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ぽんぽこタヌキの独り言 Solilokui dari Rakun Pompoko

日本を見て、アジアを見て、世界を見て、徒然なるままに書き記す、取るに足らない心の呟き

「上手い」「美味しい」「気持ちいい」 (ベトナム語 特別編)

2018年08月14日 07時30分05秒 | Weblog

以前の記事で、「アジアの言語比較」として、主眼は「美味しい」と「気持ちいい」を表現するときに、「同じ単語」で可能か否か、そして、「関連する単語」として、どのような語彙が使用されているか、を見てみた。

今回は、「ベトナム語」について、そのあたりを少し深めてみたい。

まず、「ベトナム語」で「美味しい」と言いたいときは、「ゴン」='Ngon' である。

そして、「上手だ」とか「すごい」とか言うときは「ゾイ」='Gioi' である。そして「賢い」場合は「トン・ミン」=′Thong Minh'である。

また、「すごい!」とか「素晴らしい!」というとき、口語では、「ハイ、クアッ」='Hay qua' とか、「チッ、チッ、チッ、チッ」と舌打ちしたりする。また、「すごい」とか「素晴らしい」という意味を持つ「語彙」に「トゥイェット」=’Tuyet' という表現がある。そして、これを書くと、また「発音が違う」「イントネーションが違う」と怒られそうだけど、「トゥイェット」=’Tuyet' には、「雪」という意味もあり、来日した「ベトナム人」たちは、挙って、冬の「冷たくて白い雪」に感動するそうで、彼らは、日本で「降り積もった雪」を両手ですくいながら「トゥエット」='Tuyet' と叫ぶ様子を想像してしまうのである。従って、「すごい!」というときの感動のレベルが「雪だ!」と叫ぶときの感動レベルと同じで、どこかで誰かが、初めて触って「雪だ」と叫んだのではないか、と勝手に想像するわけである。最初に、「雪」に触れた「ベトナム人」が「雪」を触って「トゥイェット」=’Tuyet' と叫んだ。彼らにとって、初めて触る「白く冷たい雪」は、正に彼らを感動させる「代物」だったために、「雪」=「トゥイェット」と「同化」したのではないかと想像しているのである。

「インドネシア語」のような「美味しい」=「エナッ()」=’Enak'=「気持ちいい」の関係は成り立たないのである。

ただ、「上手だ」というときに、一般的には、「ゾイ」='Gioi' とか「トゥイェット」と表現するのに、何故「床上手」の場合のみ、「ゴン」=’Ngon'’ が使用されるのかと疑問が沸いた。

そして、またまた、先日の「人間の体の部分」の「語彙勉強」の折に、ある事に気づいたのでる。

「身体の部分」で「指」のことを「ゴン」='Ngon' というのである。

「指」と「美味しい」と「床上手」が、同じ「ゴン」='Ngon' で表現されるのである。

「ベトナム」は「仏教国」である。「結構前は、決して男性と同じ部屋で2人きりにならない」のが大原則であるらしい。「結婚前は処女を守る」という考え方は、根強くある。そういう国で、「若い女性」に対して「床上手だ」=「ゴン」='Ngon' と声をかけるのは、「禁句」だし、「失礼になる」とされている。(なのに、「シングル・マザー」が多いのは何故か、という疑問は残るけれど。)

これまた、「発音」「アクセント」の問題はあるが、「素人」なりに、1つの結論めいたものを想像してみた。

「人間社会」にとって、「食事が美味しい」(Ngon)ことは、非常に重要なことである。また、「ベトナム社会」の「モラル」(道徳)として、「若い女性」が、「床上手」(Ngon) であるはずがないし、あってはならない。しかしながら、「モラル」(道徳)的には、「褒められない」が、「男性」側から言えば、「非道徳的」ではあるけれど、「床上手」(Ngon)な女性とは、「遭遇したい」という願望はあるし、「モラル」(道徳)の問題はさておいてそこに「至福」があるのである。「褒められない」が、その「至福」が得られるかどうかは、かなり「重要度」と「期待度」が高いものである。

潜在的に、少なくとも男性は「そのような意識」を持っているし、女性も、男性がそうであろうことは想像に難くなく、仕方ないとあきらめている。そして、「美味しい料理」(Ngon)を実現するために「重要な役割」を担っているのは、間違いなく「指」(Ngon)」である。そして、また、「モラル」(道徳)の問題はさておいて、「床上手」(Ngon) を実現するために「重要な役割」を担うのも、やはり「指(Ngon)」なのである。

そのような「潜在的意識」があるがために、無意識的に、「指」=「美味しい=「床上手」='Ngon' が成立したのではないかと思う。ほかの言語には、ないことである。「ベトナム社会」が求める「モラル」とは、異なるが、男女双方が「床上手」(Ngon) の「重要度」を認識しており、それにより、「お互い」が「気持ちいい」(「スオン()」='Suong' とか「トアイ・マイ」='Thoai mai')という「至福の感覚」に到達しうる「重要性」を認識しているのである。「シングル・マザーが多い」のは、その結果だと想像するが、関係ないだろうか。

 

 

 

 

 

 


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