12月5日水曜日の午前5時過ぎに日赤病院から至急病院に来るようにとの電話があり、家族3人で慌ただしく病院に向かいました。
お母さんの様子は、酸素マスクを付けている以外は、安定しているようにも見えました。
ひねが話しかけたら返事があり、握る手も力強い感じでした。
ひねの妹も駆けつけて来ました。
しばらくして事態が急変したのは、午前8時頃。
呼吸も脈も乱れ、その後、家族に看取られながら眠るように静かに亡くなられました。
死因は、肺がん、77才でした。
ひねは、母親の癌が発見されてから以降、長期にわたり献身的に看病していました。
母親と一緒になって癌と戦っていました。
とても長くて辛い戦いだったと思います。
12月6日木曜日午後7時から通夜、翌7日正午より告別式が執り行われ、多数の方が最後のお別れに駆けつけて来られました。
お母さんは、自治会をはじめ地域の活動に積極的に参加し、社会福祉活動にも永年貢献され、先月には市から表彰状も授与されていました。
フォークダンスの関係の方々もたくさん参列して下さいました。電報もいただきました。
以前、タンポポポンタ講習会に孫の世話をする為に来てくれていた事を覚えていて下さった方もありました。
寒い中、遠くから駆けつけて頂き、心から感謝しております。
ありがとうございました。
先ずは、お母さんの冥福を祈っております。
お母さんの様子は、酸素マスクを付けている以外は、安定しているようにも見えました。
ひねが話しかけたら返事があり、握る手も力強い感じでした。
ひねの妹も駆けつけて来ました。
しばらくして事態が急変したのは、午前8時頃。
呼吸も脈も乱れ、その後、家族に看取られながら眠るように静かに亡くなられました。
死因は、肺がん、77才でした。
ひねは、母親の癌が発見されてから以降、長期にわたり献身的に看病していました。
母親と一緒になって癌と戦っていました。
とても長くて辛い戦いだったと思います。
12月6日木曜日午後7時から通夜、翌7日正午より告別式が執り行われ、多数の方が最後のお別れに駆けつけて来られました。
お母さんは、自治会をはじめ地域の活動に積極的に参加し、社会福祉活動にも永年貢献され、先月には市から表彰状も授与されていました。
フォークダンスの関係の方々もたくさん参列して下さいました。電報もいただきました。
以前、タンポポポンタ講習会に孫の世話をする為に来てくれていた事を覚えていて下さった方もありました。
寒い中、遠くから駆けつけて頂き、心から感謝しております。
ありがとうございました。
先ずは、お母さんの冥福を祈っております。