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アルゼンチンから砂漠の国へ

2005年~2009年のオリジナル記事に、シンガポール時代の記事と、2009年以降のアメブロの旅行記を転記しました。

イタリア初めての旅 (2/2)

2020年06月24日 | 旅行
Venice の 旅
2000年6月21日

(プラザホテルにて)

HOTELは街の中心部、といってもベニスではなく、メストレ(Mestre)の街で、駅の正面にあるプラザホテル。ここから、仕事先の工場まで車で15分、ベニスまでは、橋を渡って車でやはり15分。今回初めてベニスが島だという事実を知った。

ホテルの外観は、一般のシティーホテルだが、部屋の中はいたってシンプル。ガウンもなければ、スリッパも置いていない。テレビとベッドとバスルームの必要最小限の設備しかついていない。JALのスリッパを飛行機から持ってきて正解だった。念の為持ってきたTシャツがパジャマがわりになった。

朝目がさめて、まずはテレビのチェック。スイッチを入れるとサッカー中継、やはりイタリアだ。あとで新聞を読むと、現在サッカーは欧州選手権の真っ最中で、常に新聞の一面を飾っている。しかし、イタリア語では内容がわからない。その内、CNN専用チャンネルを見つけた。ここは英語(時々、フランス語やドイツ語も混じるが…)のニュースで世界共通、まずは一安心。これで何とか、ニュースが聞ける。更に全チャンネルを確認していくと、何と朝からストリップショーをやっている。どうも、これはアダルト専用チャンネルらしい。これで楽しみがもう一つ増えた。

電話でシャツの洗濯を頼むと、イタリア語の応対が、こちらの一言ですぐに英語に切り替わる。さすがにイタリア人もバイリンガルだ。(おそらくそれ以上なのだろう。)

まずは朝食。 昨日、フロントで朝食の場所を聞くと、First floorだという。 しかし、フロントのある1階を見まわしてもそれらしい所はない。更に聞くと上だという。 ここは地下か?? やっと思い出した。ここはGround Floor。 Firstフロアとは2階のことだ。 イギリス英語でそう言うことは知識では知っていたが、ヨーロッパ全体も同じ言い方とは知らなかった。やはり、こちらは英語の世界、米語は決して世界共通語ではない。

無料のUSA TODAYのサッカー記事を読みながら朝食をとっていると、どこかで見た顔が現れた。前回日本に来た、今回の仕事先の人で、名前が思い出せない。挨拶すると、「同じテーブルでいいですか。」と、一緒に食事をすることになった。確か、ここの工場の人だと思ったが、何で同じホテルに泊まっているのだろうと考えながら、失礼があってはいけないと探りをいれると、自分の勘違いで、今回のミーティングのため、別の街からやってきたと言う。やっと思い出した。

朝食はビュッフェスタイルで、内容もよく、従業員の愛想もよいので気に入ったが、ひとり若いウェイトレスが、なかなか英語を理解してくれない。やはり、イタリアでも英語が通じにくい場合もあると実感した。


(初めてのベニス)

夕方、1日目のミーティングも無事終わり、6時からベニスに出かけた。メンバーのひとりがVeniceとVeneziaの違いを聞くと、英語とイタリア語の違いだと言う。地名を勝手に英語読みにするなんて失礼な話だ。(ということで、以後ベネチアと表現します。)

車で、街を抜け、約4Kmの橋を渡ると、そこがベネチア。鉄道もここまで来ている。この入り口以降は車の乗り入れが出来ない。縦横に入組んだ運河とそれをまたぐ太鼓橋で、車の通りようがない。ベネチアから、4Kmの海の向こうに、ポルト・マルゲラ(Porto Marghera)の石油コンビナートが広がる。工業地帯の中の観光地、まったく違った世界が同居している。


今日は、先方の会社の人達が案内してくれるというので、まずは水上タクシー(モーターボート)に乗りこんだ。水は灰色に濁り、透明度50cm弱。お世辞にもきれいとは言えない。シンガポールの海といい勝負だ。タクシーはスピードを出さない様に、ゆっくりとCanal Grande(大運河)を下る。写真で見たとおりの風景が目の前に広がる。Canal Grandeはベネチア中央部を逆S字に縦断し、幅30~70mの大きな運河で、そこから、網の目の様に、舟2台がやっとすれ違える小さな運河がつながっている。この大運河には橋は3箇所しかなく、その中央部の一番大きなリアルト橋でタクシーを降りて、街の中を歩きながら、南の端のサン・マルコ広場(Piazza San Marco)に向かう。


