リチャード・アーミテージさんの代表作。19世紀半ば英国の物語。全部で4話です。
以前にブログでも取り上げたが、リチャード・アーミテージ氏という役者さんと、ソサエティのフィリッパ・ラングレー氏の脚本とで、リチャード三世・プロジェクトというのが進行している。ラングレーさんが触発されたという"North & South"というBBCドラマのDVDをロンドンで購入してきて(なぜか北米版)観てみた。原作は19世紀の女流作家エリザベス・ギャスケルの作。こちらも今、読書中。
時代的に近いのと同じ女流作家ということもあってか、どちらもBBCドラマがブレイクした"North & South"の主人公ミスタ・ソーントンは、「高慢と偏見」のミスタ・ダーシーの好敵手、とも称されているよう。確かに、カッコよかった・・・!
私の購入した北米版、私のプレイヤーでは字幕がうまく出ずに、北部訛を解するのが結構しんどいですが、一応粗筋。
南部ヘルストン(ハンプシャーがモデル?)の教区牧師の娘、マーガレット・ヘイル。従姉妹のイーディスは陸軍大尉と結婚し、ロンドンのハーレイ街で優雅に暮らしている。彼女は、その義兄ミスタ・レノックスに求婚されるが、好意は抱いていても結婚の意志はないと謝絶する。父が牧師の職を辞して、北部ダークシャーのミルトン(マンチェスターがモデル)に向かう。ミルトンは工場が立ち並ぶ新興の工業都市で、人々は荒っぽく、町には粉塵が舞い灰色に沈んでいた。
マーガレットの名付け親のミスタ・ベルが借家の手配などを依頼しているが、実際に手配している紡績工場主ジョン・ソーントンに会いに行くマーガレット。白綿の舞い散る一種幻想的な工場で、「北部の流儀」で工場を仕切っているミスタ・ソーントンに初めて会う。タバコを吸っていた従業員・スティーブンを殴る、蹴る。
・・・七子ん先生が昔シェフィールドのことを「狼たちがこぶしで語る街」と称したけど、正にそんな感じ(笑)このドラマを見て、ハンプシャーのジェントリであるローフォードがシェフィールドと聞いて、"Good lord, no!"と恐れ戦いたのがわかるような気がしてきたよ。(笑)南からの人を"Stranger", "Foreigner"と呼ぶほどの文化の隔絶。
父はミルトンで教師を始め、その教え子の一人がミスタ・ソーントンだった。ミスタ・ソーントンと再会してすぐに、ぶつかる二人。紳士はあんなな真似はしない、というマーガレットに対して、ミスタ・ソーントンは「紳士は、私のように300人もの焼死体を目撃したりはしないからだ。多くの子供もいた・・・。」と返す。
マーガレットは、工場で見かけたベッシーとその父、道で労働者たちにからかわれている時に助けてくれたニコラス・ヒギンズと友人になろうとするが、うまくいかない。
ある日、ミスタ・ソーントンの母と妹が彼女の家を訪れる。ミルトンに強烈な誇りを抱き、息子と共に工場を立ち上げた男勝りの(ホントに勝ってる・・・すごい男声)ミセス・ソーントンは、ミルトンに馴染めないか弱い社交界の花的なミセス・ソーントンを軽蔑し、紳士階級気取りのミス・ソーントンはピアノなどの教養に欠けるマーガレットを見下す。
定期的にマーガレット宅を訪れ、プラトンの講義を受けるミスタ・ソーントン。(でも、多分水力紡績機を発明したリチャード・アークライトの話とかしてる)ある日、ミセス・ヘイルが「北部の人は事業の成功に専念し・・・」と言ったために、「南部のように軽率では生きていかれない」といった反論をし、「貴方は南部のことを何も知らないのに!」とマーガレットの反発するが、「貴女こそ北部の人間に偏見を持っている」と返される。
このお互いの南部と北部への偏見を超えていくというモチーフは、確かに「高慢と偏見」に近いものがあるかな。どちらもプライド高いし。その辺も↑で触れたように「高慢と偏見」の引き合いに出される所以かも。
マスターである貴方は、幸運だったからだといったマーガレットに、ミスタ・ソーントンは未だ学生だったころに父が死んで、どん底から這い上がったことを語る。(後にマーガレットの父が語るところによると、投機で騙されて自殺したらしい)
唯一の幸運は、母がタフだったことのみだと。まー、そんな理由があるならマザコンになるのも致し方ないですが。しかし、この母は息子をがっちりホールドしすぎ。だからハンサムで金持ちなのに、嫁がいないのです。
