アルゼンチンから砂漠の国へ

2005年~2009年のオリジナル記事に、シンガポール時代の記事と、2009年以降のアメブロの旅行記を転記しました。

バンコク一人旅

2020年06月18日 | 旅行
バンコクの白タクにはご用心
バンコク(1996年 2月19日~21日)
 
また性懲りも無く、飛行機に乗っている。
行き先はバンコク。去年はジャカルタで、たぶんこうなると来年あたりはクアラルンプールだろう。
シンガポールは旧正月に入ると、店もレストランも閉まってしまい、観光客目当てのホテルの、値段の高いレストランだけが開いている。仕方が無いのでシンガポールを脱出する。

バンコクの空港に着くと、イミグレーションの前は長蛇の列。全く列が前に進まない。カウンターは数多くあるが、開いているのは2箇所だけ。これじゃいつまでたっても外に出られない。待合室では、ホテルに案内してくれるガイドが待ってくれているはずだ。「マイペンライ」の国だ、じっと我慢。

2時間経ち、やっとイミグレーションを通過。前の人に付いて、出口に向かったが、待っているはずのガイドがいない。2時間も待たされたら、いくらなんでも帰ってしまうだろう。仕方が無いので、とりあえず、切符のリコンファームをしておくことにした。飛行機は、ロイヤル・ネパール・エアライン、小さい会社だ、空港ロビーにサービスカウンターが見当たらない。空港の案内嬢にオフィスの場所を聞き、直接空港内の事務所を訪ねた。
2階の片隅にある、小さな事務所をやっと見つけ、中に入ると、事務員らしき男達が雑談している。

切符を見せてリコンファームしてくれとたのむと、切符を見た事務員は、
「この切符、キャンセルされてるよ。」
「そんなばかなはずはないだろう。今着いたばかりなのに。」
「いや、キャンセルされている。どうしようもないね。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
結局、らちがあかず、この連中の不親切な対応に頭に来て、空港を出た。とりあえず、ホテルに行こう。
空港の玄関を出ると、目の前に都合よくタクシーが止まった。
「ダンナ、タクシーだろ。」若い、キックボクサーのようなお兄ちゃんが顔を出した。
「ホテルまで。」と、ホテルの名前を言って出発した。
やっとタクシーのシートでくつろぎ、初めてのバンコクの街並を眺めていてふと気がつくと、シートにパンフレットが置いてある。手に取ると、マッサージパーラーの広告で、中には若い裸の女性が並んでいる。
「だんな、寄っていくかい?」
「いや、ホテルに行ってくれ。」
「じゃ、ホテルのロビーで待ってるから、荷物を置いて行きましょうや。」
ホテルにチェックインし、部屋に荷物を置いていると、電話が鳴った。

”Hello, Mr. ○○○○?”と女性の声。
”Yes, who is calling?”
「私は、ツアーガイドです。空港の1番到着ゲートでずっと待っていたのですが、会えなかったので心配していました。」
「2番ゲートから出たら、誰もいないので仕方なくタクシーで来ましたよ。」
「わかりました。今夜、夕食を予約していますので、7時にお迎えに参ります。他に2組のカップルが一緒に行きますのでよろしくお願いします。」
「OK。じゃ、7時にロビーで。」

まだ夕方には時間があるので、出かけようとロビーに出ると、例のタクシーの運転手がまだ待っている。仕方ない、ついて行くことにした。
マッサージで十分リラックスし、ホテルに向かった。ところが、その運転手、ホテルの少し手前で車を止め、
「料金は2500バーツ(約10,000円)頂きます。」
「それはないだろう。メーターとは違うよ。」
「マッサージで楽しんだだろ。ガイド料だよ。」
とついに本性を現して、すごんできた。この予想もしない展開にビビリ、財布を覗くと、1800バーツ(約7,000円)しか入っていない。
「すみません。1800バーツしかないんですが。」
「じゃ、それでいいよ。まいど。」と、浅黒い顔でニヤリと笑い、タクシーは去っていった。
ともかく、無事でタクシーを降りることが出来たのでほっとしたが、正規の料金の10倍近く取られてしまった。散々な初日だ。
 

(市内観光)

