方が違うと思われる。
私は、以下のように考える。
人間の集合体をHで表すと、
H族が皆、自身の考える神を持ち、それはそのものの持つ変数に影響されている。
よって、人それぞれ“必ず”違った神(の存在)を信じている。
(根拠:仮存記憶定義)

世界は、実論理体集合体(R)と虚論理体集合体(V)に二分される。
(存在論理変数値の同名変数値同値による全分類と補集合体)
R族認識圏仮存帯は、全てVに1次包含される。
つまり、一見すると原点論理体(O)のR族仲介仮存のようで、Vを仲介する2次包含であり、
R族が、認識圏仮存帯としてV族部分帯を包含しているのだ。
論理主体はあくまでOである事を忘れてはならない。
又、RとVの定義より、全てのOは全ての論理体を2次包含する。

以上

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