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ぽんぽこタヌキの独り言 Solilokui dari Rakun Pompoko

日本を見て、アジアを見て、世界を見て、徒然なるままに書き記す、取るに足らない心の呟き

インドネシア語のはなし

2008年08月27日 15時12分10秒 | Weblog
人は居らん(Orang)、御飯は無し(Nasi)で、菓子は食え(Kueh)。これは知っている人は知っているインドネシア語の入門編の入り口のところで示される文言である。大抵は、このときにオランウータンは「“Orang”=オラン(人)+「“Hutan”=フタン(森)=“森の人”だっていう説明を受けるわけである。インドネシア語にはちょっと面白くて、よく考えると「なるほど」とうなづける単語や熟語が存在する。毎朝、食べている人もあるだろう朝食の「目玉焼き」はインドネシア語で「“Mata Sapi”=マタ・サピ」と言い、これは分解すると、牛(Sapi)の目玉(Mata)ということになる。「風」は“Angin”であり、「食べる」は“Makan”と言うが、これが“Makan angin”というう風に「風を食べる」と「散歩する」という意味になる。「車」は「“Kereta”=クレタ」と言い、“Kereta Angin”は直訳で「風の車」なのだけれど、これは「風車」ではなくて「自転車」を意味するのである。暑い日々に欠かせないものといえば「うちわ」や「扇子」であるが、これらのことをインドネシア語では「“Kipas”=キパス」と言い、扇風機のことは「“Kipas Angin Listerik”=キパス・アギン・リストリック」と言う。勉強したての頃は、扇風機には「プロペラ」が付いているので、その単語「“Paling-Paling”=パリン・パリン」を使って表現するのかと思っていたが、ちょっと肩透かしを食らった感じがしたものだ。因みに、インドネシアでも子供たちに大人気のアニメ「ドラえもん」の「タケコプター」は「“Paling-Paling Bambu”=パリン・パリン・バンブー」と言っている。また、先般の投稿分「ありがとう」と「ごめんなさい」の中で、インドネシア語の「ありがとう」は「“Terima Kasih”=トゥリマ・カシッ」であり、分解すると「愛を 受け取る」ということになると説明した。すなわち、“Kasih”=「愛」とか「慈愛」とか「情愛」という意味になるのである。一方、通常、辞書的に「知らせる」と言うためには「“Beritahu”=ブリタフ」という単語を使用する。これを分解すると、「“Beri”=ブリ」は「与える」ということであり、「“Tahu”=タフ」は「知る」ということで、「知るという状態」を「与える」ということになる。この「知らせる」という表現、庶民の間で頻繁に使用されるのは「“Kasih Tahu”=カシッ・タフ」(知らせる)という表現である。辞書的には口語的表現として「“Kasih”=カシッ」が「与える」を意味するものとして記載されている。本来的にそういう意味で存在したのか、語源はどうなのかなどを調べてみないと確定的なことは言えないけれど、本来の意味が「愛」であり、「口語的」、あるいは「派生的」に「与える」という意味が生じたのであれば、それは「愛をもって与える」ということが当然のように行われており、そのような「社会や庶民の暖かさ」が、庶民の生活の中で自然的に言葉に反映されたのだと考えると非常に深い感じがするのである。

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