四駒笑劇漫画

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拳銃と父

2005年04月08日 | 読切エッセイ
拳銃と父

私が生まれた頃、万博やアポロの月面着陸など、高度成長の並みが押し寄せ、科学と経済が調和する第一世代の黄金期がやってきていました。そんな中、古い物は捨てられ、忘れられようとしていました。

私の父は祖父が憲兵(今で言う警官)だった事もあり、厳格で無口な人でした。しかし今考えてみると非常に甘やかされて育ったのか、すぐに諦めてしまい、自閉症ぎみで忍耐力がなく短気で破壊的な面を多く持ち合わせていました。
その性格のせいかよく会社を辞めて来ます。一か月勤めては、二か月失業という調子なので家はいつもお金がなく、文化住宅の4畳半の部屋に親子4人(両親と僕と弟)で暮らす生活でした。そんな生活は僕が11歳になるまで続きました。

貧乏なせいで、当時では珍しいパートに母は出ていました。パートといっても水商売しかなく、母は日曜日の夜になると化粧して働きに出ます。父はその事については、非常に苛立ち、よく夫婦喧嘩していたのを記憶しています。ですから、日曜日の夜になると父がピリピリしていました。しかも、残された僕たち幼い兄弟は恐怖で震えたものです。なにしろ些細な事で兄弟喧嘩でもしようものなら、父のげんこつが降ってくるのは間違いない事でした。場合によっては、ちゃぶ台をひっくり返され、夕ご飯がばらまかれる事があり、困ったのは母が帰ってくるまで、そのまま放置される事でした。

ある日曜日の夜、父が私達が寝たのを見計らって、屋根の上の板を剥がし、何やら新聞に包まれた金属の物を出し、布で磨いたり、分解したりしていました。その金属の物体は拳銃(ピストル)でした。
父は自衛隊に働いていた経験があり、拳銃を分解するのはお手のものでした。問題は入手ルートですが、父は拾ってきたと後の供述で言っています。30年以上前の事なのでハッキリとはわかりませんが、父は銃を他のルートで入手したのではないかと思います。それは自衛隊で働いていた事や、当時、日本は急速に高度成長を向かえ、大戦中の傷跡を消す為に銃等の武器類が、今の裏ビデオ並みに横行していた事、父はそれらのルートに極端に強い人だった事から、拾ったのは便器上の言い訳のような気がします。とにかく父は拳銃を分解掃除するのが唯一の楽しみだったようです。
しかし、その日の晩はいつもの夜と違ったのは実弾を入れていた事、トイレに僕が起きた事でした。
トイレに起きた僕は父に「これ何?」と聞きました。「拳銃だ。触ってみるか?」僕は少し触らせてもらいました。この時、僕がガチャガチャ触り過ぎたので父は不快になり、すぐに取り上げました。その直後、大きな音がしたかと思うと煙が立ちこめました。しかし、時遅し、タマは貫通し、二階立ての文化住宅の隣の部屋の屋根の部分まで届いていました。母が帰ってきてから、父は母に話して、二人で隣の家に謝罪に行きました。隣の夫婦は「いいのよ、いいのよ」と言っていたのですが・・・。
それからしばらくして、ドアをドンドンと叩く音がし、「Mさんですよね。開けて下さい」と言う。母は不信に思い、名前を聞こうとしてドアに近づいた途端、ドアの留め金がはずれ、ドアの向こうから、7人から10人の男が雪崩こんで来たかと思うと、酔っぱらってベロンベロンになってる父を指差し、次の瞬間、まるで組み立て体操のピラミッドを潰したように上に積み重なり、父はその下敷きになり、わめいていました。子供である僕はただ泣くばかりでした。もちろん、その男達は警察官で父は逮捕されたのでした。
しかし、それから何日か立って電話がかかってきて母は父を迎えに警察まで行きました。
それから、しばらくして母は夜の仕事を辞めて昼の仕事につきました。
でも、僕は今でもあの夜の事を思い出してクスクス笑い出してしまいます。



明日はエッセイです。

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