大聖堂を後にして、思った以上の寒さに連れが服を買うと言うので、私も一緒に薄手のセーターを購入。そしてミクルゲートバーに向かう。

市内から見たミクルゲートバー。
出立前に、秋津羽さんからMicklegate Barにも内部に博物館があると教えていただいた。mickleは古ノルド語でgreatを、gateはstreetを意味し、Barは城門の扉に差し渡される閂からきている。ミクルゲートバーは、ヨーク市の南に位置し、つまりはロンドンからグレート・ノース・ロードを北上してきたときに最初に差し掛かる門、正門であり、多くの歴史的なイベントの舞台ともなった。
七子ん先生に、「行かないって言ったくせに・・・」と詰られましたが、別に行かないと断言したわけではなくて、(由貴香織里リーダーズの)「同行者に拒否られる気がします。」と言っただけです。で、「行っていい?」と聞いたら「いいよ。」とあっさり言われたので行ってみました。まあでも、カインやリフには会えませんが、ちょっぴりゴシック・ホラーみたいな雰囲気はね、味わえたのではないかと・・・んなことないか。
まず入ると、ミュージアム・ショップ。もうちょっと整理整頓しておいていただけると助かります・・・。そしておじいちゃんに「ええ?ええ!?」と聞き返されながら、チケットを購入。それは、単にお耳が遠いせいですか?それとも外国人の客が珍しいのですか?

チケットはこのようになっており、一箇所に行くと他のミニ・ミュージアム群に半額で入れることになっている。"Barley Hall","Richard III Museum","Roman Bath Museum","Merchant Adventurers' Hall","Micklegate Bar Museum"である。
その入口に、というか入ったとたんにばーん!と目に入るのが、

Duke of Yorke, the Third Richard Plantagenet 第三代ヨーク公リチャード・プランタジネット。リチャード三世、及びエドワード四世の父である。・・・ああ、記念撮影しちゃったよ。
1460年12月30日、ヨーク公はWakefield ウェイクフィールドの戦いにおいて戦死。また、後のエドワード四世の1歳年下の弟、Earl of Rutland, Edmund Plantagenet ラトランド伯エドマンド(享年17歳)も戦死した。Earl of Salisbury Richard Neville ソールズベリー伯リチャード・ネヴィル(同名のキング・メーカーの父、ヨーク公妃シセリィの兄)、Sir Richard Umbrick,Sir Ralph Stanley,John Harrow(ロンドンの呉服屋?)Captiain Herrisonは戦の後に捕虜となり、Pontefractポンテフラクト城で斬首された後に、ヨーク公、エドマンドと共にミクルゲートバーの上に首を晒された。ヨーク公は、紙の王冠を被せられヨーク市内に顔を向けた状態で、晒されたという。
シェークスピアは、Frrench She-wolfフランスのメス狼と呼ばれるマーガレット・オブ・アンジューにこう語らせている。"Off with his head, and set it on York gates; So York may over-look the town of York"
「彼の首をお斬り、そしてヨークの城門の上に置くがいい。さすれば、ヨークはヨークの町を見晴るかすことができようよ。」
翌1461年3月、ヨーク公の嫡男エドワード(後のエドワード四世)がTowtonタウトンの戦で勝利を納める。その翌日、ヨーク市に到着したエドワードは、城門の上の自身の父や弟らの首と対面する。彼は復讐として、タウトンの戦いのランカストリアンの捕虜、Lord Clifford, Thomas Courtenay the Earl of Devon, Lord Kyme, Sir William Hill, Sir Thomas Foulfordの首をはね、ヨーキストのものと挿げ替えた。
3階に上がると、

そんなミクルゲートバーに晒された人々の頭が…。その下には、良く観光地にある頭の部分がくりぬかれたボード(城門の上に頭がおいてあるように見えるやつ)があるんだけどさー。小学生くらいの男の子が頭入れて、きゃっきゃと家族と笑っていた。うん、まあ、楽しいならいいんだけどね…。
ヨーク公らには申し訳ないが、やはり脱力感あふれる博物館でございました。
因みに連れは、2階から3階に上がる急勾配の階段が、「怖かった!!」そうだ。

