星の上の馬鹿者

これは放浪記です。いろんなところに行っています。

ネガティブから逃れた花火

2022-09-24 23:16:59 | 日記

9月24日

気持ちの面では、いまだに未熟というか、心に荒んだカビのようなものがこびりついているような気がして、スッキリすることも少ないこの頃です。忘れていたと思っていた過去の出来事とかの思い出が、今さらになって掘り起こされたりなんかして、なんの前触れもなく苛立ちが横切る瞬間もあるというおっかなさで毎日を過ごしています。そんな自分が、心を洗い流すかのように、ここ与論島でのリゾートバイトを始めたのですが、早いものでして、その生活も2週間が経ちました。本当に早いものです。

与論島の生活は、いまだに慣れていないことが多く、田舎特有の容赦のない夜の静けさや、いまだに馴染みきることのできない職場での人見知りな自分などが、現在の課題のようです。それに少しだけの焦りとか不安などもまたつきものでして、それは夜の静けさに浮き彫りになってなお、自分は正面から向き合わなければいけないという微妙な惨さがあるのでした。

ビールを一缶飲み干して、ほろ酔い気分で外に出ました。そうでもしないとネガティブ思考の悪魔からは逃げおおせないと判断した上での行動だったのですが、ここは大阪でも佐世保でもありません。ホテルから一歩でも外を出たら街灯ひとつない常闇の与論島です。昼間の温暖なサトウキビ畑が広がるこの離島でも、太陽が沈めば、そこには本能的な恐怖を駆り立てられる闇の世界が広がるのです。そして、ホテルの敷地内から出ないようにしようとしたところで、海の方面はどこまでが浜で、どこからが海面なのかもわからないほどに暗く、レストランの方面も、ペンションのエリアも、最低限の明かりが灯る程度でした。

それでも構わないと、自分はワイヤレスイヤホンで音楽を聴きながら練り歩こうとした次第でした。the pillowsの「1989」を聴きながら野外プールの方面を歩いていると、意外にも人が何人かいることがわかりました。そういえば、夜の9時ごろに外に出ることはあまりなかったので、勝手に人が少ないものだと思い込んでいたのですが、この暗がりの中でも人は従業員や宿泊客に限らずいるみたいです。そんな人たちを尻目に歩いていると、レストラン横の階段にはたくさんの人たちが座っているのが確認できました。たくさんといっても十人もいないくらいでしたが、この時間帯にあまり見るものではありません。そして野外に設置されているいくつかのテーブルと椅子は、宿泊にきた家族等で満席の状態となっており、そしてその横ではレストランのホールの制服を着た従業員が数人立ち話をしています。要はたくさんの人たちが外に出ているのでした。

その状況に気づいたのと同時に、今日はホテルで花火が上がることを思い出しました。あろうことか、ネガティブな精神から逃れるためにとった行動が、偶然にも花火の上がる数分前に外に出てしまうという、面白いくらいの偶然を呼び起こしてしまったのです。そうか、花火が上がるのかと、そう気づいて、どこに座ろうかと場所を目論んでいるその瞬間、背後で轟音が鳴り響きました。思わず肩をすくめて、振り返ると眼前に巨大な花火が打ち上がり始めたのです。

花火はすぐそばの海岸あたりから射出されているようで、あまりの至近距離に少しだけ恐怖を感じました。迫力のある花火というものが、花火のそもそもの醍醐味かもしれませんが、気持ちの落ちがちな自分には、線香花火ほどの儚さが恋しくなるのでした。

それでもビーチでみる花火はとても綺麗で、切なくもなりました。自分の内面深くにある不安なども少しだけ緩和されたようでした。花火は5分ほどで終わりましたが、それくらいで十分でした。あの至近距離の迫力で30分もされると疲れてしまうでしょう。

夏がいまだに終わりません。やり残していることはないでしょうか。

 


終わらない疑問

2022-09-21 23:06:38 | 日記

9月21日

疲れることから脱するかのようにこれを書きます。

というもの、じっとしているとかえって自分の疲労をただ見つめているかのようでして、ずんと体が重くなるような気がします。そして過去に失ってしまったこととか、間違えたような道のりとか、悔やみきれない後悔などの方面に思考がつながっていき、結局ネガティブな自分がそこにあるだけとなるのです。

そんな無意義とはとりあえずお別れをしておきたい。基本的にはネガティブの思考がつきもののの自分には、いくら別れを告げたとて断ち切ることは不可能なその思考ですが、自分にとって、生きることとは、死なないようにすること、死の方面に向かいがちな精神を、常に聖人の道へと修正してやることに過ぎないのです。