翌日は、ガイドのナイさんに連れられて、市内の寺院めぐり。時価120億円と言われる純金の仏像(黄金仏寺院)、エメラルド寺院、大理石寺院、そして長さ46mの寝仏像(ねはん仏寺)と見るところが多い。







(ガイドのナイさん)


(チャオプラヤー川下り)

午後は、一人で街見物。例によって、バスルートの地図を手に入れ、バスで中心街まで出て、バックパック旅行者に有名なカオサン通りに行ってみる。西洋人が多い、日本人も時々見かけたが、皆一様に身なりがあまりきれいではない。
次に、日本人街パッポン、タニヤ街を覗いて見た。一人旅で、夜立ち寄るには少しヤバイ感じがするので、昼間に通りだけを歩いて見る。それでも、
「お客さん、いい娘いるよ。」と呼びこみがある。
「いや、結構。」と通りすぎようとすると、若い兄ちゃんがついてくる。そして達者な英語で話しかけてくる。
「街、案内するよ。」
「いいですよ。」
タクシーの例があるので、こんどは強盗でもされるのではないかと、カバンをしっかりにぎり、断った。

しかし、どこまでも付いて来る。
「昼間はどうせ暇だから、付き合ってあげますよ。」
そのうち、どうも危険ではなさそうなので、話しながら街をいっしょに歩いた。そのうち、運河に突き当たり、水上バスが着いていたので、一緒に乗ろうと、切符まで買ってくれた。

小さな通勤ボートに人がいっぱい積めこまれ、両側は水がかからない様にシートが張ってある。狭い運河を走るボートは、通勤客のバス代わりのようだ。
その内、チャオプラヤー川の近くになり、今度は川の水上バスに乗りかえた。ここも切符を買ってくれた。気前のいい男だ。

結局、半日付き合ってくれたので、食事をおごることにした。すると、なじみの店があるからそこに案内すると言う。また別の水上バスで運河をさかのぼり、少し歩くと、見たことのある場所にやって来た。昨日のマッサージパーラーだ。
この中のレストランが美味いと言う。
中に入ると、まだ夕方も早い時間帯なので、店の女性が大勢食事をしている。彼は、なじみの様子で声を掛けている。
食事後、今度バンコクに来たときはぜひ連絡してくれと、アパートの住所と電話番号を教えてくれた。

その後、1度も行く機会がなかったのが残念だ。


(水上マーケット)

翌日、飛行機が出発する前に、水上マーケットに出かけた。オプショナルツアーで、また昨日の日本人メンバーと一緒だ。
街から約80Km南に下り、塩田地帯を抜け、ココナッツの砂糖工場を見物して水上マーケットに着いた。
日本の潮来の水郷地帯のようだ。ここも観光客でにぎわっている。


(帰りの便)

帰りの空港で、またロイヤル・ネパール・エアラインを待っていた。
カトマンズを出発した飛行機は、バンコク経由でシンガポールに行くことになっていた。しかし、到着時間が来ているのになかなかやって来ない。

「お客様にお知らせします。ロイヤル・ネパール・エアライン△△△便は、到着が遅れています。次のご案内までしばらくお待ち下さい。お手元の航空券の座席番号は無効となります。ご自由に席をお選びください。」
これは、ダブルブッキングがあったに違いない。たぶん、積み残しが出るだろう。同じ思いの乗客が多い様子で、すぐに搭乗口に行列が出来た。このネパール航空はどうも信用できない。

やっと飛行機が到着し、バンコクで降りる乗客が出てきた。
「子供と女性を先にご案内しますので、その他のお客様は少しお待ち下さい。」
誰もアナウンスを聞く人はいない。皆、我先に搭乗口に押しかけて、狭い入り口が動きが取れない。ほとんどパニック状態だ。

ここは一人旅の強み、何とか、席を確保した。
しかし結局、全員乗れたようだ。コンピュータシステムが十分働いていないのだろう。バンコクで降りた乗客と、新たに乗る乗客の仕分けが出来ず、自由席になったようだ。後にも先にも、飛行機の自由席は初めての経験だった。以来、ロイヤル・ネパール・エアラインを利用したことがない。


(バンコクの旅 おわり)


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