クーたんとココ君のお家

燕尾服を着た女の子クーたんと神戸から来たやんちゃ坊主ココ君の小さなドラマ。

優しい寝顔

2008-09-30 07:09:22 | Weblog
夜中に寝返りが打てなくなった。何か足元が重たい。起き上がって見ると、ココが足元で寝ていた。ここ数日寒くなり、ココは布団の上で寝るようになった。耳レーダーも完全に停止させ、頭を撫ぜてもびくともしない、熟睡中である。普段なら頭を触れば目を開け「お父さんなーに」と頭を持ち上げるが、昨夜はそれもない。
昨日は障子の手直しで、経師屋さんが障子を全て持って行き、日中のココは落ち着いて昼寝が出来なかった。寝不足になったココは、夕食を食べ終えると、僕の布団の上で早々に寝てしまった。
猫の寝顔はなんて優しく可愛いのだろうか。目が線なり、手の上に顔を乗せ、足は少し折り曲げ、丸くなっている姿は、童謡そのものである。普段のココとは全く違う。あのやんちゃは何処に行ってしまったのか。
5時頃朝ご飯を食べたココは、気に入っているソファーの家内の椅子で寝てしまった。抱いて部屋に連れて行き、布団の上に下ろすがチラッと目を開けただけで眠ってしまった。
家内と一緒に6時過ぎに起きて来たクーは、僕に背中を撫ぜさせながら、朝のご飯を食べ終えると、台所の奥のクーたん秘密基地に入った。僕が台所に入ると甘えた声で「ミャー」と一言。クーの秘密基地に行けば喉を鳴らしながら、僕と鼻をチューと付け合い、これまたお昼寝モードに入った。
猫の寝顔は優しく可愛い。そして家人を癒すのである。

美味しい顔

2008-09-29 06:09:44 | Weblog
おはようココだよ。元気だよ。今朝は少し寒いニャー。でも、ぼく達ニャンコには丁度良いよ。今朝はお父さんパソコンで、忙しそうにお仕事してたから、邪魔しちゃ悪いと思って、台所のお椅子で寝てたんだよ。でもね、何時もの朝ご飯の時間になったから、お父さんの所に行って「ゴァーン・ゴァーン」って言ったんだ。ご飯の時間忘れちゃ困るもんニャ。ぼくもクーちゃんも人の言葉少し話せるよ。「ゴァーンとイャン」は言うの。お父さんが僕のお部屋に、お茶碗を取りに行ったから、横で一緒に歩きながら「ゴァーン・ゴァーン・ゴァーン」って3回も言ったら「今あげるからお行儀欲く少し待ちなさい」だって。お父さんがご飯を入れる時、ぼくはお茶碗に顔を入れて、つまみ食いするから言われちゃうんだ。ご飯が美味しいからぼく少し太ったよ。今の体重はクーちゃんと同じなんだって。お母さんは「クーちゃんよりもココの方が重たく感じるわ」だって言うの。そんな事無いと思うけどニャー。
お父さんに「ココ美味しい顔ってどんな顔」って言われたから、こんな顔ニャノラってして見せたら、フラッシュがピッカって光って写されちゃった。
今日はお日様出ないのかニャー。つまんないから、お父さんのお布団で寝てようかニャー。クーちゃんこの時間になっても出てこないけど、朝ご飯も食べずにお寝んこかニャー。クーちゃん良く寝るからニャー。バイバイ。

信仰随想 主よみもとに

2008-09-28 06:44:47 | Weblog
お彼岸は終わりましたが、皆様はお墓参りをなされましたか。既に書きましたように、我家の墓は神戸・垂水にあり、彼岸と盆の墓の清掃は、幾ばくかのお礼をして、石材店に頼んでおります。キリスト教徒ですが、墓は聖なる場所であり、供養するのは子供として当然な事でしょう。仏壇を開ける事はほとんどありませんが、写真のように仏壇の上には、両親の写真を飾ってあり、下には造花ですが、花を飾ってあります。
母は散る桜の花弁に乗り、主の御元に召されて行きました。その2日前の夜中、付き添っていた僕達夫婦の前で、突然聖歌519番(讃美歌320番)【主よみもとに近付かんのぼる道は十字架に……】と聖歌集も見ずに歌い出しました。そして「あなた達も一緒に歌いなさい」と言い、1回歌い終えると「ワンスモアー」と言って繰り返し歌いました。この時母は自分の旅立ちを悟っていたのでしょう。実に静かな命の終焉でした。
僕達一家がお世話になっている聖愛教会では、お葬式の時に歌う、故人愛唱歌を1冊のノートに書くようにしております。僕はこの主よ御許に近付かんと、戦い終りて勝ち主となりぬ、葬儀の最後には、見よや十字の旗高し、の3曲をみなさんに歌って送って頂こうと思っております。
仏教と違ってキリスト教の葬儀では、列席者が共に祈り・歌う事が多くあります。日本では家族や信徒以外の方は黙ってしまいますが、音痴でも調子が外れてもかまいません、故人の魂の平安を祈るために、大きな声で祈り歌って頂きたいのです。
先日テレビで、みのもんた氏が、自分の葬儀の時の挨拶をビデオに収録しておこうかなと言っておられました。ビデオに収録はしませんが、参列された方々へのお礼は書いて、パソコンの中に残そうと思っています。

