まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

川跡の碑

2007-12-09 02:29:14 | 川・橋・船
難波パークスの前に、この難波新川跡の碑が建っているのに
初めて気づきました。
かなりくたびれているので、大阪球場が再開発される前から
どこかに建てられていたものでしょうが、前は知りませんでした。
今はこんな目立つ場所に建てられ面目躍如でしょう。
横には教育委員会による説明板もありました。


今パークスになっている場所には、享保18年(1733)に
難波御蔵と呼ばれる幕府の米蔵が造られ、寛政3年(1791)に
高津御蔵を合併、十数棟もの蔵が並んでいたそうな。
米を道頓堀から運び入れるために難波新川が開削されたのです。
明治になって御蔵は廃止され、新川も昭和33年(1958)頃から
埋められたとあります。

川跡の名残はもう道頓堀からの分岐点ぐらいしか見られませんが、
バス乗り場になっている辺りも、その裏側感によって廃川跡の
雰囲気が何となく感じられますね。
そして高島屋の西側には、「551蓬莱新川店」があるんです!
昭和56年くらいまでは川の西側一帯が新川という地名だったのです。
もう地図上からは消えて久しいですが、こんなところに見つけると
うれしくなりますね。(※この写真は数年前に撮ったもの)


パークスに服を買いに来る若者も、ウィンズに馬券を買いにくる
おっちゃんも、新川跡の碑にちょっと目を留めてみましょ。

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7 コメント

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難波新川 (マユ35)
2007-12-09 09:11:22
阪神高速が真上に通っているので、かつての川筋を巡るのは容易ですね。途中には木津川市場もあり、水運にも使われていたのではと察しがつきます。蓬莱新川店の所は「天満堀川」と同じような雰囲気があります。難波元町付近は新川を挟んで、大阪市電唯一の複々線区間があったのも興味深いです。高津入堀川に名前を変えるのはどの辺りなのでしょうね。
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おもいでいっぱい (のじょー)
2007-12-09 10:59:12
旧南海ホークスファンとしては、涙なしに見れないなんばパークス。

ホークスの試合見に通いつめた時も、この碑には全く気がつかず、横を川が流れてたことがったということも後で知りました。

ここにばっちり写ってますね、難波新川。
No.17 大阪球場(大阪市) : いまむかし写真物語 : 関西発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://osaka.yomiuri.co.jp/55/20070925ka0b.htm

船に乗ってホークスの試合観戦。やってみたかったな。

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ここで、 (機械修理屋さん)
2007-12-11 08:49:11
ランチを食べた事有り!
花王でお仕事、しました。
フェリー乗り場をもう少し先へ行くと、和歌山県警のヘリポートがあります。(ただの空き地なんですが)

足を伸ばしますね、体調は大丈夫なんでしょうか?
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新川は (ぷにょ)
2007-12-11 22:19:42
たぶん南北方向の部分まででしょう。高津入堀も同じく。両者をつなぐ東西方向の部分は、いたち川という自然河川を利用したものでは・・・?(うろ覚え)
ちょっと調べときます
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船で (ぷにょ)
2007-12-11 22:26:37
球場に乗りつける・・・乙ですなぁ~
球場のスタンドの下まで入堀を作ってあって・・・
勝ったら選手は船に乗って凱旋・・いや~おもしろそう!
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訂正 (ぷにょ)
2007-12-12 22:32:36
自分のコメントへの訂正です。。。
いたち川は自然河川ではないようです。
また、いたち川は難波新川以西の名称で、件の東西部分は違うようです。
スミマセン。
続けて調べときます。
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機械修理屋さんの (ぷにょ)
2007-12-12 22:37:57
コメントは多分和歌山の記事へのコメントと思われるので、そちらへ移そうと思ったのですがわからず・・・

電車からヘリへも乗り継ぎ可なら楽しいですね~

遠くと言ってもほとんど電車ですから・・・
ほんとはもっと歩きたいのをぐっとこらえてます(笑)
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