(ベネチアの街)

通りで、たびたび日本人の若いカップルを見かけた。やはり、新婚旅行のメッカなのか、団体行動でないのがほほえましい。ショーウィンドーには、ベネチアンGlassに、ガラス細工の様々な飾り、そしてここで有名だという、金の細いチェーンがぶらさがっている。まるで遠くからではだだのスダレにしか見えない。

失敗した。この暑い中にひとりだけネクタイをして浮き上がってしまっている。30度近い気温で、完全に真夏の陽気だ。夕方8時だというのに、強烈な西日がじりじりと照りつけている。

二日目も、ほとんど同じ行動。初日に歩きつかれたので、今度はサンマルコ広場までタクシーで直行した。今回はネクタイを外し、腕まくりして、すこし観光モードに切り替え。しかし、同行のメンバーは半袖あり、ポロシャツありで完全にレジャーモードになっている。

サン・マルコ広場の賑わいは連日変わらず、イタリアの若い女性の魅力に圧倒される。ノースリーブ、タンクトップがほとんどで、またその豊かな胸を強調するファッションは、見るだけで楽しくなってくる。

2時間あまりかけて夕食を取り、ワインを飲みながら、フルコースの食事。イタリアの料理は美味い。これでひとり当りワインも含めて約6000円というから、物価も安い様だ。長時間の食事も、日本での会食の時のような仕事の話、政治・経済の話は一切なし。イタリアの習慣のはなし、食材の話題で盛り上がり、酔っ払ってしまった。

外に出ると10時半はまだ宵の口。相変わらずの賑やかさで、ベネチアの夜は長い。湿気の少ない気持ちのよい夜風にあたりながら、海岸通りをタクシー乗り場に向かった。

3日目は、会議も終わり、先方のメンバーとも別れて、自分たちだけでベネチアに向かった。今回は、ナビゲーターはドイツ駐在員のKさん。今回は通訳の必要がなかったので、3日間の会議は退屈だったと思うが、観光案内ではお世話をかけてしまった。どこを見てもイタリア語表記なので、まずベネチア行きの列車の乗り方からわからない。切符の買い方、自動改札の使い方、時刻表の見方、どれもひとりなら大変だ。おまけに、最後に水上バスの降りる場所をまちがえてしまった。あまりの混雑に、他のメンバーが降りたのに気がつかず、様子がおかしいので地図を確認して次のバス停で飛び降り、ひとりで歩いて駅まで帰ると、皆で心配して待っていてくれた。まことに申し訳ない。


最終日は、飛行機が出発するまでの午前中だけが自由時間なので、昼間しか見られない、サン・マルコ寺院の中と、鐘楼に登った(といってもエレベータで。) 鐘楼からは、ベネチアの街全体と、隣の島々、本土の工場地帯が見渡せ、4日とも天気に恵まれ、きれいな写真を撮ることができた。


ここでも、サン・マルコ広場の公衆トイレに行くと、有料で入場料1000リラ(約50円)。チューリップが高く、自分の物がやっと届く高さ。何か踏み台がほしい。また、足の短さを自覚させられた。

サン・マルコ寺院のドームの内部は、全面金箔がはってあるが、照明が薄暗く、その価値が半減。それが荘厳でいいと言う人もいるが、照明を工夫して金色に輝く天井を浮び上がらせたらきれいだろうと思うのは不謹慎だろうか。
昼食までの間に、サン・マルコ広場のまわりで各自みやげ物探し。
日本人観光客も多い。


4日間のベネチアの旅もあっという間に終わり、来たルートを逆行して帰路に着いた。ただ、今回は、夕方パリを発ち、昼過ぎに成田に着く便だったので、食事をとって眠り、朝食の準備の音で目を覚ましたら日本に到着していた。初めてのヨーロッパの旅だったが、すっかりイタリアが気に入ってしまった。開放的で、湿気の少ない気候は過し易そうだ。次は、ミラノの本社で会議があることを期待しよう。

(おわり)


(一口メモ)
このプロジェクトでは、結局4回のイタリア出張で、さすがに最初は、お上りさんで見るもの、聞くものが珍しく、すっかりイタリアが気に入ったが、その後、別のプロジェクトでも数回、プライベートでも1回旅行することになる。


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