
【書誌】
本体 縦一八九×横一三〇ミリ〔判型は本体と同じ 四六判〕 白色。
本文 二三八頁 一段組。
紙装並製本、角背、折込表紙。表紙「霧」の題字、著者名「河井醉茗作」は縦書きで黒インク。長原止水による、三輪の菫の意匠が、赤インクで印刷されている。扉にも黒インクで同じ意匠と「霧」の題字。背表紙には「霧 河井醉茗作」の文字が黒インクで印刷され、裏表紙は無地。川路柳虹『路傍の花』(東雲堂書店、明治四三)巻末の広告では、「四六判ラフ印刷美本」とされている。厚紙を用いた上製本ではないため並製本の意味で「ラフ印刷」、赤インクによる意匠の印刷、折込表紙の装幀を「美本」とするのだろう。
【奥付】
印 刷 明治四十三年五月六日
発 行 明治四十三年五月十日
定 価 五拾五銭
著 者 河井醉茗
発行者 西村寅次郎
東京市京橋區南傅馬町三丁目十番地
発行所 東雲堂書店
東京市京橋區南傅馬町三丁目
電話 本局一六三九番
振替 東京五六一四番
印刷者 横田五十吉
東京市神田区松下町八番地
印刷所 横田活版所印刷
【目次】
薔薇色の雨 聲せぬ家 雪炎 痙攣 圓い顔と細い顔 暗い濱邊 禮拝 ためらひ 泣き聲 無言の號令 月の痛み 鳥 行け 魚の血 飯の湯気 屋根傅ひ 眺望 石 消ゆる雲 細君 旗 草 轉宅 トンネル 泣く女 ある朝 鳥柱 暁 橋 雨 睡眠 旅情 お窓の姉さん 晩鐘 光の下にて 野 松風 翼の響 揺れる花 すれちがひ 涙 脈搏 窓のあかり 舞臺 都會の足音 闇夜 力のない日 無意味 きもの 花瓣 信濃町の月夜 山頭火 間 塀の外 夢の杜 表まで來た人 つぶて 戀の詩 空虚 暮れたばかり 肉聲 毛髪 鼓の音 若氣 臆病 うたヽね 場末 道ゆき 塵烟 寒い日 消えゆく日記 秋の湖畔 水が無い 海邊の娘 旅寐
【所蔵】
国立国会図書館 ○
日本近代文学館 ○
北海道文学館 高橋留治文庫 ○
京都ノートルダム女子大学図書館 ○
大学図書館所蔵〔昭和女子大学近代文庫、早稲田大学、同志社大学、鶴見大学〕
*早稲田大学古典籍総合データベースで画像閲覧が可能
公共図書館所蔵〔神戸市立中央図書館、奈良県立図書館〕
【解題】
『霧』は、河井醉茗の第三詩集である。河井醉茗(かわいすいめい 本名又平)〔明治七~昭和四〇〕は、明治三〇年代に、『文庫』派と呼ばれた青年詩人たちの活動を扶け、明治詩の母と評される詩人である(矢野峰人「明治詩の母」『塔影』一五五号〔河井醉茗追悼〕、昭和四一・一)。明治二八年より雑誌『文庫』(少年園のち内外出版協会、明治二八・八~四三・八)投稿詩欄の担当を務め、投稿詩人の作品を集めて詞華集『青海波』(内外出版協会、明治三八・六)を発行するなど、若い世代の詩人の活躍を促した。
『文庫』派という呼称は、『文庫』投稿詩が七五調、浪漫主義詩風といった特徴を持つことから名付けられた。同時期に愛唱された島崎藤村や薄田泣菫らの影響を受けたのである。ただし、明確な主張を共有していたわけではない。むしろ河井醉茗は、一定の主義に縛られない青年詩人の自由な活動に『文庫』派の特徴があるという。蒲原有明の第三詩集『春鳥集』(本郷書院、明治三八)の影響を受け、澤村胡夷、有本芳水、森川葵村の『文庫』掲載詩の中に、象徴詩風の作品が生まれた例などをあげ、次世代の詩を生み出す場となったとする(河井醉茗『醉茗詩話』人文書院、昭和一二 以下同書を参照)。
明治四〇年、河井醉茗は『文庫』記者を辞し、同人制による詩草社を結社し雑誌『詩人』(明治四〇・六~四一・五)を発刊する。青年詩人の熱気に促されて決断したのだという。『詩人』は、蒲原有明「日のおちぼ」や上田敏訳「花冠」「薄暮の曲」など象徴詩を解釈する記事や、同時期に議論された口語自由詩論、また口語詩の実作である川路柳虹「塵溜」を掲載するなど、新しい潮流の拠り所となった。だが資金難のため、翌年一〇号で廃刊となる。
河井醉茗は『文庫』詩欄担当の時期に七五調の詩を創り、『無弦弓』(内外出版協会、明治三四)、『塔影』(金尾文淵堂、明治三八)と二冊の詩集を編んでいる。(*河井醉茗の名を冠した詩集『剣影』(金色社、明治三八)があるが、発行者が無断で改刪を加えたため、著述目録から抹殺したいと著者自身が述べている。これをふまえ、『霧』を第三詩集とした。)『霧』に収録された作品は、これらの詩と異なり、七五調の韻律を廃した口語体の詩である。『文庫』『詩人』で直に触れた青年詩人の活動に影響を受けて、口語詩、自然主義詩を試みたという。「漸く四十一年の末頃から、これは散文詩を作るような気持ちで口語をやつてみようと思ひ立ち、作り出してみるといくらでも出来る。四十二年の『文章世界』新年号に掲載された「雪炎」がその方向転換の第一歩で、同年には可なりの数に上つたので、翌年五月『霧』と題して一冊にまとめた。私の詩集の中で自然主義の影響を最も多く感受してゐるのは『霧』であらう。」
