クーたんとココ君のお家

燕尾服を着た女の子クーたんと神戸から来たやんちゃ坊主ココ君の小さなドラマ。

撫ぜればゴロゴロと

2010-08-21 06:09:49 | ネコ
今朝は湿気が多く、少々蒸し蒸しとし、クーラーのドライをONする。
今、僕の目の前には2ニャンが居る。クーはプリンターテーブルの上に置かれた、スキャナーに座って庭を眺め、ココはモニターの前でドエンと。ココはクーの側に行きたくて、パソコンテーブルに登って来た。ココの顔を良く見ると、右目の下に目くそがこびり付いている。後程抱いて取る事にしようか。
抱いたり、撫ぜられるのも嫌がる気難しいニャン子さんもかなり居ると聞く。例えばクーを家に入れた直後、家内が教えを請うたF家の老ねこさんも、撫ぜられ抱かれるのを嫌がるという。然るに我が家のニャンズは、撫ぜられるの大好きである。これを書いている今も、ドエンしたココの左手は、キーボードの真上に延び、時々その手を退かしながら、文章を打っている。
クーもマッタリと体を横たえて休んで居る時、背中やお腹を撫ぜると、嬉しくなり「お父さん大好きよ」と言うように喉をゴロゴロと鳴らし、僕の腕にじゃれ付き、甘噛みをしながら良い表情を見せてくれるのだ。
ココは撫ぜられるのがもっと大好きなねこ。写真のようにヘソ天で転がっている時に、お腹をフモルと嬉しくなり、手を舐め始めるのだ。勿論喉は鳴らしっぱなし。
本当に我が家のニャンズが撫ぜられるの大好きで、僕達夫婦は幸せを感じているのである。

省エネ

2010-08-20 06:18:04 | Weblog
今朝の居間の温度は27度5分。この温度が涼しく感じられ、クーラーOFF。外からは蝉に変わってコウロギの合唱が聞こえて来る。昨夜は10数キロ西の立川では、雷雨となったようだが、我が住まいの付近は雨の気配が全くなかった。
最近我が家の小型冷蔵から、モーターが運転を始める時に、ガグガグガターンと大きな音が聞こえるようになり、突然仕えなくなるのも不便なので、新品を注文した。今までの冷蔵庫は、知人のご亭主が単身赴任時に使っていた物を頂戴し、我が家に来てからでも20年以上経つ。コンデンサーから火が出れば大変な事になり、ご近所へも迷惑をお掛けする。撤去時に製造年を見ると、1986年であった。良く持った物である。
昨日購入した物は、サイズも大きく、特に冷凍庫の要領が大きい。夫婦だけの住まいでも、今の生活では食品の保存には、冷蔵庫は絶対に欠かせない物となってしまった。49年前、この地に移り住んだ時には、氷の冷蔵庫でさえ贅沢品であった。普段の家事に使うのは、大型の冷蔵庫で、この小さい物は長く保存する食品専用である。そして、この冷蔵庫はエコポイント対象品の省エネタイプ。電力消費量は60㍗少々。
ところで、何にでも興味を示すのがココの良いところ。昨晩は早速この冷蔵庫の上に登って、見通しや座り心地を10数分確認していた。クーは気位が高いお嬢様で、一寸見ただけで興味は示さず、夕方家内が食事の準備を始めると、何時ものように、流しの隣にある大型冷蔵庫に登って、家内の手元を見続けたのであった。

