このちょっと刺激的な写真が載っていた新聞は、ドイツで人気の"Bild"(ビルト)紙。タブロイド版の大衆紙だが、"Frankfurter Allgemeine"や"Die Welt"など並み居る大手全国紙を桁違いに上回る発行部数を誇り社会的な認知度も高い。「ビルト」に掲載された首相など国の重要人物とのインタヴュー記事が日本のニュースや新聞で取り上げられることも多い。
見出しは「裸でベルリンをおさんぽ」
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そんな「ちゃんとした」新聞が掲載する裸の記事なら、内容もそれなりのものかと思いきや、そこは大衆紙のお気楽さで
「こんなことが起こるのもベルリンならでは… お昼どきの議事堂界隈を20歳そこそこの女の子が二人、一糸まとわぬ姿で歩いていた。二人はブランデンブルク門を通って議事堂前の芝生へ… 男たちはみんな首をねじ曲げて振り返り、お年寄りたちは嘆き節。で、彼女たちは?注目を浴びているのがいかにも楽しそう。気づいたらもう二人はいなくなっていた。この写真を撮ったホビーカメラマンもどうしてこのコ達が裸になってたかなんてわかりはしない…」
と実にたわいもない。
こうした路上などでの「全裸のパフォーマンス」がドイツで記事になることはそう珍しいことではない。いつか、ドイツの高級誌"Der Spiegel"(シュピーゲル)が学生デモを伝えていた記事にも、素っ裸でデモ行進する女子学生の写真が大々的に載っていた。もちろんこうした行為はドイツでも公然わいせつに当たるとは思うのだが、そもそもドイツでの裸に対する意識は日本とは随分違う。真夜中に公園で裸になって騒いでしまったスマップのつよしくんもドイツだったらあんな神妙な謝罪会見をやらなくて済んだだろうし、謹慎なんてあり得なかったろう。公の場でヌード撮影した篠山紀信の一件も、ドイツだったら全く問題にされないに違いない。
そんなドイツやオーストリアではドキッとする裸に出くわすことは少なくない。町を歩けばかなり大胆な裸のポスターや大看板を見かけることは多いし、テレビのコマーシャルでも裸はよく登場する。
ウィーンのウーバーン(地下鉄)「シュテファン広場」駅のポスター
天気の良い日に公園を散歩すれば、芝生の広場では全裸の男性やトップレスの女性が気持ち良さそうに日光浴している。学生寮に短期間滞在したときは、シャワールームからバスタオル一枚だけで出てきた女の子と廊下ですれ違い、「ハロー」とにっこり挨拶されることもあった。
ドイツのサウナは知る人ぞ知る、その裸文化の最たるものかも知れない。スポーツセンターのスイミングプールでひと泳ぎした後サウナルームに入れば、そこでは男女が一緒に全裸で汗を流している。しかも日本のようにタオルをまとったりはしない。
前回ドイツに行って初めてこの「ドイツのサウナ」を体験した僕はすっかり気に入ってしまい、今回もベルリンでプール付きサウナに行ってみた。すると、そこは前に行ったところ以上の裸天国で、なんとプールもみんな素っ裸で泳いでいた。もちろん混浴ならぬ「混泳」だ。さすがにビビッたが、「郷に入らば郷に従え」で僕も海パンを脱いでプールにザブン!この感触というか開放感は確かに悪くない…
こうして見てくると、裸というものを当地ではえらくあっけらかんと捉えている気がする。最初に紹介した大衆紙"Bild"には1面にヌード写真がよく登場するが、そんな記事の内容はモデルの日常生活を普通に紹介するだけで、モデルの表情も記事の内容も実に爽やかだ。ドイツでは裸が「解放の象徴」と認識されているのだろうか。ビルト紙のHP を紹介しておくが、いきなりヌードが登場することも多いのでビックリしないように。
