2019年9月の台湾の続き。
金門島から台北へ戻ってきた翌日は、朝から三峡へ向かう。
前回の金門島旅のあとも三峡へ行き、救生医院の床に敷かれた大量の印花文敷瓦に狂喜乱舞したのだった。
今回再び訪れたのは、そのとき敷瓦を頂いたお礼とともに、その敷瓦を製造地である瀬戸の瀬戸蔵ミュージアムへ寄贈したこと、
台湾から里帰りした敷瓦として実際に展示されたこと、そして貴重な資料として今後そこで大切に保管されること、を歯科医の陳先生に
お伝えしたかったのだ。このときも診療中に抜けて出てきて下さったので、ミュージアムで展示されたときの写真とチラシを
手渡して手早く説明。喜んで下さり、最後に固い握手。あぁ、思いを果たせてよかった。。。
また三峡の老街を歩く。初めて来た2006年のとき大規模修復工事の真っ最中だった三峡老街、そこから十数年の年月を経て、
レンガや石は南国の雨に打たれ苔や微生物がつき、100年前の部分とほとんど見分けがつかないほどにすっかりなじんでいる。
やっぱり、同じ素材を使って同じ技術で修復しているからだな。過去と現在が自然に、継ぎ目なくつながっている・・・
しかし・・・今日はお客が少ないな(汗)。この頃はまだ新型コロナウィルスなんてかげもかたちもなかったんだけど。
ちょっと裏手に回ってみよう。
おや、こんなところにタイルが(笑)。この道はこれまでも何回も歩いたのに気づいていなかったなぁ。
ポツポツと貼られたタイル。建物は現代のものなので、この小屋を建てるときにコレクション品を放出したのだろうか!?(笑)
そしてレンガ壁。平の面を外側に見せた荒っぽい積み方だし、右端の方と積み方が違っているので、補修したのか
または飾りとしてレンガを貼りつけたのだろうか。
「TR」や「S」の刻印が見える。「TR」は台湾煉瓦株式会社、「S」は撒木耳煉瓦會社(Samuel & Samuel Company)が
製造したレンガで、高品質なタイルであった。
いつも気になって見てしまう磚貼り壁の家。湾曲した薄い瓦を中央部で止めつけてある。
こちらの家も同じ仕様だ。何と呼ばれるのか、どういうものなのか、知りたいのだが・・・
味のある民居の外壁が、いい雰囲気の路地を作っている。
この側溝も古くからのものだろうか。歴史がありそうだな。
三峡歴史文物館の近くにあるこちらの建物は、見るからに古い病院っぽいが、「禾乃川」という大豆製品の店が入っていて気になっていた。
稀少な国産大豆を使った豆乳、豆腐、湯葉、そしてスイーツなどが作られ、そこで買ったり食べることもできる。
ここと同じ名前の店が川の近くの路地裏にあったことは前から知っていたので、食べるのはあちらにするとして、
建物の見学がてらお店を覗いてみよう。
湯葉を作っているところをガラス越しに見れるのだが、紙を漉くようにどんどん湯葉が出来上がるのが面白くてじっと見入ってしまう。
この建物はやはり「旧愛鄰医院」という病院だった。建物の説明や昔の写真などがちゃんと展示されている。
愛鄰医院は、日本で学んだ陳重明氏が民國36(1947)年に開業。歯科医の陳先生も親族なのだろうか。
林業や鉱業が盛んだった三峡では危険と隣り合わせであったため、この愛鄰医院が重要な医療センターとして機能し、
また鶯歌なども含めた周辺地域の医療も担ってきた。
工場とカフェになっている道路沿いの建物の背後には、中庭を挟んで、元は病棟だった離れの棟があった。
民國85(1996)年に営業を終えられたあと、表の建物は媽祖寺院が購入(現在の所有や禾乃川との関係は不明)、
裏の建物は陳氏の子孫が所有し老人施設などに使われたが、現在はコミュニティ活動のための貸しスペースとなっているという。
三峡や鶯歌の伝統産業であった「茶」「染」「陶」の文化を再び盛り上げていこうと工芸作家たちが新しいコラボに取り組んだりしているようだ。
中庭から表の建物を見る。特に建築的に優れているというわけではないが、味わいを残しつつおしゃれにリノベーションされ
産業の記憶を伝えると共に新たな文化の発信拠点として使われ賑わっている旧愛鄰医院。
日本でもリノベーションされて使われているまちなかの建物は多いが、建物のたどった歴史や人物のストーリー、
その地域での位置づけまで詳細に解説しているようなところは少ない。見習いたいものだ。
ここを出て路地裏のお店へ向かったのだが、何と、休みなのか、閉めたのか(?)門が閉ざされていた。ショック・・・
それならあそこで食べればよかったなぁ。
続く。
金門島から台北へ戻ってきた翌日は、朝から三峡へ向かう。
