
この言葉は、1981年に私が初めての海外の地、シンガポールの空港に降り立った時に聞いた初めてのマレー語であった。この言葉の意味は、インドネシア語、フィリピンのタガログ語も共通なのだが、「女性の性器」を示す言葉である。シンガポール空港の税関から出たときに、数名の女性がこの言葉を大声で叫びながら寄って来たので非常に鮮明に覚えている。そのあと空港のタクシーを利用して予約していたアジア・ホテルに向かったんだけれど、社内で運転手に「いつまで滞在するんだ?今晩、幼稚園の先生は要らないか?」という誘いも受けた記憶がある。アジア・ホテルに到着して、運転手に言われるままに、記憶では40S$くらいを支払ったと思うが、その翌日に「シンガポールは小さな島だからタクシーでどこまで行っても15S$までで行ける」って聞いて「シマッタ」と舌打ちしたものである。タクシー代を吹っかけられたのである。今でこそ1人当りGDPが3万米ドルを超えて日本の水準に肉薄し、国民の平均給与が25万円に達するほどになっているけれど、27年前の当時はそのような状態であったのである。当時はインドネシアに旅行する場合でも「旅行者のための入国ビザ」を取得する必要があったので、シンガポール観光の傍ら「ビザの申請」を行い、日系某商社の先輩の協力を得て、通常1週間かかるところを3日で取得してもらった。インドネシアのジャカルタでは「ホテル・インドネシア」に数日滞在し、その後、スラバヤ、バリ島、ジョクジャカルタと回って、キンタマーニ高原、ケチャ・ダンス、ボロブドゥール、プランバナンを訪れた。日本語の歌にも入ってきている「ブンガワンソロ」はちょっと遠いので断念した。スラバヤに行く寝台特急「“Bima”=ビマ」の乗車券も「売り切れ」と言われて、建物の裏の方にある小さな部屋に連れて行かれて、1枚Rp.8,000くらいだったところを1枚Rp.14,000くらいで売りつけられた記憶がある。ここでも「ヤラレタ」のである。ジョクジャカルタではアンバルクモ・シェラトン・ホテルに宿を取ったが、部屋に入るとすぐに部屋の電話が鳴って、フロントかベルボーイから「タイ人女性はどうだ?」という誘いを受けた。また、スラバヤに「ドーリー通り」という東洋一大きい公娼街があると聞いていたので興味はあったが、そのときはちょっと怖くて断念した。ジャカルタに戻って手持ち資金が心細くなったので、留学生に紹介してもらった南テベットのバタック族の家庭に転がり込んだ。その時にその家の短大生Mr,Alin(アリン)に連れ回されて、ジャカルタの観光エリアとなっている「“Ancol”=アンチョル」に行ってインドネシアのオカマ「“Banci”=バンチ」をからかいに行った。そして、初めて現地の映画を観て「腹を抱えて」大爆笑。映画は学園もので生徒たちの様々な「カンニング」手法を題材にしたものであった。ジャカルタ弁がきつくて、当時は30%くらいしか理解できなかったが、映像が滑稽だったのと、周りの大爆笑に攣られての「半テンポ遅れ」の大爆笑だったと思う。7年後にジャカルタに行ったら、市内を走る自動車が、以前の中古のポンコツ「トヨタ」主流から一変して、かなりの数の新車の「トヨタ」が走っていた。以前は、大通りに信号機がなくて、道の反対側の日本大使館に行くのにも、時速100キロ超で走る自動車の合間を縫うようにして、小走りで道を渡ったんだけれど、2度目のときはちゃんと信号機が備わっていた。以前の投稿分で昔から存在した公娼制度の元に存在した「置屋」「遊廓」「赤線」が禁止されて、日本の歓楽ビジネスは風営法のもとに管理されるようになったのだけれど、インドネシアの大都市近郊では、まだ公に認められた公娼地域として「“LOKALISASI”=ロカリサシ」として指定されている場所が存在するのである。日本の場合は所得の上昇に伴って、「女性の借財に伴う身売り防止」という観点で禁止されたのだけれど、インドネシアの現状を見てみると、従来からあるこの「ロカリサシ」の存在と、明らかに外国人観光者をターゲットとした「置屋」の存在が認められ、並存しているのである。彼らをひとくくりにする言葉としては「売春婦」であり、英語では“Prostitute”、インドネシア語では「“WTS”=ウェー・テー・エス」=“Wanita Tuna Susila”(ワニタ・トゥナ・スシラ)と呼ばれている。確かに、先に述べた「アンチョル」のホリゾン・ホテル(現在のプリマ・インダ・ホテル&レストラン)の傍に隣接していた「マッサージ・パーラー」やそこから少し離れたところに存在したゲームセンター奥の「マッサージ・パーラー」などは、日本における所謂「風営法」的なもので管理されるべきものであるが、「ロカリサシ」に住む女性は、田舎から都会に出てきて働く術のない女性たちを吸収して住まわせているエリアであるため、一種の救済的意味を持った地域なのであり、以前にも述べたと思うけれど、例えば田舎から出てきて女子大生が下宿をし、そこの家賃と学費を払うために、その下宿屋自体が「置屋化」している場所もある。最近、ある雑誌の原文を読んだんだけれど、バリ島のクタ・ビーチの「置屋」は一般の民家であり、大きな番号が掲げられて管理されているらしい。これは、現在はどうなっているか定かではないけれど、以前、私がスラバヤに駐在していた時の外国人向け「置屋」の管理方法と同じである。この記事によると、どうやらスラバヤの「ドーリー通り」はまだ健在らしいが、幾つかの地方の「ロカリサシ」エリアは廃止されるというような動きもあるらしい。このようにインドネシアでは若干、公娼制度廃止の動きも徐々に出てきてはいるが、まだまだ、救済的な公娼地域の必要性も無視できないものであり、その一方で観光者目的の高額の「置屋」というものも存在しており、それはそれで、観光客誘致という意味で「必要悪」として見做されているのではないかと思われるのである。タイの場合、「貧困家庭」の子供は、男の子の場合は「お金持ち」を夢見て「ムエタイ」の技を磨き、女の子の場合は「マッサージ・パーラー」で働くのだと言われている。シンガポールは、既に「世界透明度ランキング」第4位の優等生であるが、タイが若干良くて7~80位、インドネシアやフィリピンになると100位以下であり、その水準から推察すれば、歓楽ビジネスに対して「風営法」のような規制が設けられる日はまだまだ遠いのではないかと思われるのである。
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