星の上の馬鹿者

これは放浪記です。いろんなところに行っています。

対峙すること

2022-09-25 22:55:35 | 日記

9月25日

今日は自分の住んでいる寮に、新しく入寮してくる人が来ます。そのことを前もって知らされていた自分は、普段のだらけなさを全開にしたようなリビングを片付けることに追われ、皮肉にも気持ちの方はそれでスッキリするのでした。

寮といっても、自分たち住み込みのアルバイトの者には、昔使われていたペンションがあてがわれます。少し古びた建物であることは否めないのですが、そんなことを差し引いたとしても、十分に贅沢と言える広さになります。ベッドルームは3室あり、最大で6人を収容できるペンションです。バス、トイレは別となっており、リビングはそれなりに広々として、テレビを見ながらソファで寛ぐことも可能です。

そんな部屋に、およそ2週間もの間、自分は一人きりで住んでいました。他のアルバイトの人たちは少なくとも2人で住んでいたのにも関わらず、入寮したタイミングが良かったのか、自分は一人きりのままでした。贅沢ではありますが、別に友達もいない与論島での生活において、無駄に広すぎる部屋をあてがわれても、宝の持ち腐れに過ぎることはなかったりします。荷物だってキャリーバッグに詰め込んだ分以上のものはないし、普段はテレビを見ることも稀だったりもするので、リビングにいようが寝室にいようがさほどの違いはありません。実際この寮に来て、本当にありがたいのはユニットバスだったことくらいでして、あとは逆にハウステンボスでのワンルームが恋しいなどと思ったりするレベルなのです。あの巨大な赤茶けたハウステンボスの寮。ハウステンボスの、といっても、サラリーマン風の人とか、大学生とか、日本語学校に通っているアジア人とかが住んでおり、そんないろいろな人たちで雑多となったあの寮が自分的には良いと思えたりもしたものです。

その気持ちとはなんでしょうか、寂しさがうまく紛らうようなものでしょうか。このカオスとした社会の中で、自分もまたカオスの一部分としてあることが表面化されているような、そんな形が心地よかったりするのです。寂しがり屋のくせに、人に深く干渉されるのを煙たがる自分に、うまくマッチングしている環境と言えるでしょう。小さい頃から閑静な住宅街の雰囲気があまり好みではありませんでした。父の実家に遊びに行って、親戚一同でワイワイしている間はいいのですが、みんなが帰ってしまい、閑散としてしまった後の、あの丹後の夜の暗闇とかが、妙に寂しさをカラカラと鳴らしていくようで、幼少の自分はひどく壊れやすい心象をもっていたことがわかります。大人になったからといって、寂しさというものはいまだにちゃんとあり、あの頃の自分と違うのは、その寂しさに食い殺されないようにする術を身に付けただけです。ふとした油断の隙間に、その怪物はぐいぐいと入り込もうとして、心の色はあっという間にセンチメンタルの空に移り変わるのです。

これは死ぬまで変わらない、自分のことです。これと死ぬまで向き合うのが、自分の使命だということにして、毎日を過ごしています。大袈裟のようにも見えますが、決して大袈裟ではありません。人は常日頃から、自分のやわらかい弱点の部分を決して触れさせないようにして生きているのです。生まれながらにして完璧な人間などいないはずなのに、人は社会やお天道様に顔を向けているとき、まるで自分が弱さや罪を持ち得ない人間だというあり方を求められてしまうのです。

そんな自分の在り方が、寂しさとの対峙だと、この静かなペンションの中で思うことなのでした。与論島はいつも静かです。