川路柳虹『路傍の花』(東雲堂書店、明治四三)巻末広告では「散文詩集 霧」と題され、『読売新聞』明治四三年六月一九日掲載の服部嘉香「新形式の試み」の一部が推薦文として載せられている。「△河井醉茗氏の「霧」は散文詩集として詩壇の第一聲をなしたるものである。是は一種新形式の試みとして色んな方向から考えて見る必要があると思ふ。△氏の散文詩は他の模倣を許さない特色を持つてゐる。深い、強い色はないが、浅いみどりのやうな感じを持つたものだ。△私の殊に傑出してゐると思つたのは、「旗」に「翁台」(ママ)に「雪炎」に「信濃町の月夜」「表まで來た人」など叙景や哀感がそれ〲巧みに出てゐる。△事実事件、事物のある一點の興味と矛盾とを発見することに於て、醉茗氏の散文詩には特色がある。△醉茗氏の散文詩には確かに未來がある。「霧」はたゞ一歩にすぎない。私は其の未来に多くの期待を持つてゐる。」
同時期に刊行された松山白洋『新體詩入門』(新潮社、明治四〇)によれば散文詩は、七五調など律格を欠く詩で、詩的な散文を含むものという定義になる。ただし、ここで言う散文詩は、明治四二年頃より、河井醉茗を含め、蒲原有明、福永挽歌らが発表した、新詩風としての自由詩(「文芸界」『早稲田文学』明治四一・一〇)を指す語である(佐藤伸宏『日本近代象徴詩の研究』翰林書房、平成一七)。自由詩としての散文詩は、詩の律格の意義を問い、より内面を直接に伝える表現を提唱する、片上天弦「詩歌の根本疑」(『早稲田文学』明治四〇・六)、島村抱月「現代の詩」(『詩人』明治四〇・一一)、相馬御風「詩界の根本的革新」(『早稲田文学』明治四一・三)など、口語詩運動の延長に登場した。明治四一年より、『読売新聞』『文章世界』などの誌上で、散文詩の是非が議論されている。収録作に散文詩の名を掲げた同時期の詩集に、細越夏村『褐色の花』(悠々書楼、明治四三)、福永挽歌『散文詩集習作二十七篇 幸福を求むるものの詩』(岡村盛花堂、明治四五)がある。
『霧』巻末には、仲田勝之助訳『ツルゲネフ散文詩』広告が掲載されている。島村抱月序、馬場胡蝶序、名取春川装幀、四六判二百頁、定価三十五銭、送費四銭。広告文に「ツルゲネフ散文詩は彼が思想の精華にして、彼が心的縮圖也。その文體の精練、観察の深奥鋭利なる他にその比を見ず、まことに世界文壇の花なり。本書には彼が長逝數ヶ月前に書ける有名なる「門口」一篇を加ふ。また小引として譯者の解説を附し、以て彼が文體を學ばんとするものヽ便に供す。譯は忠実精緻、坊間に行はるヽこの書のごときものと少しくその撰を異にせり。」すでに散文詩として「自然」「クリスト」を収録した、吉江孤雁(喬松)『ツルゲーネフ短篇集』(内外出版協会、明治四一)があるが、収録作を五一篇と大幅に増やし、散文詩を題に冠した。
また河井醉茗の言う「自然主義」は、耽美的傾向において象徴主義と対立するものであり、かつ、実感の表象という点では近接するものでもあった。口語化という点では、象徴主義より始めた北原白秋は、後に童謡や民謡への転向で自然主義に近づいたとする。また、田山花袋が、象徴主義をふまえ光線や音響などの感覚を表現すると共に、自然主義を説いて生活上の実感を描くべきだと話した挿話を紹介している。『霧』に収録された詩の中には「雪炎」など、単なる生活実感に止まらない、幻想や美的表象を表したものがある(木股知史編『近代日本の象徴主義』おうふう、平成一六)。
『霧』表紙の意匠を制作した長原止水(ながはらしすい 本名孝太郎)〔元治元~昭和五〕は、洋画を制作すると共に、ペン画、漫画を『二六新法』などに発表し、幅広く活躍した画家画家である。坪内逍遙『当世書生気質』(東京堂、明治一八~一九)挿絵を一部担当、『明星』(第一次、明治三三・四~四一・一一)掲載の図版を担当するなど、文壇と交流が深かった。また、河井醉茗『塔影』表紙図版を描いている。
扉の次にセロファン紙を挟み、クロークで体を包み込んだ女性が森の中に腰掛ける、黒単色石版刷の口絵が挿入されている。作者の岡田三郎助(おかだ さぶろうすけ)〔明治二~昭和一四〕は、「婦人像(某婦人の肖像)」(明治四〇)など婦人画を主要モチーフとした洋画家である。
次に「雪炎」の本文を示す。
雪炎
土手(どて)の片蔭(かたかげ)に雪(ゆき)が残(のこ)つてゐる、雪(ゆき)の上(うへ)を月(つき)が照(て)らしてゐる。
月(つき)にも色(いろ)はない、雪(ゆき)にも色(いろ)はない。
月(つき)の光(ひかり)と、雪(ゆき)の息(いき)とが縺(もつ)れ合(あ)つて、冷(つめ)たい陽炎(かげらふ)が立(た)つ。
ちら〱と眩(まぶ)しい、白(しろ)いやうな、青(あを)いやうな、紅(あか)いやうな、
繊(ほそ)い炎(ほのほ)が燃(も)ゆる。
北國(ほくこく)に行(ゆ)くと、雪(ゆき)の炎(ほのほ)の間(あひだ)から白(しろ)い女(おんな)の顔(かほ)が見(み)えるさうだ。