少し前の話だけど…長年ウチで飼われていた犬が死んだ。
名前は『ラッキー』というシェットランド・シープドッグ…11才。人間でいう…この形容、大キライだから止めよう(笑)。とにかくそこそこの高齢。自分が大学時代、就職活動をしている時に実家へ帰ると、突然この犬が玄関で迎えてくれた。当時の自分は(今も)とっても短気だったから、「どういうことやねん…」と父親に詰め寄った記憶がある。何だかんだで我が家へ迎え入れられ…そういやこのブログを始めてすぐ、コイツの記事を書いておりました。詳しくはこちらで。
ここ数年は「老いてきたなぁ」っていうのがなんとなく分かる程度だったんだけど、今年の夏、気付けばついに目が見えなくなってしまっていた。「視界がなくなったら、犬は(死が)早いからなぁ」っていうのをどこかで聞いていたから、自分なりの覚悟をして、毎日欠かさず声だけは掛けていたんだけど、先を急いでいて、それを欠かしてしまったその日に逝ってしまうとは…。家に帰ったその日は嫁も子供たちも寝静まっているくらい遅かったんだけど、長男は泣きながら寝ていたそうで…。子供にもちょっとショックだったんだろうな。
帰るとラッキーはすでに親父の手で埋葬されていて、最期の姿を見ることはできなかった。親父に「顔を見たかったのに、どうして半日くらい置いといてくれんかったん?」と言うと「お前がそんなこと言うと思わんかった」と素っ気ない返事。
挙句の果てに「来週にでもまた犬を飼いに行こう」と暢気なことを言っていたので、「ラッキーが死んですぐにそれはないやろ」と意見をしたら「どうせお前はエサやりも散歩も何もせぇへんかったくせに」。たしかに世話なんてほとんど親父に任せっきりだったけど、思わず感情的になってしまい、それからしばらく口論になり、その怒りを持って風呂に入った。
風呂を出て居間に行くと、親父は既に自分の部屋へ入っていた。さっきのことを一人ぶつぶつ…そしてしみじみとしながら遅い夕飯を食べていたら、膳を下げる母親がひとこと「父さん…夕方、外で泣いてたんよ」と言いながら鼻をすすっていた。自分の中の何かが、すーっと退いていくのが分かった。きっと自分が思っている以上にみんな哀しいんだ。父親はそれを紛らわせるためにあんなことを言ってたんだ、と。
次の日の朝、ウチの柿の木の下にあるラッキーの墓に手を合わせ、仕事に出掛けた。その前に父親へは素直に詫びた。長男は…もうそのことを忘れてしまったのか、信じられないくらいあっけらかんとしていた。目は腫れてたけど。
…
しょせん檻の中で動物を飼うっていうのは、人のエゴに過ぎない話。ラッキーは幸せだったのか、それとも…。でもはっきり言えるのは、その哀しみは人が死んだこととそう変わりないくらいに突き刺さってくるということ。今日もまた家に帰ると、主のいない時の止まった小屋が自分を迎えてくれた。そしてそこにやっぱりラッキーの面影を探してしまう。
名前は『ラッキー』というシェットランド・シープドッグ…11才。人間でいう…この形容、大キライだから止めよう(笑)。とにかくそこそこの高齢。自分が大学時代、就職活動をしている時に実家へ帰ると、突然この犬が玄関で迎えてくれた。当時の自分は(今も)とっても短気だったから、「どういうことやねん…」と父親に詰め寄った記憶がある。何だかんだで我が家へ迎え入れられ…そういやこのブログを始めてすぐ、コイツの記事を書いておりました。詳しくはこちらで。
ここ数年は「老いてきたなぁ」っていうのがなんとなく分かる程度だったんだけど、今年の夏、気付けばついに目が見えなくなってしまっていた。「視界がなくなったら、犬は(死が)早いからなぁ」っていうのをどこかで聞いていたから、自分なりの覚悟をして、毎日欠かさず声だけは掛けていたんだけど、先を急いでいて、それを欠かしてしまったその日に逝ってしまうとは…。家に帰ったその日は嫁も子供たちも寝静まっているくらい遅かったんだけど、長男は泣きながら寝ていたそうで…。子供にもちょっとショックだったんだろうな。
帰るとラッキーはすでに親父の手で埋葬されていて、最期の姿を見ることはできなかった。親父に「顔を見たかったのに、どうして半日くらい置いといてくれんかったん?」と言うと「お前がそんなこと言うと思わんかった」と素っ気ない返事。
挙句の果てに「来週にでもまた犬を飼いに行こう」と暢気なことを言っていたので、「ラッキーが死んですぐにそれはないやろ」と意見をしたら「どうせお前はエサやりも散歩も何もせぇへんかったくせに」。たしかに世話なんてほとんど親父に任せっきりだったけど、思わず感情的になってしまい、それからしばらく口論になり、その怒りを持って風呂に入った。
風呂を出て居間に行くと、親父は既に自分の部屋へ入っていた。さっきのことを一人ぶつぶつ…そしてしみじみとしながら遅い夕飯を食べていたら、膳を下げる母親がひとこと「父さん…夕方、外で泣いてたんよ」と言いながら鼻をすすっていた。自分の中の何かが、すーっと退いていくのが分かった。きっと自分が思っている以上にみんな哀しいんだ。父親はそれを紛らわせるためにあんなことを言ってたんだ、と。
次の日の朝、ウチの柿の木の下にあるラッキーの墓に手を合わせ、仕事に出掛けた。その前に父親へは素直に詫びた。長男は…もうそのことを忘れてしまったのか、信じられないくらいあっけらかんとしていた。目は腫れてたけど。
…
しょせん檻の中で動物を飼うっていうのは、人のエゴに過ぎない話。ラッキーは幸せだったのか、それとも…。でもはっきり言えるのは、その哀しみは人が死んだこととそう変わりないくらいに突き刺さってくるということ。今日もまた家に帰ると、主のいない時の止まった小屋が自分を迎えてくれた。そしてそこにやっぱりラッキーの面影を探してしまう。
時間が少しずつ寂しさを埋めてくれることはあっても
忘れることはできなくて
それでもやがて胸にしっかり残ることを
願わずにいられません。
実家の父が友としている犬は13歳。
遠くない将来
お別れがやってくるでしょう。
ラッキーちゃん
安らかにお眠り下さい。
ラッキーとの思い出。
というか河原での出来事や自分の小屋を占領されていた話、他人でもこんなに和ませてくれたのできっと家族にはもっと大きい存在だったんでしょうね。
自分も何匹か飼い犬を亡くしたけどその時のことは忘れられません。
亡くなったときは悲しくて「もう犬なんていらない。」と思うけど知らぬ間にまた飼っている・・・
ペットってそんな存在かな。
ラッキーちゃん、天国で安らかに
ラッキーちゃん、家族の皆様から愛されて、とても幸せな一生でしたね
訪問、ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
もう結構時間が経つけど、一日一度はどこかで思い出してしまいます。
レタスねーさん
河原の出来事はどう考えても殿堂入りやろ(笑)。
ねーさんとこもジープくん、いたもんね…。
今の所は新しく飼うという話はないけど、
ラッキーとの思い出だけあればいいかな…なんて思ったり。
Sleeping Beautyさん
ご訪問ありがとうございます。
人間のエゴかもしれないけど、きっとラッキーは幸せだったと思います。