「蘇れ!淀川の舟運」というイベントで、天満橋から枚方まで
淀川を遡る船に乗ってきた。
このイベントは江戸時代に京都~大坂を結んだ三十石船の現代版。
観光はもとより災害時の交通・輸送手段としての淀川航路を整備しようと
いう取り組みが行われており、沿岸の船着場の建設が順次進められているとのこと。
屋形船の日が満席で予約を取れず、水上バスでのクルーズだったが、
屋根がフルオープンするタイプだったのでよかった。
ガイドは淀川資料館の柗永さん。
さて、OMM裏の大川・天満橋港より出航。

寝屋川・第2寝屋川合流点を過ぎ造幣局の桜を横に見ながら
水面をすべるように進む。エンジン音はほとんどしない。
銀橋(桜宮橋)をくぐる。真横に新しい橋を架けている最中だったが、
出来上がったら古い銀橋はなくなるんだろうか!?

大川航行中はまだ屋根をオープンしてないのでこんなアングルしか。
JR環状線をくぐる。
この北側あたりの東岸には昔、貨物線淀川駅があり水運から鉄道に貨物を積み替えていた。
今はもちろん貨物駅はないが、砂利の山や重機類がおいてあり作業場のようになっている。
大阪万博の工事で使われて以来、淀川産の砂利は細々とながら今も採取され使われているとのこと。
中国産などの砂利も運び込まれ、この沿岸に積まれている。

飛翔橋。新しい橋だがその名前通り羽ばたくような優美な形のアーチ橋。

毛馬橋のたもとには砂利運搬船や浚渫船と思われる質実剛健な船がたくさん停泊しており、
漁港とは一味違った船溜り風景を作っている。

さて、毛馬の閘門。以前に陸側から見たことがあるが、実際に通行するのは初めて。
どんどん水位があがり・・・・・


あっという間にここまで!
大川と淀川本流との水位差は1mもあるらしい。
閘門を抜けて本流に出ると川幅が一気に広くなり、大海原へ漕ぎ出した気分。
下流を見ると、淀川大堰の向こうには鉄道各線や道路の鉄橋が幾重にも重なる。

さあ、ここで屋根をフルオープンにして淀川遡上開始です!
後編へ続く。
淀川を遡る船に乗ってきた。
このイベントは江戸時代に京都~大坂を結んだ三十石船の現代版。
観光はもとより災害時の交通・輸送手段としての淀川航路を整備しようと
いう取り組みが行われており、沿岸の船着場の建設が順次進められているとのこと。
屋形船の日が満席で予約を取れず、水上バスでのクルーズだったが、
屋根がフルオープンするタイプだったのでよかった。
ガイドは淀川資料館の柗永さん。
さて、OMM裏の大川・天満橋港より出航。

寝屋川・第2寝屋川合流点を過ぎ造幣局の桜を横に見ながら
水面をすべるように進む。エンジン音はほとんどしない。
銀橋(桜宮橋)をくぐる。真横に新しい橋を架けている最中だったが、
出来上がったら古い銀橋はなくなるんだろうか!?

大川航行中はまだ屋根をオープンしてないのでこんなアングルしか。
JR環状線をくぐる。
この北側あたりの東岸には昔、貨物線淀川駅があり水運から鉄道に貨物を積み替えていた。
今はもちろん貨物駅はないが、砂利の山や重機類がおいてあり作業場のようになっている。
大阪万博の工事で使われて以来、淀川産の砂利は細々とながら今も採取され使われているとのこと。
中国産などの砂利も運び込まれ、この沿岸に積まれている。

飛翔橋。新しい橋だがその名前通り羽ばたくような優美な形のアーチ橋。

毛馬橋のたもとには砂利運搬船や浚渫船と思われる質実剛健な船がたくさん停泊しており、
漁港とは一味違った船溜り風景を作っている。

さて、毛馬の閘門。以前に陸側から見たことがあるが、実際に通行するのは初めて。
どんどん水位があがり・・・・・


あっという間にここまで!
大川と淀川本流との水位差は1mもあるらしい。
閘門を抜けて本流に出ると川幅が一気に広くなり、大海原へ漕ぎ出した気分。
下流を見ると、淀川大堰の向こうには鉄道各線や道路の鉄橋が幾重にも重なる。

さあ、ここで屋根をフルオープンにして淀川遡上開始です!
後編へ続く。
さて、ここからどのように巡ったんでしょうね。
後編が楽しみです。
毛馬閘門から枚方までというのはなかなかないですよね!毛馬閘門の通行には事前に許可が必要だという話を聞いたので、ここから先は気分的にちょっと敷居が高いのかな?