星の上の馬鹿者

これは放浪記です。いろんなところに行っています。

愚かであることを求めて

2022-09-20 23:03:46 | 日記

9月20日

人生は馬鹿なことの繰り返しでしかなく、そうやっていつも僻んでばかりいることすらもすでに飽き飽きしています。とか言いつつも、やっぱり人生捨てたものじゃないと気付かされるターニングポイントの数多にも、何かしらの意味合いを悟るしかないのです。虚しいのは、自分が自分を出し切っていないからでしょうか。それとももうすでに人との繋がりを不信にして生きているからでしょうか。優しさなんて、いくらもらっても自分では価値のあるものにすることができない。どんな類の優しさにも、厳しさにも、それなりに受け手としての利口な相槌を打つまでのことで、それ以上も以下でもないのです。人は心地よい距離感を、常に相手に求めて、そして自分はその距離感を測るのが妙に上手かったりします。相手がこれ以上来なければ、自分はそれを追うことをやめて、相手が強く自分を求めてきたとしても、それいう以上の笑顔を見せることはない。ハウステンボスで働いていた時、アルバイトの女子高生が、私に恋人がいないことについて想定外といった面持ちで驚きを見せてくれましたが、私に恋人がいないのはある種当然のことです。私はその距離感を決して見間違うことはない。最も無害なる存在として、相手の懐の一歩手前でゆとりある優しさを施すのでありますから、それ以上の関係性は見込めないのです。

ああ、なんという愚かな自分でしょうか。愚かでないことが、何よりの愚かなのです。孤独感は自分から望んだ訳では決してないはずです。それでも自分には孤独が付き纏います。自分があまりにも利口なる生き方を目指してしまったせいで、不足を自分で認めることのないせいで。

恋愛なんて至上に難しいものなのです。どうして人は一人で生きていくことに困難を感じるのでしょうか。どうして誰かの愛がないと、人は苦しむのでしょうか。この世に愛がなければ、そんなものがなくてもいいのであれば、自分はこれ以上なほどに容易く生きて見せるのですが、それは人として頑なな不変のもののようです。

おかげでいつも不足に悩まされる毎日です。そんな毎日を、毎日のように呪い、1日が終わる頃には、どうにか乗り越えられた安堵するのです。これって人生でしょうか。私は私の人生を生きているのでしょうか。誰かの愛をいつも求めるのが、どうしてこうも大切なのでしょうか。私は私自身に疑問を呈します。それを答えていくのも私の役割です。