出窓で

2008-09-26 06:22:07 | Weblog
昨日の昼過ぎ、新宿から帰ってくると、出窓でクーが日向ぼっこをしながら眠っていた。僕の足音に気付き、立ち上がると「ミャ~アッア~」と言いながら歩き、門を入ると出窓の端に立ち上がって、またガラス越しに聞こえる程の大きな声で僕を呼んだ。部屋に入り、ソファーで寝ていたやんちゃ君を廊下に出し、洋間の戸を開けると、クーが珍しく駆け足で入って来た。「ゴァーン、ゴァーン」と家内に昼ご飯の催促だ。ご飯を食べながら僕の足元に擦り寄って来た。家に入る前、息子のところに立ち寄り、孫の誕生日プレゼントのクッキーを嫁に渡した時、大ネコマイクも一緒に出て来て、大きな尻尾を揺るがせながら、僕の足に体を擦り付け、頭を撫ぜると、嬉しそうに目を細めたのだ。クーはその匂いが気になり、嗅いだのだろう。食事を終えたクーはまた出窓に行って昼寝を始めた。
夕方ピンポンが鳴った。一緒に部屋に居たココは、大急ぎで廊下に非難。玄関には孫が、大きなブドウの入った籠を持って立っていた。嫁によれば、息子が会社から貰ったのお裾分けだと言う。丁度良い。孫の2歳のお誕生日の写真を撮ろうと、カメラを提げて一緒に外に出た。1ヶ月前とは違い、風が心地良く感じられる。孫は直ぐ近くの児童公園の砂場に行った。僕や家内に一緒に砂場に入れと促す。
子供は動きが早く、シャッターを押しても、瞬間ファインダーの外に。それでも、砂場や滑り台、三輪車に乗っているところなどが写せた。今日これからプリントし、嫁に渡そうと思っている。
写真を撮り終え家に戻ると、出窓からその様子を見ていたクーが、昼過ぎと同じように、出窓に立ち上がって、大きな声で僕を呼びながら、目は飛び回る虫を追いかけていた。

息子よ

2008-09-25 06:35:33 | Weblog
2年前の今日僕は『たった今5:08息子から家内の携帯電話にメールが入り「無事出産、母子共に健康」とありました。(中略)新米ジー・バーの誕生です。今の心境は“嬉しい・良かった”の一言です。』と書いている。今日は孫の晃生の誕生日。僕や家内を遠くで見付けても、ジージ・バーバと駆け寄ってくる。昼間ココと遊んでいても、頭の上から元気に走り回る足音が聞こえ、時々大きなサイレンも鳴る。おイタをしてママに怒られたのであろうか。最初その声に驚いていたクーやココも、今ではすっかりなれ、「あっ、またか」と言う顔をしている。
不況と言われる今日この頃、幸いにも息子の仕事は切れる事が無いようだ。5時になると台所に明かりが点り、6時前に咳払いと息子の足音が聞こえてくる。それを聞く度に僕は「息子よ、家族の為に一生懸命に働いてこいよ」と心の中で言うのだ。僕自身子育てをしている間は、無我夢中で働いた。己を捨てる事だ。最愛の家族の為に己を捨てる。これが出来るのは、男も女も子供を育てている間だろう。この寝顔を見て笑みがこぼれ、子が病んだと言っては心配しながらも、顔に出す事無く仕事に励む。僕もそうであった。気が付けば子供は親から離れ、夫婦だけになっていた。それで良いのだ。
息子よ。神様は君達家族を見守っている。神を信じ、子の為・家族の為に、己の持つ力を全て出せ。今のお前にはそれが出来る。体力と気力と知力がある。
今も今日始めての晃君サイレンが鳴った。新宿のハローワークの帰りに、クッキーの小袋を求め、晃に渡す事にしようか。