一粒の梅干

2010-08-19 06:09:10 | Weblog
我が家のニャンズは居間のテーブルに乗り、写真のようにマッタリと過ごすのが好きである。クーも写真のような怖い顔をするのは少なく、普段はもっと穏やかな顔を見せている。クーは朝と夕方この場所で休むのが常である。
ここ連日の猛暑、日中家の中で過ごしていて、クーラーをフル運転していても、室温は30度を超えてしまう。家内の話では、2階に居室のある息子達の部屋では、クーラーが全く役立たないと嫁がぼやいていたと言う。
暑い日には水分補給が欠かせない。僕も氷水を入れたジョッキを、居間のテーブルに置くようにしている。このジョッキをテーブルに上がったクーやココが「これなんだろうニャ」と覗き込み、時には顔を入れる事も。大概直ぐに離れるが、好奇心の強いココは舐めようとする事も。単純な氷水だけなら良いが、会社勤めの経験から、解した梅干を入れてある時も多い。勤めていた会社では、倉庫作業のフォークマンも多くおり、製品への結露発生防止から冷暖房はご法度。それ故熱中症防止で水分補給を奨励し、梅干も休憩室に置いていた。
難しい理屈は分からぬが、昔から塩水よりも、1粒の梅干を入れた方が、疲労回復も早いと、古参の作業者から教えられた。
まだまだ暑い日が続くが、今風のスポーツ飲料も良いが、梅干を入れた氷水も捨てがたいのである。

熱帯夜

2010-08-18 06:03:46 | ネコ
昨日の東京は気温が37度を越え、今年1番の暑さであったと言う。夜になっても気温は下がらず、深夜12時ココにご飯を催促され、今に入ると温度計は30度を表示していた。ココの茶碗にカリカリを入れていると、扉をノックする音が聞こえた。扉を開けると玄関にはクーがドエンと転がっていた。「クーたんご飯食べるの?」と聞くと「ミャー」と返事があり、ココと一緒に夜食タイム。半分程残しクーは居間から退出した。僕がニャン子ブログを見ていると、また扉を蹴飛ばす音が聞こえた。クーは寝室には戻らず、玄関で寝ていた。早速カメラを取り出して撮影。この写真を撮った直後クーは台所に入り、残っていたカリカリを食べ、お代わり迄要求した。食べ終わり小さな声で「ミャー」。「クーたんノ窓を開けて」と言うおねだり。クーが起きていると、ブログやホームページを読んでいても、立ったり座ったりが忙しい。腰が痛い時はなおさら辛い。僕がクーの側に行かぬと、足元に来て「クーちゃんの声聞こえたでしょ」と言い、無理矢理僕を連れて行く。
こんな我が侭お嬢であるが、僕達夫婦にとっては宝物なのである。

廊下は暑かった?

2010-08-17 06:03:39 | ネコ
昨日・今日の朝の暑さは尋常ではなく、今朝5時の居間の温度計は、29度を越えていた。新聞を取りに玄関を1歩出ると羽音がし、蝉が僕の足元から飛び立ち、お向かいの木に。暑さに強い蝉でも、クールダウンを求め、石の上で転がっていたようだ。
朝から猛烈な直射日光が注ぐ昨日。我が愛猫達は食事が終わり、1回だけバトルをすると、揃って廊下に出たのである。クーは棚の上で手足を思いっ切り伸ばしてお昼寝の体勢。ココはその真下の床で、クーと同じ姿勢で伸び伸び。2ニャンが何を話していたかは知らぬが、多分「暑くなんか無いよね。気持ち良いなー」と言っていたのだろうか。この時廊下の温度計は、32度を越え、湿度も70%以上になっていた。しかしそれも小1時間。湿気が強く我慢出来なくなったのであろうか、クーが茶の間に入り、仏壇横の棚の上でねこ丸になると、ココも居間に入りソファーの陰の、冷風が直接当らぬ床で寝たのである。
その後、コンビにたばこを買いに玄関を出ると、孫達とバッタリ。孫2人は日焼けして、元気そのもの。30分程家を空け、帰って温度計を見ると30度を越えていた。そんな部屋の中でも2ニャンはグッスリと昼寝をしていたのである。
写真は「ぼく暑くないもん」と言いたげなココである。