前回の金門島旅のあとも三峡へ行き、救生医院の床に敷かれた大量の印花文敷瓦に狂喜乱舞したのだった。
今回再び訪れたのは、そのとき敷瓦を頂いたお礼とともに、その敷瓦を製造地である瀬戸の瀬戸蔵ミュージアムへ寄贈したこと、
台湾から里帰りした敷瓦として実際に展示されたこと、そして貴重な資料として今後そこで大切に保管されること、を歯科医の陳先生に
お伝えしたかったのだ。このときも診療中に抜けて出てきて下さったので、ミュージアムで展示されたときの写真とチラシを
手渡して手早く説明。喜んで下さり、最後に固い握手。あぁ、思いを果たせてよかった。。。
また三峡の老街を歩く。初めて来た2006年のとき大規模修復工事の真っ最中だった三峡老街、そこから十数年の年月を経て、
レンガや石は南国の雨に打たれ苔や微生物がつき、100年前の部分とほとんど見分けがつかないほどにすっかりなじんでいる。
やっぱり、同じ素材を使って同じ技術で修復しているからだな。過去と現在が自然に、継ぎ目なくつながっている・・・
しかし・・・今日はお客が少ないな(汗)。この頃はまだ新型コロナウィルスなんてかげもかたちもなかったんだけど。
ちょっと裏手に回ってみよう。
おや、こんなところにタイルが(笑)。この道はこれまでも何回も歩いたのに気づいていなかったなぁ。
ポツポツと貼られたタイル。建物は現代のものなので、この小屋を建てるときにコレクション品を放出したのだろうか!?(笑)
そしてレンガ壁。平の面を外側に見せた荒っぽい積み方だし、右端の方と積み方が違っているので、補修したのか
または飾りとしてレンガを貼りつけたのだろうか。
「TR」や「S」の刻印が見える。「TR」は台湾煉瓦株式会社、「S」は撒木耳煉瓦會社(Samuel & Samuel Company)が
製造したレンガで、高品質なタイルであった。
いつも気になって見てしまう磚貼り壁の家。湾曲した薄い瓦を中央部で止めつけてある。
こちらの家も同じ仕様だ。何と呼ばれるのか、どういうものなのか、知りたいのだが・・・
味のある民居の外壁が、いい雰囲気の路地を作っている。
この側溝も古くからのものだろうか。歴史がありそうだな。
三峡歴史文物館の近くにあるこちらの建物は、見るからに古い病院っぽいが、「禾乃川」という大豆製品の店が入っていて気になっていた。
稀少な国産大豆を使った豆乳、豆腐、湯葉、そしてスイーツなどが作られ、そこで買ったり食べることもできる。
ここと同じ名前の店が川の近くの路地裏にあったことは前から知っていたので、食べるのはあちらにするとして、
建物の見学がてらお店を覗いてみよう。
湯葉を作っているところをガラス越しに見れるのだが、紙を漉くようにどんどん湯葉が出来上がるのが面白くてじっと見入ってしまう。
この建物はやはり「旧愛鄰医院」という病院だった。建物の説明や昔の写真などがちゃんと展示されている。
愛鄰医院は、日本で学んだ陳重明氏が民國36(1947)年に開業。歯科医の陳先生も親族なのだろうか。
林業や鉱業が盛んだった三峡では危険と隣り合わせであったため、この愛鄰医院が重要な医療センターとして機能し、
また鶯歌なども含めた周辺地域の医療も担ってきた。
工場とカフェになっている道路沿いの建物の背後には、中庭を挟んで、元は病棟だった離れの棟があった。
民國85(1996)年に営業を終えられたあと、表の建物は媽祖寺院が購入(現在の所有や禾乃川との関係は不明)、
裏の建物は陳氏の子孫が所有し老人施設などに使われたが、現在はコミュニティ活動のための貸しスペースとなっているという。
三峡や鶯歌の伝統産業であった「茶」「染」「陶」の文化を再び盛り上げていこうと工芸作家たちが新しいコラボに取り組んだりしているようだ。
中庭から表の建物を見る。特に建築的に優れているというわけではないが、味わいを残しつつおしゃれにリノベーションされ
産業の記憶を伝えると共に新たな文化の発信拠点として使われ賑わっている旧愛鄰医院。
日本でもリノベーションされて使われているまちなかの建物は多いが、建物のたどった歴史や人物のストーリー、
その地域での位置づけまで詳細に解説しているようなところは少ない。見習いたいものだ。
ここを出て路地裏のお店へ向かったのだが、何と、休みなのか、閉めたのか(?)門が閉ざされていた。ショック・・・
それならあそこで食べればよかったなぁ。
続く。
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