ベルリンのDDRミュージアム(旧東ドイツを紹介するミュージアム)を訪れたら、「東独の裸文化」を紹介するコーナーがあって、全裸でスポーツに興じたり、水浴を楽しむ旧東ドイツの人達の姿をパネルや写真、ミニチュア、ビデオなどで展示していた。そのパネルの説明によると、東独市民は実に5人のうち4人までが全裸で水浴びをしていたという。その背景には当時階級社会の中で抑圧されていた市民による、階級のない「自由な世界」へのささやかな訴えという意味合いがあったとのこと。
DDRミュージアムの展示
一方日本では、最近は「男性ヌード」が流行ったりして少し変化もあるようだが、一般的には「裸は不謹慎」というとことで「裸」への風当たりは強い。だから草彅君だってあんなにバッシングされたのだろう。しかし一方でその裏には目を覆うばかりの性情報が氾濫し、出会い系や卑猥なクズメールが山のように送りつけられ、そんなメールに誘われて未成年の女の子が被害に遭ったというニュースに接する日常。児童ポルノがいつまでたってもちゃんと規制されず、世界に大恥辱をさらしている国だ。
もちろんドイツだって性産業は盛んだろうし、卑劣な性犯罪だって起きている。でもあっけらかんとした裸の世界と、陰湿なエログロの世界とははっきりと住み分けができていて、一般の人たちはその辺りの「けじめ」をしっかりわきまえている人が多いような気がする。年頃の娘や息子のいるドイツ人家庭を週末に訪ねると、必ずといっていいほどその恋人が遊びにきていて家族と一緒に食事を共にし、そのまま泊まってしまうことも珍しくない。そんなオープンなところも彼らがけじめをわきまえている証ではないだろうか。
オランダの話だが、以前近所に住んでいた家族がオランダへ引越し、現地の学校で12歳の娘が性教育の授業でコンドームの装着方法を教わってきた、という話を聞いた。ヨーロッパでは性教育が進んでいるということはよく聞くが、そこまでやるかとただ脱帽するしかない。
裸や性へのオープンで且つけじめをわきまえる姿勢が育まれたのは、国民性や文化の問題だけではなく、何かと裸や性を遠ざけようとする日本と違い、性教育でも何でも学校や家庭がみんなで本気で子供達と向き合い、ちゃんと行っている成果とも言えるのではないだろうか。町中のヌードポスターや度々出没する裸のパフォーマンスも、そんな成熟した社会の自信の一端を見せつけられている気がしてきた。
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「こんなことが起こるのもベルリンならでは… お昼どきの議事堂界隈を20歳そこそこの女の子が二人、一糸まとわぬ姿で歩いていた。二人はブランデンブルク門を通って議事堂前の芝生へ… 男たちはみんな首をねじ曲げて振り返り、お年寄りたちは嘆き節。で、彼女たちは?注目を浴びているのがいかにも楽しそう。気づいたらもう二人はいなくなっていた。この写真を撮ったホビーカメラマンもどうしてこのコ達が裸になってたかなんてわかりはしない…」
と実にたわいもない。
こうした路上などでの「全裸のパフォーマンス」がドイツで記事になることはそう珍しいことではない。いつか、ドイツの高級誌"Der Spiegel"(シュピーゲル)が学生デモを伝えていた記事にも、素っ裸でデモ行進する女子学生の写真が大々的に載っていた。もちろんこうした行為はドイツでも公然わいせつに当たるとは思うのだが、そもそもドイツでの裸に対する意識は日本とは随分違う。真夜中に公園で裸になって騒いでしまったスマップのつよしくんもドイツだったらあんな神妙な謝罪会見をやらなくて済んだだろうし、謹慎なんてあり得なかったろう。公の場でヌード撮影した篠山紀信の一件も、ドイツだったら全く問題にされないに違いない。
そんなドイツやオーストリアではドキッとする裸に出くわすことは少なくない。町を歩けばかなり大胆な裸のポスターや大看板を見かけることは多いし、テレビのコマーシャルでも裸はよく登場する。
ウィーンのウーバーン(地下鉄)「シュテファン広場」駅のポスター