ちびニャンも可愛いけれど

2010-08-16 05:56:45 | ネコ
今朝の居間の室温は、28度9分もあり、この夏最高である。外では雄蝉が子孫を残す、鳴き比べをしている。
クーとココの食欲が少し落ちたかに見えるが、何度も茶碗に行っているので、食べる量は変わらないだろう。クーなどこの暑さでも、熱気の籠もる和室の違い棚で、熟睡しているのだから、体力は充分ある。
夏でも冬でも、クーの気に入った場所の1つに、居間の本箱の上がある。この本箱の側面には、可愛い仔猫の写真が貼ってある。貼ったのは家内である。時々ここからだらけるように、手をぶらぶらさせ「お写真のちびニャンも可愛いけれど、クーちゃんも可愛いよね」と言うポーズをとる。
ちびニャンの愛らしい姿は、人に笑みを誘う。しかし、大人のニャン子も長い間の信頼で家人と結ばれ、僕はクーやココを撫ぜる度に「可愛いよ。長生きしてね」と言ってしまうのである。

不戦の誓いを

2010-08-15 06:23:35 | ネコ
今日は終戦記念日。第二次世界大戦で亡くなられた方々の魂の平安を祈ると共に、私達は改めて不戦の誓いを世界中に発信しようではないか。戦後65年、現憲法が時代にそぐわなくなって来ているのは僕も感じ、改憲議論を始めるのは賛成である。しかし、変えてはならぬ条文もある。第9条である。ここに書かれた不戦・平和の誓いだけは変えてはならぬ。
僕は戦後第一世代であり、この愚かな戦争を実体験として持っている訳ではない。これから話すのは、戦争の愚かさの1つである。
昭和30年後半でも、街並みは現在のように美しくはなかった。池袋西口にもバラック建ての飲食街があった。当時僕は立教チャペル(諸聖徒礼拝堂)に所属する信徒であり、司祭の隣で礼拝奉仕をする、祭壇奉仕者であった。ある朝、池袋駅から飲食店街を歩いていると、大型の野良犬が何頭も僕の後ろを付いて来た。多分、カバンの中の弁当が臭ったのだろう。彼らも飢えていた。犬好きでも僕の顔は引きつっていたに違いない。前を歩いていた大学生に助けを求めた。「振り向いて目を合わせてはダメだ」と言われ、早足で校門迄歩いた。その間、野良犬は僕の後ろを付いていた。礼拝堂に入っても、動悸は中々治まらなかったのである。
僕が物質的に豊かになったと実感出来たのは、昭和40年代に入ってからである。しかし、小学生の頃読んだ、通信図鑑に描いてあった、1家に1台のコンヒューター時代が訪れるとは思わなかった。残念事に、物が豊富に出回るにつれ、心が貧しくなっていった。
都会では上記のように、野良犬が人の後ろを付ける無くなった。犬や猫の目も穏やかになったと感ずる。彼らは平和の象徴である。愛猫ココは、パソコンを枕にして、モニターの前で寝ているが、その顔は危害を加えられる心配は、微塵もしていない安らかな顔である。
これからも戦争の無い平和な日本が末永く続くように祈るものである。

「暑くなるぞ」と

2010-08-14 06:06:24 | ネコ
今朝は厚い雲に覆われた朝である。油蝉だけが「今日も暑くなるぞ」と鳴いている。現在の我が家は室温27.5度湿度75%と蒸し暑い。
お盆。流石に街は静かであり、息子宅からもチビ共の大声や息子の咳払いも聞こえぬ。何時もの土曜日は仕事になる事が多い職人も、昨日から連休中である。孫達はパパが居ると嬉しいようで、昨夕は雷が至近に落ちたと間違えるような大きな音が響き、僕も椅子から立ち上がり、2ニャンもビックリ顔をしていた。
ところで最近のココであるが、体重が物凄く増え、現在5.5㎏を越えてしまった。食事の量はクーと同じ程度しか与えていないのに何故だ。昨夜も寝室に連れて行こうと抱き上げた時、腱鞘炎の右腕に痛みが走り、頭から床に落としそうになった。ココは子供の頃から抱かれると、力を全て抜いてしまい、ニャン体動物化する。それにしても重い。しかし大変に元気である。
朝ご飯を食べ終えた2ニャンは、クーラーの冷風を避けるように、僕の寝室で朝寝を始めた。今日も気温が上がれば、居間に強制連行をしなくてはならないのか。

何語で話しているの?