つまりは呼吸と同じなのです。瞬きと同じなのです。日常生活では、ほとんどがそれによって支配されているのですが、それがもはや当たり前になってきていて、それに疑問を抱く余裕すらない。自分は常に死との格闘を人生の道筋にある当然の課題として見做してきた。その課題はそれこそ死ぬまでなくなるものでもありません。永遠に問い続けるのです。死という疑問の答えを探すのです。探すことそのものが、まるで生きることそのものであるかのように。そしてそのこ答えを見つけることも、探すのを諦めることもできはしません。ただ続けることを強いられているのです。それは私には感知し得ない存在から与えられた試練のように感じることもあります。なぜ人は真面目に生きなければならないのか、その答えに、まるで一歩近づくかのように。

頭がおかしくなりそうなのでこの辺で寝ましょう。お休み与論島。


愚かであることを求めて

2022-09-20 23:03:46 | 日記

9月20日

人生は馬鹿なことの繰り返しでしかなく、そうやっていつも僻んでばかりいることすらもすでに飽き飽きしています。とか言いつつも、やっぱり人生捨てたものじゃないと気付かされるターニングポイントの数多にも、何かしらの意味合いを悟るしかないのです。虚しいのは、自分が自分を出し切っていないからでしょうか。それとももうすでに人との繋がりを不信にして生きているからでしょうか。優しさなんて、いくらもらっても自分では価値のあるものにすることができない。どんな類の優しさにも、厳しさにも、それなりに受け手としての利口な相槌を打つまでのことで、それ以上も以下でもないのです。人は心地よい距離感を、常に相手に求めて、そして自分はその距離感を測るのが妙に上手かったりします。相手がこれ以上来なければ、自分はそれを追うことをやめて、相手が強く自分を求めてきたとしても、それいう以上の笑顔を見せることはない。ハウステンボスで働いていた時、アルバイトの女子高生が、私に恋人がいないことについて想定外といった面持ちで驚きを見せてくれましたが、私に恋人がいないのはある種当然のことです。私はその距離感を決して見間違うことはない。最も無害なる存在として、相手の懐の一歩手前でゆとりある優しさを施すのでありますから、それ以上の関係性は見込めないのです。

ああ、なんという愚かな自分でしょうか。愚かでないことが、何よりの愚かなのです。孤独感は自分から望んだ訳では決してないはずです。それでも自分には孤独が付き纏います。自分があまりにも利口なる生き方を目指してしまったせいで、不足を自分で認めることのないせいで。

恋愛なんて至上に難しいものなのです。どうして人は一人で生きていくことに困難を感じるのでしょうか。どうして誰かの愛がないと、人は苦しむのでしょうか。この世に愛がなければ、そんなものがなくてもいいのであれば、自分はこれ以上なほどに容易く生きて見せるのですが、それは人として頑なな不変のもののようです。

おかげでいつも不足に悩まされる毎日です。そんな毎日を、毎日のように呪い、1日が終わる頃には、どうにか乗り越えられた安堵するのです。これって人生でしょうか。私は私の人生を生きているのでしょうか。誰かの愛をいつも求めるのが、どうしてこうも大切なのでしょうか。私は私自身に疑問を呈します。それを答えていくのも私の役割です。


過去からの悪魔

2022-09-19 23:06:19 | 日記

9月19日

 

台風は、私の住んでいる与論島を尻目に進んでいき、ついには本州の方へとその巨大な渦を上陸させた模様です。

しかしここ与論島では、その台風の尻切れのような風がいまだに吹いており、ビーチは閉鎖されたままです。空は晴れているのにも関わらず、しつこい台風の気候は終わらないままとなっております。それでも、雨の中でびしょ濡れになりながらの仕事はもう勘弁なので、風が強いくらいならば大したものもありません。

今日はホテルの施設内のゴミ拾いなどをしていました。ホテルはたくさんのペンションやレストラン、プールなどがある広々としたものです。台風が去った今、たくさんのゴミがそこら中に散らばっており、それら全てを片付けるというわけにはいきませんが、ある程度は箒で落ち葉なんかを集めたり、倒れた小木をノコギリで細かくしてやったりという作業をしていたのでした。

