サイパン大好き♪別館

サイパンねたに限らず、自分の好きな事を書いていきます。
楽しいページにしたいな~♪

会津 お一人様 その4

2007-02-27 20:37:30 | 東北あちこち
3階は戊辰戦争と白虎隊の資料。

会津藩には
『白虎隊』『青龍隊』『朱雀隊』『玄武隊』があったの。

『玄武隊』50歳以上
『青龍隊』36~49歳まで
『朱雀隊』18~35歳まで

『白虎隊』は16~17歳の少年たち。
当時はかぞえだったから15~16歳だったのかも。
憧れの職務だったのかな?
入隊したくて年をごまかす子もいたらしい。

会津戦争と言われる会津の戊辰戦争。
とても激しい戦闘で容保さんは1ヶ月篭城して戦ったのね。
お城に対しての忠義はすごいものがあって
女の子たちも男装して戦ったらしい。
『祖父母様も父母様も皆お死にになりました』っていう言葉があった。
白虎隊だけでなくほかの部隊の少年たちもずいぶん殉職したの。

白虎隊は鶴ヶ城の西が部署。
激戦の果てお城に戻ろうと飯盛山までたどり着いた。
負傷してやっとたどり着いたっていう子もいたの。
下屋敷が燃えて立ち上る黒煙、火をみて落城したと思った少年たちは
もう戻ることは出来ないと続々と自刃したのね。
力尽きた子は仲間の介錯を受けたって。

20人の自刃。

その中でたった一人蘇生した少年『飯沼貞吉』
このひとが晩年になって話してくれたことで
いろいろなことが分かったらしい。
落城後は追い腹禁止令が出たので
白虎隊の何百人かの少年は生き残ったんだって。

生き残っても心の傷は深く
『もはや自分はあのときに死んだ身』とその後何かのお役目についてね
護身用に拳銃を持つように言われても辞退したんだそう。
お酒の席で『白虎の生き残り』と言われその場で腹を切ろうとしたとか?

少年たちの肖像画がありました。
皆きれいなお顔。

で、誰が残したのか不明なんだけど
無くなったときの服装とか持っていたものとかの記録があったの。
すごいね。

で、いろんな人が自刃の様子を絵にしてるんだけど
あまり気持ちのいいものじゃなかったです…。
はい。


で~4階に上がります。

城下の四季の賑わいだって言うんだけど…

寒いよー><





窓開いてるし…。





お茶室が見えますねー。
手袋してても指先じんじん…。


5階は展望台。





朱雀、南です。





青龍 東です。





玄武、北です。


白虎の方角は閉まってました。
飯盛山が遠くに見えるはず。


会津 お一人様 その3

2007-02-27 08:56:08 | 東北あちこち
1階と3階は撮影禁止。
歴史的な資料がたくさん。

1階には資料。
歴代の藩主のご紹介。

葦名家 会津地方の戦乱に終止符。このころは『黒川城』と言った。

伊達家 伊達政宗さんです。わずか1年半くらいだけど

蒲生家 氏郷さん
    キリシタン大名で洗礼名は『レオ』
    7層の天守閣を作って黒川を『若松』に変え町割りを作る。
    『鶴ヶ城』とお城に命名。
    千利休の息子(小庵)をかくまい、千家の血が途絶えないようにした。
    今の裏千家、表千家、武者小路千家があるのもこのお方のおかげ。

上杉家 120万石にまで繁栄

蒲生家 上杉家が米沢へ。蒲生氏郷さんの息子さんが会津入り。

加藤家 7層から5層に改める。←どうやったの???
    西出丸、北出丸が整備。
    ↑さっき歩いたよー!

保科家 三代将軍家光の弟、保科正之。
    松平姓となり葵の紋になる。

松平家 容保京都守護職を任命。 
    ↑このときの写真があるの!ええ男なのぢゃ~たまげた!!!
    戊辰戦争で1ヶ月篭城の後、開城。

とまあ、こんな感じ?