共に生きる

2008-09-24 06:57:02 | Weblog
犬も猫も人と共に生きる動物である。古代から人が居なければ生きては行けぬ。犬は人と行きながらも、古くは猟犬、番犬、現代では救助犬、麻薬探知犬、盲導犬等人の役に立っているから、猫よりも重く扱われる。猫にはこのような役目は全く無い。視力・聴力は犬より優れ、嗅覚も犬と同じ程度の能力を持つと言うのに。ただ、犬が優れているのは、人への忠誠と言う点だろう。確かに猫は孤独を好み、人に仕える事は絶対にない。人を自分と同等と見ていると感じる。その点が扱われ方で不利なのである。
クーと共に住むようになって5年、家で共に暮らすのなら、猫の方が優れていると実感している。猫も家人には慣れているし、大猫でも体重は5~6kg程度で狭い家の中でも邪魔にならない。声は犬よりも格段に小さく、夜中に声を出されても、近所迷惑になる事が無いし、用便もトイレを置きさえすれば、きちんとそこで用をたす。犬と生活していれば、雨の日でも散歩は欠かす事が出来ないが、猫ならば、自分で部屋の中を駆け回ったり、おもちゃで遊び、散歩の必要は全く無く、忙しい共働きの家庭でも楽である。猫にとって不利なのは、人の言う事を全く聞かず、壁や柱、家具・障子等に爪を立てて傷を作るくらいだろう。家庭の中で一緒に生活をしている犬でも、爪で傷を作る事があると思うのだが。もっと猫の優れた事が認知されても良いのではないか。
子育てを終えた今、クーとココが一緒に居てくれる事が、どれ程夫婦の仲を取り持ってくれるか。二人に感謝している。
今日の写真は先日応募した、にゃんこカレンダー2009年提出した物である。

ありがとうクーたん

2008-09-23 04:09:24 | Weblog
ありがとうクーたん。
ニャンコって可愛くて素晴らしいよね。クーが来てくれなかったら、僕はニャンコさんの素晴らしさを知らずに、天国へ行ってしまっただろう。何時も僕の側に居て、お話が出来るクーたんありがとう。
5年前の今頃の時間(午前3時頃)大きな声で泣いていた。車庫の窓を少し開けると、そこに頭を入れ、全身の力を振り絞って僕の胸に飛び込んだクーたん。憶えているかニャー。僕は覚えているよ。でも、ビックリした。「朝になったらお家にお帰り」と話したけれど、帰るお家が無かったんだよね。ごめん。朝、お兄ちゃんの後を追いかけた時抱き上げて、女の子だと分かった。僕の片手の平に乗る位小さかったクー。あの時の嬉しそうなクーたんの顔は一生忘れないだろう。可愛かった。その夜家の中を楽しそうに駆け回っいた姿を見て、この子は何と言われても手放さないと誓った。迷子の仔猫を探していますと言われても、クーは僕の宝物、絶対に渡せない。お転婆のクーも、5年も経つとお嬢様に変身した。でも可愛い。愛する娘だもの。クーが来てくれたから、ココももらった。ネコの全てを教えてくれた。昨日もお母さんのお膝に乗ってたけれど、何時も僕達を癒してくれるクーたん。本当にありがとう。これからも元気でいてね。

*06年4月25日からのブログにクーが来た前後の事を書いてあります。是非ご一読下さい。
今日は教会の大礼拝があり、その後午後は家内とグーグーだって猫であるの映画を舞台となった吉祥寺で見、伊勢屋で焼き豚とお肉を買って来ます。クーもココも普段より長い時間のお留守番になりそうですが、夜はクーとココにも美味しいご飯でお祝いをしようと思っております。

