サイパン大好き♪別館

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知覧 さくらまつり

2012-04-08 12:12:59 | 知覧
誰も私を止められないという2012年4月。

4月3日、知覧に再び行ってまいりました。

シゲちゃん(シゲ兄)こと、永松茂久さんにお呼びいただきました
『さくらまつり』です。

東北からは『チーム秋田』の3人。

シゲちゃんに人選を任せていただきまして
『覚悟』をテーマに選ばさせていただきました。


朝、7時過ぎのフライト。
あの全国的に台風並みの低気圧が襲った4月3日です。

鹿児島に随分遅れて到着したのですが
私たちの後の飛行機は全便欠航となっていましたから
ものすごくラッキーなスタートでした。

鹿児島からご用意いただいたバスで知覧へ。

これが知覧茶畑です。







平和授業と言うことで『特攻の母』鳥浜トメさんのお孫さんの
鳥浜明久さん、明久兄さんがお話をしてくださいました。

『忘れたらいけない』とトメさんが語り継いだお話を
語り部としてずっとお話されています。

なぜ、特攻基地が知覧だったのか。
どんな思いを残して飛び立っていったのか。
どんな最期の数日を過ごされていたのか。
色んなお話を聴かせていただきました。

あの日、全国で雨が降らなかったのは鹿児島だけだったそうです。


特攻観音におまいりをしました。







青空でした。





桜並木。







この桜を飛行機につけて飛び立っていかれた特攻隊の皆さん。






婚約者のいらした穴沢少尉さんと思われる写真です。
穴沢少尉さんのお話はドラマにもなりましたね。

知覧女子校の『なでしこ隊』のみなさんが桜を振って見送ります。

この日は4月12日。
私の誕生日です。

この日20名以上の皆さんが飛び立たれています。



17歳、18歳、19歳の少年兵のチームがありました。
いつも笑顔で『朗らか隊』と呼ばれていたそうです。






このお写真はこの少年たちが特攻する前日のお写真です。

新聞社の方が『いつ飛び立ちのですか?』とたずねましたら
『明日』と言うことで写真を撮ったとのことでした。

右側の中心の少年の肩に手をかけている少年の袖。
ひじを曲げてもこれほど袖が長いのです。

当時の飛行服は大・中・小のサイズでしたが
その小のサイズでも大きすぎるほど、この少年が小さな体だったと言うことを
飛行隊で生き残られたおじいちゃまが教えてくださいました。


この元飛行隊のおじいちゃまのお話はぜひ聴いてほしいです。
アメリカの飛行機に空中で突撃していたと言います。

信じられない戦闘でした。
そしてそんな中を生き残られた方。

もっと知らなくちゃいけないことがあります。






藤井中尉さんです。

教え子たちが次々と特攻する中、自分も必ず行くからといい続けていました。
奥様とお子様がいらっしゃいました。

年齢的なもの、家族がいること、
そして何より中尉さんは飛行機の操縦が出来ないことで特攻を受理されませんでした。

止めても止めても中尉さんの決意は変わらず、
奥様は自分たちがいたのでは存分に活躍が出来ないでしょうからと
荒川にお子様たちと身を投げてしまわれます。

中尉さんはその後、血染めの嘆願書を提出し
特攻志願を受理されます。

アメリカ兵が藤井中尉さんの特攻の様子を覚えていました。

アメリカ空母の壮絶な迎撃を掻い潜り、突撃した飛行機がありました。
その飛行機は二人乗りだったそうです。

その日の二人乗りの特攻は藤井中尉さんだけでした。

亡くなったお子様あてに書かれた遺書に
『父ちゃんは戦地で立派な手柄を立ててお土産にして参ります』とあります。

藤井中尉さんの最期の想いは叶ったのかもしれません。







明久兄さんがたんたんと語ります。

優しい方です。

『いつでも待ってますよ』と言ってくださいました。





小さく月が輝いています。

参加者みんなで誓いを立てました。


ざわざわざわ…と強い風に吹かれて聞こえる桜の木の揺れる音。
その音の中に色んなメッセージを感じました。

貴重な体験で終わらせてはいけない。
風化させてしまってはいけない。


次の『さくらまつり』までにしっかり生きようと覚悟を新たにしました。