「お互いの流儀を学べば、私たちはもっと寛容になれるのでは」とミスタ・ソーントンは握手を求めるが、マーガレットは無視する。ロンドン社交界では、レイディに握手を求めるなどありえないからだ。
この街のいくつかの紡織工場の労働者たちは、賃金の値上げを求めて集会を行い始めていた。それを組織しているのが、組合員であるニコラスだった。だが、日銭が入らないとその日の食事にも事欠くものもおり、ストライキに反対する。ミスタ・ソーントンの工場マールバラミルのバウチャーもその一人だった。
その夜、集会の内容を手土産にスティーブンが再び雇ってもらおうとミスタ・ソーントンの元を訪れるが、彼は冷たく突き放す。その様子をマーガレット親子が見てしまう。
仲の良い従姉妹のイーディスに手紙を書くマーガレット。白く冷たい光の中を、吹雪のように舞う白綿。黒い装いのシルエットが厳然と歩んでいく。
「貴方に話せればいいのに、イーディス。どれ程私が孤独かを。どれ程ここが、冷たくて無情かを。どこもかしこも、諍いと不親切で溢れている。ここは、神に見放された土地だと思うわ。私は、地獄を見たのだと思う。それは白く・・・雪のように白くて・・・」
以前にブログでも取り上げたが、リチャード・アーミテージ氏という役者さんと、ソサエティのフィリッパ・ラングレー氏の脚本とで、リチャード三世・プロジェクトというのが進行している。ラングレーさんが触発されたという"North & South"というBBCドラマのDVDをロンドンで購入してきて(なぜか北米版)観てみた。原作は19世紀の女流作家エリザベス・ギャスケルの作。こちらも今、読書中。
時代的に近いのと同じ女流作家ということもあってか、どちらもBBCドラマがブレイクした"North & South"の主人公ミスタ・ソーントンは、「高慢と偏見」のミスタ・ダーシーの好敵手、とも称されているよう。確かに、カッコよかった・・・!
私の購入した北米版、私のプレイヤーでは字幕がうまく出ずに、北部訛を解するのが結構しんどいですが、一応粗筋。
南部ヘルストン(ハンプシャーがモデル?)の教区牧師の娘、マーガレット・ヘイル。従姉妹のイーディスは陸軍大尉と結婚し、ロンドンのハーレイ街で優雅に暮らしている。彼女は、その義兄ミスタ・レノックスに求婚されるが、好意は抱いていても結婚の意志はないと謝絶する。父が牧師の職を辞して、北部ダークシャーのミルトン(マンチェスターがモデル)に向かう。ミルトンは工場が立ち並ぶ新興の工業都市で、人々は荒っぽく、町には粉塵が舞い灰色に沈んでいた。
マーガレットの名付け親のミスタ・ベルが借家の手配などを依頼しているが、実際に手配している紡績工場主ジョン・ソーントンに会いに行くマーガレット。白綿の舞い散る一種幻想的な工場で、「北部の流儀」で工場を仕切っているミスタ・ソーントンに初めて会う。タバコを吸っていた従業員・スティーブンを殴る、蹴る。
・・・七子ん先生が昔シェフィールドのことを「狼たちがこぶしで語る街」と称したけど、正にそんな感じ(笑)このドラマを見て、ハンプシャーのジェントリであるローフォードがシェフィールドと聞いて、"Good lord, no!"と恐れ戦いたのがわかるような気がしてきたよ。(笑)南からの人を"Stranger", "Foreigner"と呼ぶほどの文化の隔絶。
父はミルトンで教師を始め、その教え子の一人がミスタ・ソーントンだった。ミスタ・ソーントンと再会してすぐに、ぶつかる二人。紳士はあんなな真似はしない、というマーガレットに対して、ミスタ・ソーントンは「紳士は、私のように300人もの焼死体を目撃したりはしないからだ。多くの子供もいた・・・。」と返す。
マーガレットは、工場で見かけたベッシーとその父、道で労働者たちにからかわれている時に助けてくれたニコラス・ヒギンズと友人になろうとするが、うまくいかない。
ある日、ミスタ・ソーントンの母と妹が彼女の家を訪れる。ミルトンに強烈な誇りを抱き、息子と共に工場を立ち上げた男勝りの(ホントに勝ってる・・・すごい男声)ミセス・ソーントンは、ミルトンに馴染めないか弱い社交界の花的なミセス・ソーントンを軽蔑し、紳士階級気取りのミス・ソーントンはピアノなどの教養に欠けるマーガレットを見下す。