毎度のお邪魔

2008-09-22 05:42:04 | Weblog
未明の雷鼓笛隊も、マーチを演奏しながら去って行き、秋の虫の奏でる音を聞きながら、我が街は静かな朝を迎えようとしている。5時を回ったのにまだ夜は明けぬ。息子宅の台所も明かりが点らぬが、今日は遅出なのであろうか。
何時ものように、チビ猫ココは、4時半過ぎに僕の足首にじゃれ付き、起し作戦を始めた。台所に行けば、カリカリの入った容器に手を延ばし、食事の催促だ。ココの食べる姿を見ていたら、こちらも腹の虫がギューと鳴った。思わずリッツの袋に手が出てしまった。
ご飯を食べ終えたココは、小走りに僕の側に来て、写真のように、モニターの前に伏せた。画面が上半分しか見えない。毎度ながらのお邪魔虫である。隣のソファーに退けても直ぐに上がり、今度は正座をし、僕の左腕を舐め始める。この後は絶対にガブリが来る。「ココ、ご飯もう少し食べるの?」と聞けば「ゴァーン」と返事が返ってきた。ブログを書く手を中断し、仕方なくお代わりをココの茶碗に入れ、タバコをくゆらすと、食べ終えたココの満足げな顔が見えたのだ。お腹がくちくなったココは、おもちゃを咥えて、昨日の写真のニャンコボックスに入り、一人遊びを始めた。
先日クーとココの体重を量ると、共に4.3kgであった。ココはモリモリ・モグモグ良くご飯を食べるので、少し太り気味である。

信仰随想 生きる喜び

2008-09-21 08:12:04 | Weblog
7時17分頃の地震、ココはソファーの横に寝そべり、爪研ぎの最中だった。それを止め、ムックリと起き上がり様子を見ていた。何でもないことが分かると、ココは今元気に部屋の中を全速で駆け回った。忍者ハットリ君の様に、ソファーを飛び越え、おもちゃを蹴飛ばし、プリンターのスイッチを入れてくれた。駆け回った後は、カーテンの中に潜り日向ぼっこを始めた。
静かなニャンコクーも、美味しい物を食べた後は、居間のテーブルの上で伏せ、何回も何回も口の周りを舐め、その余韻を楽しむ。ご飯を食べる時には、僕や家内に背中を撫ぜさせる。昼間は出窓で昼寝を楽しむ。前の道から見ると、縫い包みのネコのようで、近所の方に「置物のネコじゃなかった」と言われた事も。
クーもココも、何の思惑がなく、自然体で生きている。叱られても悪戯をし、美味しい食事をねだり、人にじゃれ付く。鼻を付け合ってネコの挨拶の後で、クーにシッァーをされたココは急いで、3歩程後ずさり。
彼らを見ていると、本当に生きる喜びを教えてくれる。今日は教会でクーとココと共に生きる喜びの感謝の祈りを捧げよう。今週はクーが我家に来た5回目の記念日と孫の2歳の誕生日がある。これからも健やかに過ごせるようにとも祈る。

珍客来訪

2008-09-20 02:04:09 | Weblog
ココぼんに「お腹が空いたよ。お父さん起きろ」を連発され、足首を何回か舐めり技で、何時もよりずうっと早く起されてしまった。ココが夜食を食べていると、今度は居間の扉が3回程ノックされた。クー嬢が「あたしにもお夜食頂戴よ」と言う合図だ。ココを廊下に出し、クーを台所に入れる。アッアーお父さんは忙しい。眠気がすっ飛んだ。と言う訳でブログを更新。長い前説になったが本題に入ろう。
昨夕、僕は片目でネットの衛星写真、片目はテレビの天気予報を見ていると、食事の準備をしている家内から「ネー一寸」と呼ばれた。台所を覗くとクーが浄水器の上に乗り大騒ぎ。クーの視線をたどると、窓にはヤモリがへばり付いていた。クーはヤモリを捕まえようと騒いだのだ。さすがニャンである。ヤモリが窓に付いたのは今年2回目。前回は6月入梅間もない頃だった。この時はクーは居なかった。珍客来訪である。(写真では中央のサッシュの脇に小さく写っている)我家の門灯には以前からヤモリが同居して、雨の夜には姿を見る事があった。
僕がこの地に移り住んだのは、今から47年前だ。その頃は、高台のこの一画に100個余の住宅が建ち、周りは田畑だった。春から夏にの田圃では、蛙が大合唱会を毎夜もようしていた。ヤモリが外灯の近くに居るのは当たり前であった。秋になれば稲が黄色に実り、刈り取られた後の田には、すずめや小鳥が落穂をついばんでいた。その田畑もいつの間にか住宅に変わり、小川も暗渠になってしまった。暗渠になる前の小川にはザリガニが居て、小学生の息子は学校から帰って来ると、サザエさんのカツオくんのように、ランドセルを廊下に投げ、母の言う事も聞かずに、友達とザリガニ取りに夢中になっていたのを思い出す。その息子も来春には30歳、2児の父となる。