天気の良い日に公園を散歩すれば、芝生の広場では全裸の男性やトップレスの女性が気持ち良さそうに日光浴している。学生寮に短期間滞在したときは、シャワールームからバスタオル一枚だけで出てきた女の子と廊下ですれ違い、「ハロー」とにっこり挨拶されることもあった。
ドイツのサウナは知る人ぞ知る、その裸文化の最たるものかも知れない。スポーツセンターのスイミングプールでひと泳ぎした後サウナルームに入れば、そこでは男女が一緒に全裸で汗を流している。しかも日本のようにタオルをまとったりはしない。
前回ドイツに行って初めてこの「ドイツのサウナ」を体験した僕はすっかり気に入ってしまい、今回もベルリンでプール付きサウナに行ってみた。すると、そこは前に行ったところ以上の裸天国で、なんとプールもみんな素っ裸で泳いでいた。もちろん混浴ならぬ「混泳」だ。さすがにビビッたが、「郷に入らば郷に従え」で僕も海パンを脱いでプールにザブン!この感触というか開放感は確かに悪くない…
こうして見てくると、裸というものを当地ではえらくあっけらかんと捉えている気がする。最初に紹介した大衆紙"Bild"には1面にヌード写真がよく登場するが、そんな記事の内容はモデルの日常生活を普通に紹介するだけで、モデルの表情も記事の内容も実に爽やかだ。ドイツでは裸が「解放の象徴」と認識されているのだろうか。ビルト紙のHP を紹介しておくが、いきなりヌードが登場することも多いのでビックリしないように。
ベルリンのDDRミュージアム(旧東ドイツを紹介するミュージアム)を訪れたら、「東独の裸文化」を紹介するコーナーがあって、全裸でスポーツに興じたり、水浴を楽しむ旧東ドイツの人達の姿をパネルや写真、ミニチュア、ビデオなどで展示していた。そのパネルの説明によると、東独市民は実に5人のうち4人までが全裸で水浴びをしていたという。その背景には当時階級社会の中で抑圧されていた市民による、階級のない「自由な世界」へのささやかな訴えという意味合いがあったとのこと。
DDRミュージアムの展示
一方日本では、最近は「男性ヌード」が流行ったりして少し変化もあるようだが、一般的には「裸は不謹慎」というとことで「裸」への風当たりは強い。だから草彅君だってあんなにバッシングされたのだろう。しかし一方でその裏には目を覆うばかりの性情報が氾濫し、出会い系や卑猥なクズメールが山のように送りつけられ、そんなメールに誘われて未成年の女の子が被害に遭ったというニュースに接する日常。児童ポルノがいつまでたってもちゃんと規制されず、世界に大恥辱をさらしている国だ。
もちろんドイツだって性産業は盛んだろうし、卑劣な性犯罪だって起きている。でもあっけらかんとした裸の世界と、陰湿なエログロの世界とははっきりと住み分けができていて、一般の人たちはその辺りの「けじめ」をしっかりわきまえている人が多いような気がする。年頃の娘や息子のいるドイツ人家庭を週末に訪ねると、必ずといっていいほどその恋人が遊びにきていて家族と一緒に食事を共にし、そのまま泊まってしまうことも珍しくない。そんなオープンなところも彼らがけじめをわきまえている証ではないだろうか。
オランダの話だが、以前近所に住んでいた家族がオランダへ引越し、現地の学校で12歳の娘が性教育の授業でコンドームの装着方法を教わってきた、という話を聞いた。ヨーロッパでは性教育が進んでいるということはよく聞くが、そこまでやるかとただ脱帽するしかない。
裸や性へのオープンで且つけじめをわきまえる姿勢が育まれたのは、国民性や文化の問題だけではなく、何かと裸や性を遠ざけようとする日本と違い、性教育でも何でも学校や家庭がみんなで本気で子供達と向き合い、ちゃんと行っている成果とも言えるのではないだろうか。町中のヌードポスターや度々出没する裸のパフォーマンスも、そんな成熟した社会の自信の一端を見せつけられている気がしてきた。
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