2019年夏の新潟の続き。
椿寿荘のあと北方文化博物館を再訪する予定だったが、旧笹川家住宅が祝日明けの火曜日が定休と気づき急遽差し替え。
笹川家は、安土桃山時代にこの地に移り住んでから14代300年以上も続いた名家で、江戸時代には代々大庄屋を務めた。
大庄屋制は徳川封建下の制度であり、地方郷士が大庄屋に任命され、村々の庄屋の統括、年貢の収納、命令の伝達を行い、
治安警察・裁判権を与えられた。笹川家は味方組8ヶ村、計8千石をとりまとめ、新田開発を進め、地域の発展を主導した。

笹川家の住宅であったこの建物は、笹川氏がこの地を離れた1970(昭和45)年に村が買い上げ、村の管理となった。
茅葺き屋根のついた表門は天正年間(1573~1591)年の築造と推定、母屋は1819(文政2)年の火災で
全焼したあとに再建されたものという。

門をくぐると、3つある母屋の玄関に向かって、通路がまっすぐ伸びている。
表側から見るとそれほど大きくは見えないのだが・・・実はすごく奥行があって広大な建物なのだ!
表門と建物、塀は重要文化財に指定されている。


右端の入口から入った吹き抜けの土間は通り抜けておらず行き止まっていて、下男部屋や石敷きの洗い場(?)
などが附属する。

下男部屋。

土間に面して板張りの寄付、寄付きの間、囲炉裏の間が並ぶ造りは渡邉邸と似て、完全に農家のイメージ。

大きいだけで大作りなのかなという印象を受けたのだが・・・寄付の間から繋がる広間、三の間、次の間、
と順に見ていくとその印象は覆される。

こちらは28畳敷きの広間。帳場や住居部分への廊下にもつながり、建物内の結節点となるメインホールである。

めちゃくちゃ天井が高い!4mぐらいあるだろうか。梁も太い!!庄屋たちの集まりに使われていたとか。

そして主玄関から上がった正面の三の間。床の間の内側、襖に派手な壁紙が貼られているのも渡邉邸と似ている。
しかしこちらの方がひときわインパクトが強いな!

爽やかな青色で遠目には星がきらめくようにも見えるこの壁紙は、近づいて見ると四角を組み合わせた柄で、
さらによく見ると細かい卍型の地模様が浮き出ている。ブルーは落ち着いたスモーキーブルー。
とてもクールでモダンに見えるこの模様は、実は「米」の文字をデザイン化したものなのだとか!ええっ本当に?
庄屋だけに!?(笑)。そのセンス、好き~~~

型板が残っていたらしく、復刻された唐紙も使われていた。

主玄関と三の間との間には踏み込みの間を兼ねた1間分の畳廊下があるが、格式高い欄間となっている。

こちら次の間(二の間)。ここで続き間はL字型に折れ、この奥に上段の間がある。

次の間の欄間も「米」デザイン。

上段の間との間の欄間は瓢箪型をくり抜いた面白いデザイン。瓢箪は水の入れ物であり、米と水というこの地域に
大切なものを主題としているのだという。なるほど。


畳廊下は主玄関から上段の間の先の上湯殿までぐるっと回っている。

上段の間の壁紙は大人しいものだが、よく見ると2羽の鶴がデザインされた「二羽鶴」の柄。


この二羽鶴は釘隠しにも使われている。

床脇の天袋の襖の引き手にも!

書院の欄間が面白いな。細い竹で作られた格子が、月を象って丸くくり抜かれている。

湯殿の隣の男性用小便所。

続く。
椿寿荘のあと北方文化博物館を再訪する予定だったが、旧笹川家住宅が祝日明けの火曜日が定休と気づき急遽差し替え。
笹川家は、安土桃山時代にこの地に移り住んでから14代300年以上も続いた名家で、江戸時代には代々大庄屋を務めた。
大庄屋制は徳川封建下の制度であり、地方郷士が大庄屋に任命され、村々の庄屋の統括、年貢の収納、命令の伝達を行い、
治安警察・裁判権を与えられた。笹川家は味方組8ヶ村、計8千石をとりまとめ、新田開発を進め、地域の発展を主導した。

笹川家の住宅であったこの建物は、笹川氏がこの地を離れた1970(昭和45)年に村が買い上げ、村の管理となった。
茅葺き屋根のついた表門は天正年間(1573~1591)年の築造と推定、母屋は1819(文政2)年の火災で
全焼したあとに再建されたものという。

門をくぐると、3つある母屋の玄関に向かって、通路がまっすぐ伸びている。
表側から見るとそれほど大きくは見えないのだが・・・実はすごく奥行があって広大な建物なのだ!
表門と建物、塀は重要文化財に指定されている。


右端の入口から入った吹き抜けの土間は通り抜けておらず行き止まっていて、下男部屋や石敷きの洗い場(?)
などが附属する。

下男部屋。

土間に面して板張りの寄付、寄付きの間、囲炉裏の間が並ぶ造りは渡邉邸と似て、完全に農家のイメージ。

大きいだけで大作りなのかなという印象を受けたのだが・・・寄付の間から繋がる広間、三の間、次の間、
と順に見ていくとその印象は覆される。

こちらは28畳敷きの広間。帳場や住居部分への廊下にもつながり、建物内の結節点となるメインホールである。

めちゃくちゃ天井が高い!4mぐらいあるだろうか。梁も太い!!庄屋たちの集まりに使われていたとか。

そして主玄関から上がった正面の三の間。床の間の内側、襖に派手な壁紙が貼られているのも渡邉邸と似ている。
しかしこちらの方がひときわインパクトが強いな!

爽やかな青色で遠目には星がきらめくようにも見えるこの壁紙は、近づいて見ると四角を組み合わせた柄で、
さらによく見ると細かい卍型の地模様が浮き出ている。ブルーは落ち着いたスモーキーブルー。
とてもクールでモダンに見えるこの模様は、実は「米」の文字をデザイン化したものなのだとか!ええっ本当に?
庄屋だけに!?(笑)。そのセンス、好き~~~

型板が残っていたらしく、復刻された唐紙も使われていた。

主玄関と三の間との間には踏み込みの間を兼ねた1間分の畳廊下があるが、格式高い欄間となっている。

こちら次の間(二の間)。ここで続き間はL字型に折れ、この奥に上段の間がある。

次の間の欄間も「米」デザイン。

上段の間との間の欄間は瓢箪型をくり抜いた面白いデザイン。瓢箪は水の入れ物であり、米と水というこの地域に
大切なものを主題としているのだという。なるほど。


畳廊下は主玄関から上段の間の先の上湯殿までぐるっと回っている。

上段の間の壁紙は大人しいものだが、よく見ると2羽の鶴がデザインされた「二羽鶴」の柄。


この二羽鶴は釘隠しにも使われている。

床脇の天袋の襖の引き手にも!

書院の欄間が面白いな。細い竹で作られた格子が、月を象って丸くくり抜かれている。

湯殿の隣の男性用小便所。

続く。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます