I am NOBODY! Who are YOU? ~ ぽーぽー的ACIMブログ『エセー』 ~

“ひとのフリ見て我が(ego)フリ直せ” ナマケモノ系acimerの
『NO』奇跡のコース×奇跡講座×奇跡の道なエセー

「Délires II. Alchimie du verbe」より、玖璇。

2022-01-03 | つれづれに よしなしコト
あかつきの嵐にたぐふ鐘の音を
  心の底にこたへてぞ聞く


                     西  行






 
俺は 架空のオペラとなった。

俺は すべての存在が、幸福の宿命を持っているのを見た。

行為は 生活ではない、

一種の力を、言わば、ある衰耗をでっち上げる方法なのだ。

道徳とは 脳髄の衰弱だ。





 
俺は、それぞれの存在が、
様々な別の、、生活を 借りているような気がした。

この男なんかる事が当人にも解らない、奴さん天使である。
この家族ときたら、乳離れもしない 仔犬どもの一団だ。

俺は 人々の眼の前で、奴らの別の生活中の ある生活の瞬間を、

大きな声で 喋ったものだ。

こうして、俺には 豚が 可愛くなったのだ。




 
錯乱の、

秘められた錯乱の 数々の詭弁は、

一つとして逃したものはない。

ぶちまけとあれば 残らず ぶちまけもしよう、

からくりの糸は しっかり握っている。


独り居の夜も
燃える日も
心に掛けぬ お前の祈念を、
永遠の俺の心よ、かたく守れ。



Rise ~ 攻殻機動隊 Ghost in The Shell 2nd GIG ~ ⚔ M.kusanagi⚔

 

元日に 紫陽花の切り花を買った。

正月に似つかわしくない花が売られている事を いぶかしんだが、
手に取らずにはいられなかった。


紫陽花は しじんさんの花。


彼は「紫陽花は 魔界に咲く花だ」と、御師匠様から言われたそうだ。

  正義を貫こうとする 破 邪 の力、

             それを 象徴する花である、と。


しじんさんの花を手に入れた翌日 

  その花のイミする事が起きた。 また・・である・・・




出来過ぎた 
斯様なシンクロニシティを 

私は 信じ過ぎない様にしている。


不可思議な体験や
得も言われぬ 境地を 普遍化したがる人性とは
元をただせば ただの 欲 念 の 至り。



これを 正視できないひとほど
綺麗言や 卓見めいた文言を吐く セイ人となっているだろう。

自己陶酔に浸っている 青二才の空言は
エアーヘッドな スピ・精神世界の住人には 兎角 受けがよい。


仏教の八正道で

  「正 見」が 第一徳目に挙げられている所以は 

           深いものがあると 思っている。





霊的事象に限らず
み ず が 多い場には 不浄が溜まりやすい。

密教、修験道、
神道の行者の行場である 滝場には

密教僧や 修験者の不浄霊が 相当数 居ると聞く。


私は ネット上の スピ・精神世界系サイトは

この滝場に近い ある種の みず場と 捉えている。


それ故に こころヤスく ソコにいるものらと

むやみやたら 関わらない。 関わるつもりもない。


行道に 観照も出来ない連中のイイは要らぬ

 邪 魔 だ。 


行に 執着し
行に 溺れた者の行く末は 言わずと知れている

 底知れぬ 闇しかない 煉 獄 だ。





 
俺は 旅をして、
この脳髄の上に 集まり寄った様々な呪縛を、祓ってしまわねばならなかった。

俺は 海を愛した。
この身の汚れを 洗ってくれるものがあったなら、海だったに相違ない。

俺は 海上に 慰安の十字架の昇るのを見た。

俺は 虹の橋に 呪われていたのだ。

『幸福』は 俺の宿命で あった、 悔恨で あった、 身中の虫で あった。

幾時いつになっても、
俺の命は、美や力に捧げられるには おおき過ぎるのかも 知れない。




電影 2 尾段 過場 (攻堅)



此処にある 私の言葉は 

劇 薬 「subtraction mark」になるであろう。
 

ココに 生きていたいモノ 
ココで 生き延びたい物に「死」

ココで 死にたえゆくものへ 
ココの苦痛を 中和する箝「了」を 授けよう。


血を請け、地を知り 
道求め、みちゆかんと発心するものは

生死の境界にたつ シシャの地「antarā-bhava」にいきる。


その言葉は必然、フカイ もののグと成らん哉。





叡智そのものを
いきようと こころみるものは 
ココでは そういうイキモノになるらしい(笑)

道は 道にして 道に非ず
言うは易く 行うは難し、だろ。笑


分かる必要の「ない」ものに
分からせてやる必要も「ある」まい?

  「今ここだけある」
  「ここはない」教の信者 諸君

  「ない」ものに 愛着し、
  「ある」モノに 合一し続ける ママなる 篤実家の皆々様よ

 Do you UNDER-STAND





 
健康は 脅かされた。 

恐怖は 来た。

幾日もの睡りに落ちては、
起き上がり、世にも悲しい夢から夢を辿った。

臨終の時は熟した、この世の果て、シンメリーの果て、

旋風と影との国へと、
怪しげな道を 俺の羸弱ひよわさは この身を駆った。


明日という日が あるものか、
深紅のおくの繻子の肌、
それ、そのあなたの灼熱が、
人の務めというものだ。




チ外法権的な愛を 説くものは
Atyanta、ソウいう 気チガイに「なる」でしょう(笑)

ソレだから 
みちの奥義は 秘匿されているといえるし
あまりに自明すぎて 説くスベが「ない」ともいえる。笑


命がけ でいきる 必要の「ない」人は

ひとの喜びや 悲しみ
楽しさも 哀しさも 味わうことの「ない」

全き幸福を悟られた 至上者カミのみことなのだろう。


そんな幸福を知る由も「ない」私は

しじんさんのように 命がけでいきたいと願った

この自分を知る必要が「ある」 自 我ワタシだった。


ソレゆえに、識ってしまうのだろう

このモノかたりも 数々の 「私」の 狂 気の一つなのだ、と。




i'm a soldier, значит я                私は戦士 つまり私は
Иответчик и судья             被告人であり 裁判官
Ястою на двух концах огня       火の両端に私は立つ
Огибая виражи                   カーブを切り
обгоняя смерть и жизнь         生と死を追い越し
Ябегу сразиться с теньюлжи     偽りの形との戦いに走る
Сколъко б нитей не плёл обман   まやかしの糸をいくらめぐらそうと
Покажет лик света истина       真実が 光の輪郭を照らすだろう

♪「 rise 」


何かに かこつけ とやかく言える人間は
他ならぬ 自分自身へのイイ訳、口実 と 知って 
此処にに居る「私」だ。


「私」は 夢みた。
「私」は あらゆる夢想を信じた。

だから 疑える・・・ ・・・かえりみられる・・・・・・・


カミを前にして
お辞儀の仕方を心得る 「私」は この自分を 存分に いきてやる。



『幸福』だ。

鶏鳴とともに、朝キリストは来給えり、、、、、、、、、、 の 声とともに、

見る影もなく 悲しげな街々で、
絶え入るように 優しい幸福の歯は 俺に告げた。




אָמֵן


 Elle est retrouvée.
もう一度探し出したぞ。     天に在るべきは 天に 
Quoi ? - L'Éternité.
何を? 永遠を。         地に在るべきは 地に
C'est la mer allée
それは、太陽と          元の御座に 還り給へ
Avec le soleil.
つがった 海だ。


नमो भगवतोष्णीषाय ॐ रु रु स्फुरु ज्वल तिष्ठ सिद्ध लोचने सर्वार्थ साधनीये स्वाहा




リスト La Campanella 「鐘」




文中の詩は ランボオ 「地獄の季節」小林秀雄訳(岩波文庫)
「錯乱Ⅱ 言葉の錬金術」からの抜粋デス♥


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