2010-08-13 06:00:55 | ネコ
昨夜から右手の腱鞘炎が悪化し、少し曲げただけで脳天迄響くような痛みが走る。
今日の写真は、冷蔵庫の上でねこらしいポーズをとり、カメラ目線をしているクーである。
そのクーであるが、7年前に我が家に入れた後、仔猫の可愛さを充分に見せてくれた。それ故夫婦はクーを「毎日毎日クーちゃん可愛いね。良い子だね」と甘やかし、言葉に出して語り掛け続けた。まるで幼子をあやす時のように。何時しかクーも返事を返すようになって来た。クーが最初に言った言葉は「クー」と「ぃやん」である。「ぃやん」は勿論嫌な事をされた時に言う。今も時々この「ぃやん」を発し、続けて「ふうー」も。クーは成長するに従い、人の言葉を理解し、クー自身も僕や家内に話し掛けるようになって来た。
兎に角クーが起きていて居間や台所に居る時は煩い。今朝も茶碗の前に座り「ミャー」と。「朝ご飯未だなの」少し少な目に入れると、甘ったれ声で「ミヤャー」「お願いお代わり頂戴」。続いてクーたんの窓の桟に登り、パソコンの前に居る僕に聞こえるように大声で「ミャァアー」「お父さん、お窓開けてよ」と呼ぶ。
クーの話すのは猫語であるが、クー自身は日本語で話をしているつもりであろう。
クーに「クーは何語で話しているの?」と聞けば、クーからの返事は「あたし、日本語しか喋れないもん。日本語で話しているのよ。お父さん分かっているでしょう」と言う返事が返って来に違いないのである。

見上げてごらん

2010-08-12 06:12:33 | Weblog
「見上げてごらん空の星を」で始まる曲を歌っているのは、坂本九氏である。今日はその坂本氏の25年目の命日。日本航空123便に乗り合わせた、520名の方々と共に、空の星となってしまった。
何故僕がこの事を書かずにいられなくなったのは、同じ運輸事業に就いていた事以上に、25年前の午後6時半過ぎに、中央高速道路上野原インター~相模湖インター間で、南から北へ低空でゆっくりと飛ぶ、日本航空のジャンボジェット機を見たからである。
僕達一家はこの前日から、小学1年生になった息子を見せに、長野県塩尻市の家内の実家に出掛けていた。塩尻の夜は、東京とは比べものにならぬ程多くの星が瞬いていた。その帰り道、高速道路はお盆のラッシュで渋滞していた。この時息子が「パパ一寸見て、あんな所に飛行機が飛んでいるよ」と。「確かにこの付近は航空路ではないはずだ」と僕も不審に思った。八王子料金所は7時丁度頃。何時もの習慣で、ラジオのニュースを聞き始めると「日本航空のジャンボ機がレーダーから機影が消え、行方不明」との1報。僕達家族は「もしかしたらさっき見たあの飛行機?」と話しながら、自宅に帰ったのであった。その時は、こんな大事故だとは思わなかったのである。
僕達家族が飛行機を見ていた時、機内ではパニックになり、操縦室ではクルーの方々が猛り狂った飛行機をなだめながら、着陸する努力をされていたと思うと、25年たった今日も悲しみが込み上げてくる。
今朝の東京新聞、1面のコラム「筆洗」に、お子さんを亡くされた方の短歌が載っていたので紹介しよう。
白金も黄金も玉も何にせむ
子にまされる宝
世にあらめやも
この歌を読まれた方は、この事故で2人のお子さんを亡くされたと言う。
事故当時6歳であった息子も、早31歳となり、2児の父となった。
「この事故で犠牲となられた方々の霊が天国で安らかに憩いますように。 アーメン」