二階はねー江戸時代の会津の様子。

郷土料理の中に田楽があるの。
んと、処刑前の囚人に最後の食事として出したとか。

当時からの絵ろうそくが今も続いてる。
キレイです。
すごく手間がかかってるのね。

文武両道というか
むかしはドコもそうだったのかな???
武士の家の子供が通う学校。
10歳から入るんだって。

その前の子達は『什』と呼ばれる。
小学校みたいなものかな?
おきてがあるの。





見えます?
最後の『ならぬことはならぬのです』
そうよ!って思ったのは私だけ???

日本最古のプール、水練所も会津なんだって。

でねー
お殿様の一日が紹介されてた。

朝は7時起床。

健康診断を毎日。
担当のお医者様がいたんんだねー

髪を結い、ひげをそり、顔を洗い、身支度をして
ご先祖様にご挨拶。

その後朝ごはん。
何人ものお毒見を経て届くご飯はすっかり冷めてるらしい。
でねー贅沢禁止令がでてたらしくて
お殿様も意外と粗食だったみたい。
ただ何かのイベントのときはそれ相応のご馳走だったらしい。

そしてお風呂。
お風呂は朝。
お風呂のお世話をする『側坊主』
身分が違いすぎて口をきくことが許されなかったので
不都合が多かったって。
確かに、お湯が熱くてもぬるくても
ごしごしが痛くても物足りなくても
お殿様はじっと我慢だったらしい。
辛いお立場だったよう^^;

午後は武道の練習。
いつ、戦がおきても大丈夫なように体力維持もかねて?
それとお勉強もしてたみたい。

でー夜は11時ころ寝るんだって。
↑意外と遅いねー

とまあ、こんな感じ。

女の人たちの家事の切り盛りも大変だった時代。
洗濯は手洗い、ご飯も釜で炊き、火も薪。
何もかも手作りで一粒のお米も大事にしたんだろうねー。


会津 お一人様 その2

2007-02-27 07:08:19 | 東北あちこち



天守閣入り口を入るとそこは売店でした^^;

あり?
いきなりですかい???

ネオジャパネスクとか言って漆のお道具がたくさんありました。
お茶入れもモダンな感じ。
お皿や風炉先をかたどったようなオブジェ?とかあったの。
桜の蒔絵とかできれいだった~♪

でー
くるっと振り向くとそこには





どどーーーーーん。

でっかい図体のあかべこ。
首がぶわんぶわん動いてて正直びびりました。
こんなでかいの誰が作りたくなったの???

でーさらにその先には…





彼岸獅子。

あの~こういうの実は苦手です。
人型が駄目駄目ちゃん。

博物館とか行くでしょ?
曲がり角とかでわけも無くざわっとするときがあって
そうするとその先には必ず等身大のお人形さんとかがいたりしる…。





豊作を祈願してのありがた~いモノなのだそうな。

この辺で靴を脱いで奥へ行きます。
ちょっとびくびく。





でねーこんな人がお出迎え。

見える???
平均身長156センチなんだって。
当時の人たちって私くらい?

こんなちっせーのがわらわらいるってすごいよね???
平均てことはもっと小さい人もわらわら~でしょ???
ってコトは外国の人たちって
さぞかしでっかく見上げたもんだろうなーって思った。

あのガリバー旅行記の小人の国って
もしかして日本のことだっらりしる???





お籠です。
持ってみていいんだって。
重いらしい。





弓とやりかなー?

入ってくる途中に『武徳殿』と言うのがあってね
昭和初期に作られたものなんだけど
今もそこでは武道の練習がされてるんだって。
若い子達が白い装束で弓の稽古してた。





こんな風に銃で撃ったんだって。
籠城のときはこうしたんだろうね。





この方は別にがっかりしてるんではなくて
小さな窓から石を落としてるの。
これも籠城での戦い方らしい。

おみやげ物やさんの左側がこんな風になってるの。
でー右側がいよいよ天守閣。

5階まで階段です。

え?
階段ですかぃ???(グロット汗)