†意識の記録† 理解のブログ

私の私の視点による私の経験の記録。私の視点で見る限り誤りのない認識で記事を書いている。一切の苦情は受け付けない。

レゾンデートルとアイデンティティの違い

2018-08-28 19:35:51 | Diary
こんばんは。

今日は哲学的なテーマに見せかけた、ただの辞書です。


レゾンデートルとアイデンティティ、何が違うのでしょう?
というのが、今回のテーマ。

レゾンデートルはフランス語で、英語に訳せば「reason of being」で、存在理由という邦訳は、まさに直訳ですね。
これは難しいので、後回しにします。


アイデンティティはアルファベットで書けば identity 。英語そのものであって、邦訳は自己同一性。

identity という単語は、 identic が“同一の”という形容詞ですから、概ね、雰囲気が伝わるでしょうか。
ただし重要な事として、 identic は、“存在そのものは別であるものが同一である”場合にしか使われません。
例えば、ある文書AとBがあって、その内容が事実上等しい場合や、ある物体の運動AとBがあって、ある瞬間の軌跡変化を捉えた時の加速度が等しいという場合に使います。


では、レゾンデートルですが、これは存在そのものに等しい。
だから、それを失ったりすれば、その存在がなくなるに等しいという事です。
アイデンティティは、失っても存在自体が消滅するとは言えません。


例文で示しましょう。

① 私のレゾンデートルは、サディスト(嗜虐趣味)だ。
② 私のアイデンティティは、サディスト(嗜虐趣味)だ。


レゾンデートルの場合ですが、「私≡サディスト」であり、サディストでなくなるのは、私でなくなる、つまり、別の存在になる事になります。
アイデンティティの場合ですが、「私=サディスト」であり、サディストでなくなる(私≠サディスト)としても、私でなくなるわけではありません。

だから、例えば、サディスティックな人たちが集うクラブに参加することが私のアイデンティティだとしても、そこから脱却可能であると言えます。
しかし、それがレゾンデートルであるならば、参加しなくなることは、私でなくなる事に等しく、私が実行することは出来ません。


言うなれば、レゾンデートルとは、自分をそのまま言い換えられ、かつ、変更不可能なものです。
アイデンティティとは、自分を表す比喩表現のようなもので、変更可能なものです。

眼の悪い私は、眼が悪いというレゾンデートルと、メガネというアイデンティティを持っているようなものです。
眼が悪いことは変更できないので、眼が良いならそれは私ではありませんが、メガネを外しても私は私です。


どうでしょう? 少しは分かり易くなりましたか。



以上。
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