のどかなビーチの見えるホテルで、島ののんびりとした気候は、仕事をしているのにも関わらず、嫌な緊張感は一切なく、同僚の人たちと世間話でもしながら作業をしていました。日差しの照り返しが秋を感じさせないほどに強く、夏の色が強い与論島ですが、そんな暑さも不思議と不愉快なものではなかったりします。

ヒートアイランドと化した大阪などのアスファルトから感じる熱気とか、京都の盆地ならではの蒸し暑さと比べたら、与論島はカラッとした空気に汗もそう滴ることもなく、日陰にいくとすぐに涼むことができます。

ここは何もない島だと、住人の方達はこぞってそんなことを言います。それは確かに事実としてあるかもしれません。時には住み慣れた京都や大阪などが恋しいような気持ちにもなります。以前働いた米子や佐世保などの便利な田舎の住み心地を求めたくもなります。旅行で行った札幌の涼しさや食べ物や、那覇のガヤガヤとした南国の賑わいが欲しくもなるわけです。

それでも、ここは与論島です。何を求めようが、何を恋しがろうが、与論島なのです。そしてここに来ると決めたのは、他の誰でもなく、自分自身です。

もちろんその選択が間違っていたなんて思いません。しかし人なんて愚かですし、その愚かの類に自分も当然ながら含まれているわけでして、自分はたまに発生するような悪魔が、囁きを声窄めて耳元に語りかけることもあるのです。

その囁きはいわゆる、ないものねだりというものです。この島にないものを、過去の幻影から前例を抽出して、他のところへの憧憬を大きなものにするのです。

そんな悪魔は、いつ何時現れるかもわからないものですが、大抵はないものねだりの連続でしかなく、よく俯瞰してその気持ちを見つめると、いたって大したものではなかったりします。しばらくするとその悪魔も声をフェードアウトしていき、ついには消えていくのです。

しかしこれは一時の安心でしかありません。人として愚かでなくして生きていくのは至難です。ゆえに自分はこれからもその悪魔を、潜在された本能の部分が氷山の一角のように突き出るその時に、幻として認知するのかもしれません。

 

私はこの与論島生活で、何度その悪魔と対峙しなければならないのでしょうか。

 


与論と台風

2022-09-17 23:15:42 | 日記

9月17日

 

台風14号は日本列島に近づき、勢力は台風の中でもかなりのものとなっております。

ここ与論島では朝から強風に見舞われて、私の住んでいるホテルの施設内では、椰子の木がへし折れそうな程になびき、海はヨロンブルーの鮮やかさを保ってもなお、飛沫をあげて荒れ狂っていました。そんな悪天候の中で仕事をすることになったのですが、これがまあ大変なものとなりました。

基本的に私の業務は客室清掃となるのですが、こちらのホテルは部屋が一つ一つ独立したペンションの形となっており、さらには事務所や、業務をするにあたっての道具類などを管理をしている建物などが、それぞれ独立しているものとなっております。なので仕事をしてると、自然と屋外に出ることが多くなります。そこら辺が都会のビジネスホテルとは違うところでしょうか。

現在の、屋外がベースとなる業務の形は、以前ハウステンボスのホテルで働いていた時も同じものでしたし、その時の経験もあって、こちらに赴任した時点で、ある程度の悪天候は覚悟していたつもりでしたが、この現場では想像以上に外に出ることが多いです。

なので晴れの日は南国の日照りに肌を小麦色に焦がされ、雨の日はサッカーの試合のように全身ずぶ濡れになるのでした。加えて、今日のような台風は傘をさすのも難しく、仕事が終わった時は、体から雫が滴り落ちてどうしようもありませんでした。

それでもまあなんとかして仕事を終えたのですが、今回の台風は明日の昼ごろまで与論島を抜けることはなく、この文章を書いている23時現在、屋外に出るのは不可能な程に外は荒れています。

雨戸を完全に閉め切っているのにも関わらず、部屋の電灯や窓は揺れ動き、隙間風はビュービューと不気味な高音を響かせ、大気中に舞う風の轟音や木々の揺れる音がこちらにまで聞こえてくるのです。

自室の寮は元々客室として使われていた少し古めのペンションをあてがわれているのですが、今のこの部屋にいるのは私一人です。しかしペンション自体は2階建となっており、ベッドも合計で6つもあるという、一人にしては広すぎる空間を贅沢にも独り占めしてることになります。

このペンションの中で、外は轟音が響き渡るのをただ耳にしているだけの夜の時間、少しの不安も湧いてくるような心地です。

明日は休みなのですが、もはや家にいるしかない模様です。もったいないですが、仕方ない。