blogピュア1st.

Teacupブログより引っ越して来ました。
好きなマンガや、創作マンガについて語ります。

テレビのテロ

2011-08-09 18:48:00 | TV・アニメ
「セシウムさん」は放送事故じゃなくて、映像を使ったテロだと思 います。
風評被害を煽って、日本の食卓を混乱させようとしたのではないで しょうか?

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民間防衛

2011-08-09 16:38:00 | TV・アニメ
ボクらのバックには何の組織もありません。
国民の自然な主張です!歴史的な出来事となるでしょう。

そしてこれは自発的な民間防衛です。


今、日本で起こっている事。これは事件です。
マスコミが沈黙しようとインターネット上にデータが蓄積されてい ます。
そしてわずか数年後には事実が語られます。


8月7日の【お台場デモ】が何故、新聞にもテレビにも取り上げられない?

海外メディアではニュースになっています。
日本のマスコミは生きてますかーーーーーー?????

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8月8日は・・・

2011-08-08 21:55:00 | TV・アニメ
8月8日は、
国民が自発的に偏向、情報操作、ねつ造、洗脳、サブリミナル放送を拒否する日。



仕事で忙しいので今日は詳しい事は書きません。
でも今日という日にせめてこれだけでも書いておきたいと思います。

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文科系の力/パッチギ

2007-05-22 00:49:54 | TV・アニメ
TVでやってた『パッチギ』視たよ。
予想を上回って面白かった。《青春コメディ》かな。
《コメディ》と言ったら語弊があるかもしれないけど、見る前は《在日》の方々の喜びや悲しみを描く、《社会派ドラマ》かと思っていたんですよ。

でも描かれていたのはそういう悲しみのマイノリティではなく、日本という国土に住む、「やんちゃ坊主」たちのドラマで、やんちゃなのは日本人であろうと朝鮮人であろうと、この映画では同じに見えた。

誰でも気になるだろうと思うのが「なんでこのタイミングで在日コリアン映画を?」という事でしょう。・・・どうしても政治的メッセージか反日思想を想像してしまうよね。

先入観はいけないと思い見てみると、上の心配は的外れだったと思う。在日の少年が一人死に、お通夜で長老が主人公(日本人)に怒りをぶつけるシーンもあるにはあるけど、時代設定からすれば自然な流れということになる。
このシーンを除けば、あとは若者のケンカシーンばかりだったかな。言い方を変えると《戦争映画》だと思ったよ。と同時に《娯楽映画》。戦争映画だってやっぱり娯楽映画になりえるでしょう。(もっと判りやすく言えば「ヤクザ映画」)

そういった《勢力争い》が楽しいわけだけども、それは素直な感情であって、逆に「お互いの民族差別」の視点は無かったように思う。個人レベルでは快い交流が描かれていた。・・・クライマックスは“在日朝鮮人と日本人の対決”と“新しい命(日朝の混血児?)の誕生”が同時に描かれる。この時たしか《放送禁止》になった歌『イムジン河』を主人公が強行に歌うシーンがかぶるのだったと思う。
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《悲劇》によって世間に訴える内容ではない。「それでもみんな明るい」という印象で見終えることが出来ましたね。

 この映画が日朝両国の諸問題と、在日の抱える問題を解決する事はないのは確か。しかし評判も良かったと聞くし、“人々が関心を持ってこの映画を観た”という事が大事なのではないかな。

 観た人の中に小さな変化があって、やがてそれが何か大きな変化を生むかもしれない。または生まないかもしれない。・・・文科系の力はそれでいいのだと思います。


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理想の教師像3

2005-09-21 01:02:54 | TV・アニメ
 『女王の教室』最終回の視聴率は、25.3%で今年のドラマで現在最高視聴率だそうです。・・・う~ん最初から視れば良かったなあ~。

***

 イヤミで言うのじゃなくて、最初嫌悪感を示した視聴者が徐々にドラマを受け入れていく、「心理的変化はどうだったのか?」知りたいなあ~。

 とてつもなく過激で理不尽なストーリー進行をしながら、人々を魅了し、最後は納得させる“演出のテクニック”の秘密を知りたい・・・。
強引に理屈をつけて、正当化や美化をしたわけでもないし。
(ただ、【真矢】のセリフは終わり頃、正論に磨きがかかっていたけど)

 クラスがまとまっていき、子供達が先生へ親近感を抱いていく過程もちゃんと見てきた。そこに無理を感じなかったのは何でだろう?
もしこのドラマを分析した本が出たら買ってみたいな。

***

 ボクが学校に通っている頃は、「校内暴力」「非行」「落ちこぼれ」が問題になっていた。「落ちこぼれ」は結局「非行」に走ると理解されていた

 学校ドラマのテーマも、「校内暴力」「非行」「落ちこぼれ」であって、言い方を変えれば“注目されたければ「非行」に走ればいい”という事だったのだ。
 芸能界を見れば一目瞭然。。ツッパリがアイドルだったのもこの時代。もてたければ「昔は俺もワルだったよ~」と言うしね(笑)

 教師から見ても「思い出深い生徒は、元気のいいワルの連中」でしょう。そんなワル=ツッパリから見れば、「自分たちを相手にしてくれる」【金八先生】のような人の良いお調子者の先生を望んでいたであろう・・・

しかし同じ教室には、問題を起こさない、先生の手を煩わせない生徒達もいて、同時に心になんらかの闇を持っていた子供達だっていたのだ。

***

 そしてまた同じ頃。

「先生。おとなしい子ほど、訴えているんです」

というキャッチコピーがあって、ボクはその通りだ!と思った。
それは映画の宣伝コピーだったのか、なんだったのか忘れたが・・・。とにかく共感できた。

 教師は《手のかからない、大人しい子供》にもちゃんと関心を示しただろうか?
《友だちのような先生》は、大人しい子供を救えただろうか?


***

 ボクの分析だが。『女王の教室』の脚本家は、こんな《友だちのような先生》へ、批判を加えているのだろうと、思っている。

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