アルゼンチンから砂漠の国へ

2005年~2009年のオリジナル記事に、シンガポール時代の記事と、2009年以降のアメブロの旅行記を転記しました。

中国四千年の歴史(その1)

2004年12月26日 | 旅行
2004年6月、仕事で初めて中国を訪れ、上海の活気に驚きました。

今回は、7月に松山⇒上海便が開通したのを期に、女房を連れて、上海、北京とまわってきました。

2004年10月14日
新居浜の秋祭りを利用した、割安な4泊5日のパック旅行。週2便しかないため、松山空港は、大きな荷物を持った団体さんの大集合。胸には、JTB、読売旅行等々、各社のパック旅行の団体客。ひと組の若い女性と、数人の中国人の里帰りらしき女性の他は、60歳を過ぎたリタイヤしたお年寄りばかり。我が夫婦は、中途半端な年齢で、場違いな雰囲気。
予想通り、中国東方航空のA320-214は超満員で、東京着と同じ程度の時間で、あっという間に上海浦東(プトン)空港へ着陸。

イミグレーションを通過して待合いロビーに出て、旅行社の担当者を捜すと、かわいい女性(大学出たての通訳兼案内)が出迎えてくれた。さて、我がパックグループは何人くらいの規模かと聞くと、ふたりだけだとのこと。その晩は、夕食後、国内便で北京に向かうため、空港内のレストランで軽く夕食をとることにした。

今回の旅行の目的は、万里の長城と紫禁城、そして、時期の上海ガニを食べること。
早速、空港のレストラン入り口に、生きた上海ガニが置いてあり、118元(約1500円)の表示。
こんなところで食べるのはまだ早い。まずは、中国製醤油ラーメンで軽く腹ごしらえ。

国内便の出発まで、待ち時間が4時間もあり、夕食が終わってもたっぷり時間がある。かといって、時速430Km/hのリニアモーターカーの運行時間は過ぎている。仕方なく、国内便の北京行きの待合室で時間をつぶすことにした。

回りに、高校生らしい団体。中国人と日本人は顔だけではほとんど見分けがつかないが、表情をみるとどうも日本人らしい。案の定、引率の先生らしき人が、点呼で走り回っている。今時の高校生はリッチだ。しかし、修学旅行で海外とは、引率の先生も大変だ。結局、西安行きの便で先に出発した。

夜も更けて、今度は、アメリカ人とおぼしき、黒人の団体客が回りを占領した。皆、一様に腰回り、胸回りがでかい。アナウンスを聞くと、北京行きはアメリカンエアラインとの共同運行だという。たぶん、同じ便だ。いやな予感がした。

出発時間が来た。我々は二人だけなので、ゆっくり最後に乗り込んだ。飛行機の内部は、80%くらいアメリカの団体客に占領されていた。しかも、ほとんどの連中が手荷物を持ち込み、上のラックが超満杯。人ごとではなく、我々も手荷物を持ち込んでいたため、入れる先がなく、フライトアテンダントが右往左往。結局、荷物の整理が遅れて、出発も15分遅れることになった。
アメリカ人は、基本的に、他人を信用しない。荷物は、可能な限り手荷物で持ち込む。それで、他の人が迷惑しようが知ったこっちゃない。
旅の始まりが、なんとなく、憂鬱なものになった。

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