船町から少し戻るが、鶴町をチャリでふらふらうろついていたときに
歩道を植物がトンネル状に覆っているこんな風景に出会って、
アジアの田舎の風景みたいだな~と立ち止まったら・・・・
2階の袖壁にライオンの顔がついていた!
ロンバルディアバンドをひっくり返したみたいな装飾も変わっている。
反対側にも同じものがついている。
2階は壁・戸袋、箱軒も銅板張り、樋も銅製と豪華。
1階の玄関部分の軒うらに、こんな装飾もあった。
この建物の横の路地の奥に裏長屋があったので、大家さんのお宅だろう。
大正区は江戸時代以降に新田開発された土地が多く、この鶴町は大正3年に
造成が完成したという。近代工業の発展とともに地盤沈下が進行し、
台風により度々甚大な被害を被ってきた。それで大阪市により、昭和22年から
大正区南部全域を3~4m盛土するという大事業が行われた。
このような歴史がある場所なので、この建物はそれ以降の築であることは間違いない。
歩道を植物がトンネル状に覆っているこんな風景に出会って、
アジアの田舎の風景みたいだな~と立ち止まったら・・・・
2階の袖壁にライオンの顔がついていた!
ロンバルディアバンドをひっくり返したみたいな装飾も変わっている。
反対側にも同じものがついている。
2階は壁・戸袋、箱軒も銅板張り、樋も銅製と豪華。
1階の玄関部分の軒うらに、こんな装飾もあった。
この建物の横の路地の奥に裏長屋があったので、大家さんのお宅だろう。
大正区は江戸時代以降に新田開発された土地が多く、この鶴町は大正3年に
造成が完成したという。近代工業の発展とともに地盤沈下が進行し、
台風により度々甚大な被害を被ってきた。それで大阪市により、昭和22年から
大正区南部全域を3~4m盛土するという大事業が行われた。
このような歴史がある場所なので、この建物はそれ以降の築であることは間違いない。
こういうところに気づくかどうかで”まち歩きの達人”かどうかが決まるみたいですね。
戦前の建物かと思うようなこういう家を見つけたのは
とても意外な感じがしました。
ひろさんが歩かれても絶対見つけてますって!
まち歩きに予断は禁物ですね。
よそでもそんなに凝った家はあまり見ない気がします。
大正区の北の方はいずれ歩いてみようと思っていたのですが、南も無視できないなと思いました。
知らないだけなんですね。
大正区、河川や湾岸沿いには結構凝った民家があります。
東洋のマンチェスターと呼ばれた時代、河川沿いが一番の大通り、メインだったので、その界隈に大きな家や凝った建築が集まったようです。
あと新田開発のご子孫が暮らす界隈も、うだつのある日本家屋が結構残っていたりしますし、
レトロな長屋やいわゆる文化住宅も多くあって、まちあるきのひそかな楽しみになっていますよ~^^
ははぁ、新田開発のご子孫、なるほどですね。
三軒家や泉尾あたりには立派なお宅がありますね。
しかし、本文に書いているように盛土をした後に作られた
ものにしては古いですよね。。。(汗)
盛土をするときにはかさ上げし終わった土地に
元の建物を曳き家して持っていったりしたようですが
こんな家でも曳き家したのか・・・それとも、
ここは盛り土していない場所なのか??・・・謎
先日初めてこのお宅を知りました。
ネットで調べた所この記事にたどり着きました。7年もたつと風景が変わるのだなあと実感させていただきました。
リンクURLからご覧いただければ幸いです。
リンクありがとうございます。
現在の写真見ました!木陰はなくなってしまったんですねぇ~
すっきりしたような、寂しくなったような。。。
ああいう空間が存在する大らかさがよかったんですけどね~