市内から見たミクルゲートバー。
出立前に、秋津羽さんからMicklegate Barにも内部に博物館があると教えていただいた。mickleは古ノルド語でgreatを、gateはstreetを意味し、Barは城門の扉に差し渡される閂からきている。ミクルゲートバーは、ヨーク市の南に位置し、つまりはロンドンからグレート・ノース・ロードを北上してきたときに最初に差し掛かる門、正門であり、多くの歴史的なイベントの舞台ともなった。
七子ん先生に、「行かないって言ったくせに・・・」と詰られましたが、別に行かないと断言したわけではなくて、(由貴香織里リーダーズの)「同行者に拒否られる気がします。」と言っただけです。で、「行っていい?」と聞いたら「いいよ。」とあっさり言われたので行ってみました。まあでも、カインやリフには会えませんが、ちょっぴりゴシック・ホラーみたいな雰囲気はね、味わえたのではないかと・・・んなことないか。
まず入ると、ミュージアム・ショップ。もうちょっと整理整頓しておいていただけると助かります・・・。そしておじいちゃんに「ええ?ええ!?」と聞き返されながら、チケットを購入。それは、単にお耳が遠いせいですか?それとも外国人の客が珍しいのですか?

チケットはこのようになっており、一箇所に行くと他のミニ・ミュージアム群に半額で入れることになっている。"Barley Hall","Richard III Museum","Roman Bath Museum","Merchant Adventurers' Hall","Micklegate Bar Museum"である。
その入口に、というか入ったとたんにばーん!と目に入るのが、

Duke of Yorke, the Third Richard Plantagenet 第三代ヨーク公リチャード・プランタジネット。リチャード三世、及びエドワード四世の父である。・・・ああ、記念撮影しちゃったよ。
1460年12月30日、ヨーク公はWakefield ウェイクフィールドの戦いにおいて戦死。また、後のエドワード四世の1歳年下の弟、Earl of Rutland, Edmund Plantagenet ラトランド伯エドマンド(享年17歳)も戦死した。Earl of Salisbury Richard Neville ソールズベリー伯リチャード・ネヴィル(同名のキング・メーカーの父、ヨーク公妃シセリィの兄)、Sir Richard Umbrick,Sir Ralph Stanley,John Harrow(ロンドンの呉服屋?)Captiain Herrisonは戦の後に捕虜となり、Pontefractポンテフラクト城で斬首された後に、ヨーク公、エドマンドと共にミクルゲートバーの上に首を晒された。ヨーク公は、紙の王冠を被せられヨーク市内に顔を向けた状態で、晒されたという。
シェークスピアは、Frrench She-wolfフランスのメス狼と呼ばれるマーガレット・オブ・アンジューにこう語らせている。"Off with his head, and set it on York gates; So York may over-look the town of York"
「彼の首をお斬り、そしてヨークの城門の上に置くがいい。さすれば、ヨークはヨークの町を見晴るかすことができようよ。」
翌1461年3月、ヨーク公の嫡男エドワード(後のエドワード四世)がTowtonタウトンの戦で勝利を納める。その翌日、ヨーク市に到着したエドワードは、城門の上の自身の父や弟らの首と対面する。彼は復讐として、タウトンの戦いのランカストリアンの捕虜、Lord Clifford, Thomas Courtenay the Earl of Devon, Lord Kyme, Sir William Hill, Sir Thomas Foulfordの首をはね、ヨーキストのものと挿げ替えた。
3階に上がると、

そんなミクルゲートバーに晒された人々の頭が…。その下には、良く観光地にある頭の部分がくりぬかれたボード(城門の上に頭がおいてあるように見えるやつ)があるんだけどさー。小学生くらいの男の子が頭入れて、きゃっきゃと家族と笑っていた。うん、まあ、楽しいならいいんだけどね…。
ヨーク公らには申し訳ないが、やはり脱力感あふれる博物館でございました。
因みに連れは、2階から3階に上がる急勾配の階段が、「怖かった!!」そうだ。
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