定期的にマーガレット宅を訪れ、プラトンの講義を受けるミスタ・ソーントン。(でも、多分水力紡績機を発明したリチャード・アークライトの話とかしてる)ある日、ミセス・ヘイルが「北部の人は事業の成功に専念し・・・」と言ったために、「南部のように軽率では生きていかれない」といった反論をし、「貴方は南部のことを何も知らないのに!」とマーガレットの反発するが、「貴女こそ北部の人間に偏見を持っている」と返される。
このお互いの南部と北部への偏見を超えていくというモチーフは、確かに「高慢と偏見」に近いものがあるかな。どちらもプライド高いし。その辺も↑で触れたように「高慢と偏見」の引き合いに出される所以かも。
マスターである貴方は、幸運だったからだといったマーガレットに、ミスタ・ソーントンは未だ学生だったころに父が死んで、どん底から這い上がったことを語る。(後にマーガレットの父が語るところによると、投機で騙されて自殺したらしい)
唯一の幸運は、母がタフだったことのみだと。まー、そんな理由があるならマザコンになるのも致し方ないですが。しかし、この母は息子をがっちりホールドしすぎ。だからハンサムで金持ちなのに、嫁がいないのです。
「お互いの流儀を学べば、私たちはもっと寛容になれるのでは」とミスタ・ソーントンは握手を求めるが、マーガレットは無視する。ロンドン社交界では、レイディに握手を求めるなどありえないからだ。
この街のいくつかの紡織工場の労働者たちは、賃金の値上げを求めて集会を行い始めていた。それを組織しているのが、組合員であるニコラスだった。だが、日銭が入らないとその日の食事にも事欠くものもおり、ストライキに反対する。ミスタ・ソーントンの工場マールバラミルのバウチャーもその一人だった。
その夜、集会の内容を手土産にスティーブンが再び雇ってもらおうとミスタ・ソーントンの元を訪れるが、彼は冷たく突き放す。その様子をマーガレット親子が見てしまう。
仲の良い従姉妹のイーディスに手紙を書くマーガレット。白く冷たい光の中を、吹雪のように舞う白綿。黒い装いのシルエットが厳然と歩んでいく。
「貴方に話せればいいのに、イーディス。どれ程私が孤独かを。どれ程ここが、冷たくて無情かを。どこもかしこも、諍いと不親切で溢れている。ここは、神に見放された土地だと思うわ。私は、地獄を見たのだと思う。それは白く・・・雪のように白くて・・・」

RAのコスプレにすっかりやられた気分でございます。
長身で姿勢が良いと素適度倍増ですね。
>この母は息子をがっちりホールドしすぎ。
出た!お約束。
ちうかエゲレス上流階級ものを見ると
この手の子離れできないお母様(叔母様、御祖母様等など)がよく出てくるんような気がいたしますが、
当時はこれがデフォなんでしょうか。
単にドラマを盛り上げるため?
素敵ですよね~。
お約束・・・なんですか?わたくしは多分、らなさんほどはエゲレス上流階級ものを見てないと思うのですが。まあ、子離れできない母&マザコン(あっ)息子は、子離れできない父&ファザコン娘よりも現実にずっと多そうな気がしますし、デフォなのではないでしょうか?
アッパーの暇なご婦人方は、息子の成長をただ楽しみにしていた-みたいな解釈も可能ですが、同時に乳母やをつけて実質接触が少なく(夫も政略結婚で愛情もなかったため)、子供への関心が薄い、という風にも受け止められますし。当時の社会。
エゲレス上流階級もので思い出しましたが、耽美主義者にして耽美判定者(c;七子ん先生)のらなさんは、イーヴリン・ウォーの『ブライヅヘッド再訪』って小説、お読みになったことあります?私は無いのですけど、オ大生が神秘的な侯爵次男坊に出会い、その屋敷を訪れる話らしいのですが・・・。
http://amazon.jp/dp/B000GYI3DG/
何故日本版出さないのかしらん。
これこそドラマだしLaLaで放送してくれてもよさそうなのに。
25周年版出てすぐ買ったくせにまだ観てないちう・・・(おい)。
ジェレ美さんのコメンタリ付。
マシュー・グード君&ベン・ウィショー君で映画化されましたよね。
マシュー君観なくては。
「情愛と友情 」←タイトルだけでは「ブライズヘッド」とは結びつかず(笑)
http://amazon.jp/dp/B001NH0WRU/
そーですねー。これもLalaでやってくれませんかね。(なんでもかんでもLala頼みになりつつある今日この頃)
>「情愛と友情 」
同じ邦題をつけられないという大人の事情があるのかもしれませんが・・・。
原作ファンを逃したりしていると思うのですけどね。「いつか晴れた日に」とかも(Sense & Sensibility)